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かわいい秋見つけた! [1983年のヒット曲]

過ごしやすい陽気を感じるようになりました。木曜日に扇風機の分解掃除をして いつでもすぐに片付けられるように。金曜日は 出先から公園を通り 歩いて帰ってくるときに可愛い秋を見つけました。暑い暑いと一日に数回着替えていた例年通りの夏も過ぎ行くと ホッとするより気が抜けちゃうようで。開け放した窓からは涼しすぎる位の風鈴の音が。。。もう取り外そうかな。夏の激しい暑さが 一瞬の祭囃子のように過ぎて行ったように思える。頬杖つき 陽翳る16時。 

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ひつじ雲うろこ雲
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夏のような帽子をかぶった くぬぎ
シャッターを切る被写体に 激しさよりも穏やかさを
欲するようになってきました。[カメラ] 数日中に朝起きたら
キンモクセイが香って来そうな予感がする。[かわいい]    
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[るんるん]今回の一曲は 40年前の1983年の今頃のヒット曲から。言葉にするのが難しい雰囲気なんだけれど 高校二年の秋 何か間違えに気づいたように 今しか後戻り出来ないような葛藤をいつも抱えていたことを思い出す。このままの無邪気な時間は永遠に続くものでなく 何時かは羽ばたいていかなくてはならない。しかしこのままでは  これからの長い人生を後悔含みで 生きていかなくてはならないような息苦しさに心折れそうで。文系の進学コースのクラスだったんだけれど 理系が本望だった。しかし なにせ学力が低下するばかりだし 授業も解らなくなって行くし。嫌で嫌でしょうがなかった。やり直すなら今しかないと思いはつのるばかり。その頃は 自分に合う勉強方法も ちゃんと理解していなかった(それ以前からだよね。もう小中学校から。)から 学習塾や予備校みたいなところへ行ったとしても無理だっただろうね。どんどん周りから遅れを感じるようになり 将来の夢が描けない。大学や専門学校に行ってから決めるよ!なんて周りは言ってたけれど 家の中のごちゃごちゃもあるし すべてが嫌になって来ちゃってた。だから無謀だと判ってはいたけれど 一度ピリオドを打とうことを考え始めていたころだった。(今から思えばそれからは大変なんだけれど!続きは またいつか。)あの夏の終わりごろ この曲を良く聴いていたな。[るんるん]
DSCN1480_01.JPG 「恋は、ご多忙申し上げます」 原 由子 1983年08月21日発売 4枚目のシングル。1983年資生堂 秋のキャンペーンソング。御存じ サザンオールスターズの桑田佳祐さんの奥様。サザンオールスターズでデビューする以前より アマチュアとして音楽活動されていて 青山大学在学中に桑田佳祐さんとの出会いを経てサザンオールスターズに参加。1978年06月25日にメジャーデビュー。1981年にバンドとは別にソロとしてデビュー。今作は 数あるソロ作品の中でも代表作となる一曲。
音楽的才能のある人って 子供の頃から楽器を奏でたり歌ったり 積み重ねた実力と運があって成功するのかな・・・って思ったことがあった。そして環境的なものや運も影響して来るんだろうなってね。最近はどうなんだろうって疑問を感じるんだけれど 変な意味じゃなくて 天は二物を与えないって時代はあったんだと思う。好きなものこそ上手なれって やはり才能なんだろうなって。そう思うとね おいらには何があるんだってため息ついちゃう。正直これっていう自信のあるものが無いんだもの。普段の生活の中で 何であってもいいんだけれど 平均点には達しなくても それなりにこなすことはある程度出来るとは自負している。でもね専門店じゃなくて いつ崩れるか判らないよろずやなの。何か秀でるものがあれば もっと自信をもって勝負出来るとは思うんだけれどね。そうでないからうだつが上がらない。今はそれが嫌で嫌で。でも そう生きて来てしまったのだもの。なんでも出来るって凄いことだよと言ってくれる人もいるけれど 自分が納得出来ないから自信も萎えてしまうし。偏屈だから それじゃだめだと思うわけ。先日もあんたは理想が高過ぎると親に言われて ムッとしてたんだけれど それを無くしてしまったら・・・それが怖くてね。ああ、勉強の仕方がちゃんとわかっていたら もっと違っていただろうとか 自身の意見をしっかり通すことが出来ていたらとかね。世渡りが下手なのかもしれないね。
脱線しちゃいそうだけれど 何か本当に好きなことを一生かけて出来るって凄いことだと思うし 憧れさえ覚えます。脱線しそうじゃなくて もうとっくに脱線してた。なんかね 今のおいらは哲学してるような気がする。ああでもないこうでもないって もがくばかりでね。答えの出ないことを出そうとしてるのかもね。そんなこと一生かけてしたくないのに。んも~っ。
あ、いけないけない。作品のこと全く書いてないよ。原由子さんの作品って桑田さんが書かれる作品が結構あるんだけれど 独特な声質でね それが時にポップであったり 悩ましげだったり もうすんごくアンニュイだったり 危険だったり・・・。露骨なことは書けないけれど 原由子さんの声色ってすごく女性的なもので 〇〇で歌っているようなという 誰かが言った言葉にすごく納得しちゃったことがあるんですね。まぁ桑田さんの表現される詞や曲の世界観も 作品によってはかなり意味深だったりするものもあるから余計になんだけれど 綺麗というんじゃなくて ちょっと匂い立つような なまめかしさというか。それでいて作品によっては女性としてだけでなく 母としての包容力を感じさせられたり 他の(例えばユーミンであったり 中島みゆき 竹内まりや・・・e.t.c.)女性ヴォーカルとは かなり異質な個性的ヴォーカルの才能を感じるんですよね。同時期にヒットした 高田みづえ「そんなヒロシに騙されて」のオリジナル(『綺 麗』サザンオールスターズ 1983年07月05日発売 6枚目のアルバム収録 原 由子ヴォーカル・ヴァージョン)や「私はピアノ」(『タイニイ・バブルス』サザンオールスターズに収録)も また出色でしたね。「恋は、ご多忙申し上げます」は 週刊セールス最高5位 約24万枚の売上で 1983年10月のチャートを彩りました。


潮風のようなべたつくような夏の風は 店じまいかもね。
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怪しげな ざくろ
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心地よい風吹く中 午後になってちょっと強い陽射しを
よけて うとうとする [猫] 地域 茶色しまねこ くん

あ~なんだか今回の記事は 全体的に良く判らなくなっちゃった。今年の運気の最低値は なんとかやり過ごせたかな。あまり考えないようにはなったけれどね。先日来年の暦(高島易断の)を買って来た。来年も ”動かざること山のごとし” 冷静であるべきだと書かれてたけれど なんかここ数年同じような感じ。落ち着いてばかりでもいられないんだけれどね。現状維持で 先が見えてこない焦りばかり募っちゃう。親のことも いくらか落ち着きは見えて来てるけれど 介護は続くだろうしね。病気も認知傾向も このまま落ち着いていることを願うばかり。さて次回更新は 10/15 0:00の予定です。[メモ] もう10月も半ばじゃないかい!あ、プリンター買わなきゃ。忙しなくなる前に 無理のない計画くらい立てなきゃね。ぼちぼち行きますかね。昼夜の気温差が大きくなりそうです。みなさま風邪など召されませんように。今回は このあたりにて。ぐな~ぃ![夜]

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それでも月は輝いて・・・。 [1973年のヒット曲]

神無月の扉が開きましたね。もう今年も三月無くなりました。いろいろと年末に向けて計画を立てなくては。[モバQ][あせあせ(飛び散る汗)]月末は 通院介助だとか忙しなくてようやく月が替わることで気持ちが少し楽になりそう。

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9/29の月 中秋の名月と満月が重なるのは
珍しいことなんだそうですね。なんでも次に重なるのは
2030年だとか。雨雲が流れて来ていたようで 雲の

切れ間が見えたので 急いでカメラを取って来ました。
記事を書く前に画像のストックが無くなっちゃったから
助かった~っ。[カメラ]                 
[満月][満月][満月][満月][満月][満月][満月][満月][満月][満月][満月][満月][満月][満月][満月][満月][満月][満月][満月]

[るんるん]さてさて今回の一曲は 前回2曲ストックしておいたんだけれど 一曲はまだちょっと歌詞の雰囲気が早い(否今年の夏の陽気があまりに続いているから!)ので もう一曲の方を。この作品でブレイクをするんですが セカンド・シングルの大ヒットでブレイクのきっかけを作ると その後化けるということをよく耳にするんですよね。最近は当てはまらないみたいだけれど 昭和の時代はよく言ってた記憶がします。今回は半世紀前の今頃ヒット曲なんですが 時代は景気良くなかったんですよね。1973年10月のトピックスは10月半ば OPEC(石油輸出国機構)が原油の値上げを決定し いわゆるオイルショックが始まるわけなんですね。当時を知っておられる方はおいらと同じくらいか諸先輩方に当たるんですが トイレの紙の異常な値上がりを覚えておられる方も多いのでは。実際はそうではなかったという証言もあるようですが 物不足や買い溜めのニュースが毎日のように放送されてました。中にはトイレの紙を奪い合うなんてのも見た記憶があります。スーパーで 特に御婦人方が我先にという映像も薄っすらと見た記憶なんですね。おいらは能天気な小学一年生だったわけなんですが。あ、でもね 当時まだ おいらのところは水洗じゃなかった。だからトイレロールっていうのを使ってなかった。ちょっとごわつく四角い紙だったんだけれどね。[爆弾]お食事中じゃなかったですよね?![がく~(落胆した顔)]ぺこり。まぁ紙だけじゃなくて 洗剤とか砂糖なんかも もちろんガソリンや石油製品もだけれど 12月に入ると石油緊急事態とかで省エネが叫ばれると言った状態で。今も化石燃料高いけれどね。あ!コロナ禍の初めの頃も 物不足や買い占めありましたよね。マスクもね。(ここで脱線に気付く!)そんな頃 この年は何度も記事にしているんだけれど 女性新人歌手の当たり年で 前年の暮れ以降 アグネス・チャン 桜田淳子 浅田美代子 安西マリア あべ静江をはじめデビュー曲がヒットして テレビで華々しく歌い踊る特にアイドルの姿を見かけることも多かったのですが そこへ毛色の違った いわゆる”青い性路線”と呼ばれ どこか翳りを携えたこの方が デビュー曲のやや垢ぬけないような雰囲気から一転路線を軌道修正して あという間に話題をさらい始めたんですね。当初は あまり良いイメージを持たれず 中学生にこんな歌を歌わせるなんて・・・とか週刊誌等で陰口をささやかれる様な事も言われてましたよね。おいらは曲のタイトル何か知らないし歌っている人も まだよく知らなかったけれど キャッチ―な歌い出しは何故か知っていたから 口ずさんだ事はあったけれど 意味なんか知る由もないしね。判ってないわけだから!でも周りでは 話題にはなっていた淡い記憶は残っているのでした。あなたが望むなら 私何をされてもいいわ! 今文字を見返すと 確かに衝撃的ではありますよね。翌年には あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ… と エスカレートするんですけれどね。抵抗がないと言ったら嘘になるだろうけれど この歌を歌う意味合いを勿論ご存じだったのでしょうから いくら仕事とはいえ 歌詞の主人公を演じることの認識を持たれていたことは 今もってプロフェッショナルに 徹しておられたんだなと改めて感じるのです。同世代のアイドルは 夢のような物語を可愛らしい衣装をまとって笑顔を振りまいて・・・。[るんるん]
DSCN1447_01.JPG 「青い果実」 山口百恵 1973年09月01日発売 セカンドシングル。伝説のスカウト番組 スター誕生! をきっかけに 同年 5月21日に「人にめざめる14才 としごろ」で歌手デビュー。個人的には それ以降の曲調にない健康的な雰囲気が初々しくとても輝いて思える作品なんですが デビュー曲としては 週刊売り上げ最高37位というスマッシュヒットではあるものの 印象に焼き付く作品では正直無かったわけなんですね。今みたいにアイドルアイドルした歌手がもてはやされる時代ではなく 歌謡界全体が華々しく大御所・中堅・若手・新人としっかり区別をされ まだまだ裏の世界が あからさまにクローズアップされる様な時代でなく また流行歌が大人から子供まで幅広く愛された時代故に 所属事務所やレコード会社 プロデューサーらが個々の世界観を作り出し評価されるといった芸能が 夢の大きな一大娯楽だった時に 「青い果実」が放った世界観の衝撃は大きく色眼鏡で見られることもあったんでしょうね。
同年の流行語に ザ・ドリフターズの加藤茶さんが 舞台で怪しげなピンク色の証明に照らされ 髪の薄いカツラと肌着姿で 急に寝転び・・・「ちょっと だけよ~ん!あんたも 好きね・・・。」とペレス・プラード楽団の「タブー」に乗せて 踊り子さんの真似をした逆が大流行。荒井注さんの「なんだバカヤロ」と共に 教育上良くないとクレームが出るも 子供たちはお構いなし!面白いものに飛びつく子供の性(さが)は 今も昔も変わらないもの。また数年後には 当初は さんざん酷評がありながらも 時代を動かしたピンク・レディー然り 企画の勝利は若年層のパワーもあり 世を動かしたんですよね。
百恵さんは その後も清純派路線 文学路線 そして青い路線と 歌手だけでなく女優としても活躍の場を広げ 音楽面では 新たに 阿木燿子・宇崎竜童コンビの作品をはじめニューミュージック路線の作品を発表し 確固たる人気を確立されて行くのは御承知の通り。青い性路線がもしなかったら 果たして・・・そんなことを考えたら その後の成功もありえたのだろうか?はたまた その後の歌謡曲の世界も多様性が生まれたのだろうか?秋の夜長も寝られなくなりそうな気がして。おいらは この歌(翌年の「ひと夏の経験」も)は どこか翳りのある百恵さんだからこその世界観だと思っているわけなのです。引退後に いろんな方がリスペクトとして歌番組で披露されても 疑問を感じてしまうばかりで受け入れがたいんですよね。表現がすごく難しいんですが セクシーにとか なまめかしくとか歌うだけではない どこか人間臭い醸し出す雰囲気をただよわせてなくては 申し訳ないけれど受け入れるのが難しく思えちゃうと言ったら言い過ぎかな?後期の作品に「曼珠沙華」という作品がありますが いろんな人がカヴァーをされていますが どれもモノマネみたいに思えちゃって あまり聴きたくないんですよね。あの曲は 最初は スローでつまんない。どちらかと言ったら嫌いなタイプの歌だったんだけれど 「美・サイレント」のカップリングで その年の秋口に三浦友和さんとの恋人宣言をステージ上でされた頃かな 何気なくレコード聴いたら すごく衝撃を受けたんですよね。百恵さんの赤いシリーズは よく見ていたから その各主人公と(ラジオなんかで聞く素に近い)百恵さん本人のイメージがごっちゃになって 百恵さんって ほんとはどんな人なんだろうって 判らなくなったことがあって そんな時だったのかな この歌の世界観が一番しっくりくるように思えたことがあった。おいらは子供ながらに いろんな経験をされてきた百恵さんって 本当はとても人間臭くて芯のある 喜怒哀楽があって着飾らない 信頼出来る人なんだろうなって。それからかな 男としてでなく女としてでなく 人として百恵さんのような生き方に憧れるようになった気がするんですね。(途中で何書いているんだか分からなくなっちゃった。^^;)もしかしたら それも偶像なのかもしれないけれどね。
あ、長くなっちゃう。「青い果実」は 百恵さんにとって初めてのベストテン・ヒットになり週刊売り上げ最高9位を獲得。間に 3rd「禁じられた遊び」 4th「春風のいたずら」をはさみ 5枚目となる「ひと夏の経験」以降引退するまでのシングル作品は すべてベストテンにランクイン。最高の売上は 13th「横須賀ストーリー」次いで「いい日旅立ち」「冬の色」「プレイバックPart2」「赤い衝撃」「イミテイション・ゴールド」「パールカラーにゆれて」「夢先案内人」「愛に走って」「秋 桜(コスモス)」・・・という順位。おいらはシングル作品じゃないけれど「歌い継がれてゆく歌のように」(1977年のアルバム『百恵白書』に収録)が百恵さんの歌の中で一番好き。(明菜ちゃんにカヴァーしてもらいたい。)


デビュー当時の映像が あまり残ってないのが残念ですよね。
夜遅い時間は 労働基準法があったのもあるんでしょうね。
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日の入り時間が早くなってきましたね。最近洗濯物を
陽が落ちるまで 外に出しっぱなしで忘れてる。 [ふらふら]

そろそろバイオリズムが上向きになってくれるかな。先月はいろいろと気持ちが行き詰まっちゃって それでもこなさなきゃいけないことがいっぱいで 正直かなり疲れてたけれど もうそこはついていてほしい。なるべく出費を控えてたけれど プリンターをそろそろ買い替えないと駄目そうな感じ。年賀状も多くはないけれど 普段連絡取れない人には出したいしね。今年は 12年に一度の良い年だって言うのに 経験値ばかり増えるのが良いことなのかな。何か経済的物質的な良い年に 残りの月日でサヨナラホームランといかないかな。まぁ 期待ばかりでも何だから なるようになってくれればいいか。インボイス制度廃止してくれ!ガソリンの等の二重税やめてくれ~っ。なにより景気良くなってくれ~っ!年越せなくなっちゃうぞゑっ。[爆弾]
さてさて ぼやきはこれくらいにして 次回更新は10/08 0:00の予定です。[メモ] それでは今回は このあたりにて。ぐな~ぃ![夜]

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