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冬支度をちょこっとづつ。 [1973年のヒット曲]

木々の色どりは見られないけれど 秋めいてきましたね。このままこの陽気が少し続いてくれるといいんだけれど。木曜日の夕刻に車を運転していたら 今季初めてキンモクセイの香りがどこからか流れてきました。(車の芳香剤とかじゃなくてね!)この香りを感じると もう季節は戻らないと毎年確信しています。近いうちにオレンジ色の花の咲いているところを見れたらいいな。[かわいい]

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数日前に見た 夜空に笑い顔のような怪しい月。[三日月]
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公園でひさびさ見た 金の斧現象?![わーい(嬉しい顔)]
(単なる 池の循環用の装置。[たらーっ(汗)]
昼間に外を移動していても 汗にならないのが何より
うれしい。短かかった?!春先にも感じられなかった
清々しさ。もの悲しさはあるけれど春よりは秋の方が
好きかもしれない。気をつけてはいるけれど 食欲が
増してきてる。やはり食欲の秋なのか。内脂サポート
効いているのかな。[がく~(落胆した顔)][exclamation&question]             
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[るんるん]さてと今回の一曲は 前々回に山口百恵さんの「青い果実」の時に 季節がちょっと早すぎてストップをかけていた 半世紀前(1973年)の今頃のヒット曲から。今は抒情的な雰囲気を理解出来るけれど 小一だったおいらは あまり記憶に残ってないんですよね。間違いなく当時聴いてはいるんですが しみじみするような作品ですし子供には良く判らない歌詞の内容もあったんでしょうね。今回記事を書く前に (前日の寝入りばなに)当時の記憶をたどってたら また嫌なこと思い出しちゃってた。前記事にも ちょっと気配を感じさせるところがあるんだけれど これって取柄のなかった夢見がちなおいらは 学校でも勉強が出来るわけでもなく運動が出来るわけでもなく 今から思い返しても嫌になっちゃうような。。。もう来年は進級して二年生になる。他の子はみんな出来ているのに クラスで数人残された 逆上がり(鉄棒)の出来ない子。放課後とか日曜日とか練習したけれど出来なくてね。嫌で嫌でなんで出来ないんだろうって。(今でも覚えているんだけれど 出生番号が後ろの子ばかりだったんだよね。おいらの学校では 男女別々で生年月日順だったから ほぼ出来ない子は早生まれの子。)そういうのってやっぱりあったんだろうね。(それをこじつけるわけではないんだけれど!)勉強や運動が出来る活発な子は 約一年くらい早く生まれた子。それとね これもこじつけなんだけれど 幼稚園に行ってた子は何でもそつなく出来ていた気がしてた。おいらは保育園行ってた子。今思うとあの時の感情って劣等感に近かったかも。ゆえにいろんなことを遠慮しちゃうような敬遠しちゃうような やりたくなくなっちゃう気質って人より強かったな。少しづつ変わっては行くんだけれど 何でも出来るような子は 鼻高々な感じがあってね。それも多分 勉強方法や運動の仕方 自主性の鍛錬とか出来る子は 前向きで知っていたんだろうね。その後くらいなのかな よく覚えてないけれど 親の学歴(僕のお父さんは 〇〇大学出たんだよ!私のお父さんは△△!とか。おいらは当時大学なんて知らないから六大学とかね。そういうの知らなかった。多分 東京大学も知らなかったと思う。知ってたのは バカボンパパのバカ田大学くらい。)で 友達同士優越を煽るようなことがあってね。近所には 公務員住宅や国鉄の官舎 金融機関・大手企業社宅とかが沢山あって かなり大半の子は そこに住んでいる友達。地元の昔から住んでる商売人の子とかは そう多くはなかったかも。地元の子は保育園に行ってた子が多かったので 後に 幼稚園出VS保育園出でいざこざがあったり。それに丙午生まれだから人数は少なくてね。おいらは 一応耳は傾けるけれど肩身狭いわけ。だから学校も好きじゃなかったしね。ゆううつな子供だった。士農工商じゃないけれど そういう学歴の軋轢って子供ながらにあったな~って。嫌だったな。そういうの。(脱線)学歴社会の洗礼ってそんな頃に感じ始めたっておはなし。鉄棒はなかなか出来なくて 進級するくらいになって ようやく逆上がりが出来た記憶が。当時体育の盛んな学校だったから余計出来ないことが恥ずかしくてね。秋だったな。半ズボンが寒く感じ始めてもの。校庭の銀杏の木も色づき始めたような記憶が。[るんるん]
DSCN1403_01.JPG 「色づく街」 南 沙織 1973年08月21日発売 9枚目のシングル。デビュー三年目でコンスタントにヒット作品を発表されて このあたりから少し大人の雰囲気を感じさせる作風になって来たのかな。この年はどの作品も出色で 他に「早春の港」「傷つく世代」「カリフォルニアの青い空」(アルバート・ハモンドのカヴァー)「ひとかけらの純情」と。南 沙織さんの実年齢で18歳から19歳へと移り行く青春後期を思わせる揺れる心を感じさせる作風(作詞:有馬美恵子/作曲:筒美京平 「カリフォルニアの青い空」を除く//翌翌年15枚目の「想い出通り」まで 17~21歳のシングルA面全てを担当)で 南 沙織像を成長と共に描かれてきたんですね。
イントロのストリングス(弦楽器)の音色が なんとも もの哀しさを感じさせる秋風のようで斜陽感さえ感じさせてくれます。サビにかかるところで「愛のかけら抱きしめながら 誰もみんな女になる気がするの・・・」この歌詞が凄く 少女と大人の間で揺れる心を上手く表現されているなって (小学生だった)子供の頃は理解出来なかったけれど 今振り返るとちょっとドキッとしちゃいます。歌い方もやや抑えたようでいて物憂げでもあるし 前年の「哀愁のページ」よりも年を重ねたせつなさを覚えてしまいます。
南沙織さんの作品って 彼女の存在を題材として デビューから引退に至るまでのすべてのシングル作品が 一人の女性の生き方をとても大切に美しく描かれているのが判ります。おいらは当時から「傷つく世代」がとにかく好きなんだけれど 彼女のベストアルバム(LP)を買った1979年と1983年に やはりリズムのある作品は良く聴いてたけれどスローなバラード調の作品は ゴメンねして飛ばして聴いていました。何時頃だったかな 酸いも甘いも理解出来るようになり?!しばらくしてちゃんと聴き直したら その統一感というのかな?個々の作品は 勿論素敵なんだけれど すべてを通して聴いてみると シングルだけのイメージでなくてベスト盤ではあるけれど 南 沙織という一人のストーリーを思い描きながら映画を見ているような気持ちになりましたっけ。それだけ作品の作り手も 彼女の存在感をとても大切にされていていたんじゃないかなと思うのです。引退するまでの間に28枚のシングルを発表するんですが どの作品にも濃淡はあれど季節感が存在し心の揺れ動きや葛藤があって もの思うこれからの時期に 改めて聴いてみるのもおススメかな!「色づく街」と一緒に「哀愁のページ」「人恋しくて」「哀しい妖精」(ジャニス・イアン提供作品。作詞は 松本 隆)を聴くと これから訪れるだろう深まりゆく秋の気配を まどろみながら感じられそうなんですよね。[喫茶店]入れたての紅茶から立ち上る湯気を見ながら ほおづえついて。いつの間にか口もつけずに冷めていそう。。。


1982年に 三田寛子さんもカヴァーされてましたっけ。
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消費期限が来ちゃったので 小豆を炊きました。
すこし汁気を残し ぜんざい風に。
また小豆買ってこよう。今度はストーブを出す頃に
でも炊いてみようかな。今回使わなかった栗の瓶詰
を使って。(あんこ苦手な方ごめんなさい。[目]

日曜日は雨が降るのかな。(記事を書いているのは金曜日の朝)ひと雨ごとに季節は進みそう。治まったから良いけれど 先週は風邪のひきはじめ症状が数日あって 鼻水が出たり喉が痛かったり。熱は無いんだけれど葛根湯を吞んでおきました。なるべく薬は吞みたくないから 寒気を感じる時は生姜を使ったおかずにとか このところ季節が来たなと感じる鍋にしたり(今年も鍋用のポーションタイプの鍋の素を買いました。)暖かい食事が有難いです。毎日のおかず考えたりは嫌なんだけれど 食材を上手く使いこなして節約もしなくちゃなと。食材もいろんなものの値上がりを値札で感じています。値段が変わらないようだけれど内容量が少なくなっているとかも。少しでも景気が上向きになってくれるといいんだけれどな。10月も半ば。忙しなくなる前に 少しづつ断捨離もしなくちゃ。そうそう 日が直接入らない窓ガラスに断熱シートを張り寒さ対策も。寒いのは暑いのに比べて苦じゃないけれど 体調も秋冬も~どに調整して行かねば!次回更新は 10/22 0:00の予定です。[メモ] 放射冷却も段々と強まってゆく傾向かな?みなさまも季節の変わり目体調崩されませんように。今回はこのあたりにて ぐな~ぃ![夜]

追 記 ・・・ 20231016 19:30 シンガーソングライターの谷村新司さんが ご逝去されたというニュースを見てびっくり。アリスとしての活動期から 存じておりますが まだ70代半ばだというのに。ご冥福をお祈り申し上げます。

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