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1982年のヒット曲 ブログトップ
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シャンパン・ゴールドの夢見たいな! [1982年のヒット曲]

うわ~をっ。時間がもっと欲しい!経済的余裕はもっと欲しい![モバQ][ダッシュ(走り出すさま)]前回のタイトルはさらに続き (ざわ)²(キラ/そういえば忠臣蔵放送してたね!)²(せか)²は継続ちう。先週火曜日は 親がお世話になっている施設のデイ・サービスが 利用されている方が一人コロナウイルスに罹患されてしまい昨日まで利用出来なってしまったのですが 昨日の朝一番に電話がかかって来て またひとり罹患された方が出て 今週の水曜日まで延長してしまい結局約一週間親は毎日家にいることになってしまい おいらもちょっと半狂乱(言いすぎだけれど!)。忙しない時期なのに さらに追い打ちをかけて 笠置シズ子さんの歌が脳内りふれいん。わてほんまによう言わんわ!呆れてもいられないんだけれどね。討ち入りじゃ~!ご乱心じゃ~! は~ぁ しんど。ばっど。(しんどBAD)[ふらふら]

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たまに行くスーパーの近くにあるハイソ・マンションの
庭のガス灯とイルミネィション。あ~今年は幕張新都心
のイルミネィションは見に行けそうにない。そういえば
JR京葉線の新駅が 来年3月18日に開業だとか。”幕張
豊砂駅” おいらは電車はあまり乗らないし近くだから
使わないだろうけれど 幕張メッセの展示場とか本社の
御膝元 イオンモール幕張新都心を利用する際に電車を

利用される方は楽になりそうだね。(ってか早く記事を
書いて夕飯の準備しなくちゃ。)          
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[るんるん]さてと!今回の一曲は 40年前(1982年)シリーズのラストになるかもしれません。ハンバーガー屋でバイトを始めた15歳のおいらは ほぼ毎日一回くらいハンバーガーを食べている生活(バイトが無くても 誰かいるかもしれないから時間潰しに休憩室に寄ったり。[ファーストフード][喫茶店])する日々が続いていました。イタリアンホット食べたいな!クリスマスが近づいて来て メニューのチキンが良く売れるの!ケン〇のよりはシンプルな揚げたチキン。調理している時は不思議と食べたい気分にはならないの。でも遊び半分で寄った時は なんか良い香りに誘われちゃう。あの頃も食い気ばかりだったっけ。年末になっていろんな賞レースとかの歌番組なんか放送してるんだけれど 年の初めの頃の歌なんか忘れちゃってて そういえばこんな曲!なんて振り返ってたっけ。1982年この年の年間売り上げのベスト5は 「待つわ」あみん、「セーラー服と機関銃(夢の途中)」薬師丸ひろ子、「聖母たちのララバイ」岩崎宏美、「心の色」中村雅俊、「北酒場」細川たかしというラインナップなんだけれど 記録には残らないけれど記憶には残るヒット曲は数えきれないほどあって 明菜ちゃんの歌も勿論なんだけれど「チャコの海岸物語」サザン、「La Saison」アン・ルイス、「すみれSeptember Love」一風堂・・・なんかもあったね。今回の一曲を選曲するのに迷ったんだけれど 当時のこと思い出したらあまりテレビで歌っている姿は見なかったけれど レコードは良く聴いてたな・・・そしてあの年もこの曲が今年一番気に入った曲かも!と思っていたことが過ったのでした。おいらのブログでは何回も登場しているんだけれど 流れるようなゴージャスなアレンジとメロディ。そして何といっても腰の据わった低音ヴォーカルの魅力は それまでにない斬新なポップスだったなと振り返るのです。[るんるん]
DSCN0274_01.JPG 「WOMAN」 フランク永井 1982年06月21日発売 1955(昭和30)年にレコード会社と契約してデビューする以前にも 米軍基地のクラブ専属歌手として活動されていたフランク永井さんはジャズヴォーカルから歌謡曲へと路線変更をしムード歌謡路線(当時の流行の最先端)で今でも歌い継がれる「有楽町で逢いましょう」「夜霧の第二国道」「夜霧に消えたチャコ」そして松尾和子さんとのデュエットになる「東京ナイトクラブ」等の大ヒットで押しも押されぬトップスターに昇り詰めるんですね。おいらは勿論生まれてないから良く判らないけれど 後に作品を聴くようになった作品以外にも数えきれない作品をその後も世に送り出すんですね。代表的なものに「君恋し」(1961年第三回日本レコード大賞受賞)、「おまえに」(中期から後期の代表作)。そして1982年 思いもよらなかったアーティストとのコラボが実現します。同年念頭に 今でもJ-POPの名盤の一枚に必ず取り上げられる「FOR YOU」をリリース。これからの時期には毎年嫌というほど どこかでかならず耳にする J-CHRISTMASの必聴鉄板「クリスマス・イブ」でおなじみの山下達郎さん。山下達郎さんからの要望で今作を歌うこととなった フランク永井さんは当時かなりのとまどいを覚えたそうなんですが 新たな世界との出逢いにとても喜ばれていたと聞きます。おいらもまさか往年の大スター(それも大御所)のフランクさんと1980年に「RIDE ON TIME」の大ヒットで大ブレイクをした音楽ジャンル的にも 全く接点のない組み合わせに どういういきさつがあるのかなと不思議に思ったんですが 最初は何で聴いたんだろう?FM放送のオンエアだったかな?CMのタイアップってあったかな?テレビの歌番組?・・・思い出せないんだけれど それまでのフランクさんの作品では全くない とても煌びやかでゴージャスなアレンジ 更に流れゆく心地いいメロディ・ライン そこにイントロからのアレンジからは想像出来ない 重厚感のあるされどけっして重苦しくない どこかスイング感を感じる低音ヴォーカルのなんとも言えないまったり感に 以前も記事で書いたんだけれどおいらはいてもたってもいられなくなってレコードを買いに行ったんですね。(予約はしてなかったな。衝動的に!)
もうなんとも言えないくらいに心地いいサウンドは おいらのレコード棚には無いジャンルがまた増えたんですね。ジャズって親が聴いていたから気にはなっていたけれど なにせ奥の深いジャンル おこちゃまが飛び込む世界じゃなかったので雰囲気だけは感じていたけれど そこに接点が出来た気が今でもするんです。同時期に阿川泰子さんのヴォーカルも好きで ジャズの新たなアレンジを施した名作やブラジリアン・ポップスも大好きになるんだけれど 1982年ころおいらのそれまでの流行歌の興味範疇が広がったのも今回の一曲の影響は大きかったんですね。
そして この作品でおいらは おこがましいけれども フランク永井さんの人気が世代を超えたような気がしたのでした。今となっては残念ですがこの作品を 最後の出場となる1982年大晦日の紅白歌合戦で歌ってほしかった。(1982年度 最高週刊売り上げランキング33位 チャートイン中の売上約9万枚 1977年「おまえに」以来5年ぶりのランクイン)同名タイトルで同時発売だった この作品を収録し当時の流行歌をカヴァーした斬新なアルバムがあるんですよね。残念ながらCD化はされていないんだけれど。もうそのLPも手に入りにくいし とはいえ大全集なんてのは手が出ないし。CD化して欲しいんだけれどな。JVCケンウッド・ビクターエンタテインメントさま~っ!「氷雨」「心の色」「ルビーの指環」「サチコ」「メモリーグラス」 カップリングの「愛のセレナーデ」(山下達郎作品)・・・等収録。配信はしてるんだけれど やっぱりパッケージメディアで永遠に手にしておきたい!紙ジャケ使用だったらもっと嬉しいけれど。(2曲分だけでも山下達郎さんのライナーノーツ・・・なんて言ったらばちが当たるか!)


[ぴかぴか(新しい)]シャンパンゴールド[ぴかぴか(新しい)]のクリスマス・イルミネィションが
眩しいくらい輝く傍でこの作品を聴いたら ジーンとくるだろ
うな!今年もクリスマスは ターキーなんか無理だし鶏ももの
焼いたのとケーキを食べるくらいだろうな。おいらには似合わ
ないけれど シャンパンタワーなんか注がれて夢みたいに輝く
ような場所でひと時だけもクリスマスの夢を見てみたいな![クリスマス]
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前々回かな?ツリーの画像をUPしたときに毎年気に
なっているツリーの飾り。この泡だて器みたいなのは
何を意味しているんだろうな。クリスマス・ケーキを
作っている人が その昔飾った?!とは思わないし。

先週は 正月事始めで神棚と仏壇の掃除をしたんだけれど 年賀状は相変わらず手が付けられない。明日明後日中にはやらないと。。。あ、でもブログ記事は何とか書き終えた。今年は次回がレギュラー最後かな。セカンドとサードのブログは例年通り28日頃ごあいさつ。このメインは大晦日の分を予約投稿かな。さて もう18:00だ。今宵の夕飯に支度にかかろう![レストラン]次回更新は 12/25 0:00の予定です。コロナ罹患の方が増えたり減ったり。密になりやすい時期ですね。皆様も体調崩されませんように。どちら様も大変かと思いますが 良い年末年始を送りたいですね。今回はこのあたりにて おいらも無理はしないで出来る範囲で歳末に突入です。ではでは ぐな~ぃ![夜]

わすれな・めも ・・・ 20221223 0:45 なんとか年賀状を書き終えた。

ついき ・・・ 20221223 0:50 高見知佳さん他界されちゃったんだよね。個人的には 時々ギリギリの危ない話をしたり ストレートな性格で すごく好感持てる大好きな 歌手であり女優・タレントさんだったんだよね。デビューして なかなか売れなかったんだけれど 彼女のそんな時期の作品で「ミスティー・ブルー」って作品がすごく好きだった。レコードも買って良く聴いてたな。なかなか時間が持てないんだけれど 持っている彼女のCDをじっくり聴き直したい。「くちびるヌード」(大ヒット曲)や「ジャングル・ラブ」「怒涛の恋愛」「しのび逢い~Don't Leave Me Alone」(B面の曲)「シンデレラ」(デビュー曲)・・・名曲いっぱいあったんだよね。素敵な歌をありがとう。合掌。

わすれな・めも2 ・・・ 20221224 18:00 午後に車の洗車を済ませた。


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ざわざわ・きらきら・せかせか。。。 [1982年のヒット曲]

日に日に 「今年も残り〇日ですね。」という挨拶を聞くようになってきましたね。しょっちゅうは見ないんだけれどテレビの番組によっては「今年最後の放送」と聞いてしまうと 心がざわつき始めてしまいます。今の時代はだいぶ変わって来てはいるのだろうけれど 子供の頃から そんな状況を感じてきている昭和世代のひとりとしては なんとも言えない感情が揺らされるみたいで。。。あと大晦日の[ゆく年くる年]の鐘が鳴る情景がテレビに写ると 心が引き締まるような。。。あれって一年に一度のことなんだけれど 今でも不思議な気持ちなんですよね。ここ数年は年が明けて [年の初めはさだまさし]なんか見ていると だんだん冷めてくる(正月に移行し納得感を感じる。)んだけれど まもなくそんな日がくるんですね。ここ数年は(大晦日じゃなくなった)[日本レコード大賞]も[紅白歌合戦]も面白いと思わない。否 判らないんだよね。まだ[年忘れにっぽんの歌]の方が判るんだけれどね。どこか子供の頃(中学校の頃位までかな)に感じた年の瀬をもう一度味わってみたいなと思うこの頃なのです。

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結局年賀状に使えるように 思ったような写真が撮れなかったからブログ用になっちゃったんだけれど いつも
の如く二時間くらい時間を調整して 何時だかダイヤモンド富士を見に行った千葉県北西部アーバン地区(おいらの勝手な命名)市川市のJR市川駅に隣接しているアイリンクタウン展望台へ。いつも通りとんぼ返りです。

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ゲートブリッジも随分行ってないな。

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北の方には 薄っすら牛久大仏(茨城県)が見えた。
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アクアラインの風の塔・・・未だに東京湾アクアライン
も走ったことないんだよね。おいらの方からだと川崎に
行くにも木更津に行くにも同じくらい遠回り。一度くら
いは 海ほたるも行ってみたいけれど。来年はどこかに
日帰りでも良いから旅行してみたいな。(時間と経済的
余裕が欲しいな。”ほしい”で思い出したんだけれど歌手
の保科有里さんって夢グループの社長の〇人なのかな?
[爆弾])ぐふっ!あ~年賀状の文面画像どうしよう?! 
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[るんるん]さてと残りも少なくなってきて 40年前(1982年のヒット曲)シリーズも残すところ僅か。今回を含め翌年に引継ぐ?というわけでもないんだけれど 12月のヒット曲は年を跨いでの作品が多くなってきているので そんな中から今回はピックアップです。今回の一曲は 当時のテレビの大人気番組内で出演者が歌うことになりレコードの発売直前から話題になっていたので 40年前のちょうど今くらいにはオンエアされてたんじゃないかな。[ファーストフード]バイトを始めたおいらは なかなかゴールデンタイムのテレビって見る時間が限られちゃって それでも歌番組のある日はシフトを入れないようにしてたからヒット曲は判ってたんだけれど バラエティ番組ってそれ以前よりは見なくなってた頃。今回の一曲もなんとか記憶はあるんだけれど バラエティ番組では見たような記憶が薄いんですよね。[るんるん]
DSCN0256_01.JPG 「めだかの兄妹(きょうだい)」 わらべ 1982年12月21日発売デビュー曲。今年は体調を崩されてSNSの話題で倒れたとかいう記事を見た時はびっくりしちゃったんだけれど。。。当時は 毎日?[TV]番組を持っていたような記憶(そしてどの番組も高視聴率!)がある欽ちゃんこと萩本欽一さんのバラエティ番組[欽ちゃんのどこまでやるの!](テレビ朝日系列)の番組内で 欽ちゃんと(奥さん役の)真屋順子さん夫婦の間に誕生した三つ子の姉妹(のぞみ・かなえ・たまえ/1979年2月)が成長した設定で出演していた 高部知子・倉沢淳美・高橋真美 の三人が結成した企画ユニットがわらべ。当時 80~82年デビュー組の女性アイドルが台頭する中 一風変わった素朴なイメージが売りだったのでした。
番組内で「めだかの兄妹」が披露されると高視聴率番組だけあって すぐに話題沸騰となり1982年年末に急遽シングルレコードの発売が決定。発売と同時にあれよあれよと大ヒット街道ばく進。作詞作曲には大ヒットメーカーであった(作詞)荒木とよひささん(作曲)三木たかしさんによる ほのぼのした作品(後にこのコンビは テレサ・テンさんの往年の大ヒット作品を発表)を Y.M.O.(イエロー・マジック・オーケストラ)のメンバーとして国内だけでなく世界規模で大成功をしていた坂本龍一さんの編曲により さらにまったりとした まるで春の日の陽炎の中にいるような暖かな雰囲気に仕上がり 三人のヴォーカルによる判りやすい歌詞と汚れないような穏やかな作風は小さな子供から大人まで まさに万人に愛される作品へと昇華しました。週刊売り上げの最高位は第三位と首位を獲得することは出来ませんでしたが 年明けから5月の最終週迄ベストテン内にランクインされ さらに発売から約8カ月間の大ロングセラーとなり 88.5万枚の大ヒット。1983年の年間売り上げも第三位に。しかし・・・1983年の6月に衝撃的なスキャンダルにより わらべの三人としての活躍は のぞみ(高部知子)の降板により残念な結果になってしまうんですね。その後 かなえ(倉沢淳美)・たまえ(高橋真美)の二人と三つ子の兄であり長男役の見栄晴(藤本正則)を中心に再ユニット後にリリースした 第二段「もしも明日が...。」(1983年12月21日発売)が首位を獲得し ミリオンセラーになりました。「めだかの兄妹」は 当時 童謡扱いか歌謡曲扱いかで論争となったのですが お偉いさんの議場ではなく この作品を愛する多くの子供たちの間では まもなく終焉を迎える昭和後期の童謡・唱歌として愛されたのは間違いないことでしたっけね。
(この作品の機械的な音色ではあるんだけれど もわ~っとしたイントロを聴くと おいらはとても懐かしい そしておだやかでポカポカした愛おしい温もりを感じるのでした。)


そういえばクリスマスが近いのと 坂本龍一さんの名前が
出て来て思い出したんだけれど 翌年の1983年には「戦場
のメリークリスマス」大島 渚監督作品が公開されたんでし
たっけね。あの映画も40年になるんですね。そういえば40
年前の今頃 四十年来の友達と招待券があるからってとある
映画を映画館に見に行ったな。バイトのなかった日。その作
品のサウンドトラックの主題歌も暮れから年明けにかけて 
大ヒットするんですね。機会があったられびゅ~に選曲して
みようかなと思っています。[映画]             
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[クリスマス]街中がさらに煌めいて来てるんだけれど おいらは
このところ 結構疲れ気味みたい。何か心を洗うような
嬉しい出来事でもあれば 少しは潤うのだろうけれど
例年こんな感じだから 潤う間もなく日々は過ぎて行
くんだろうな。来年はどんな年になるんだろう?  
このまま くすんだ日陰状態な人生はもう嫌だな。[目]
テレビとかで 若くして(若い人ばかりじゃないけれ
ど 長い年月を経て成功をおさめたり)輝く人を見て
いると おいらには何があるんだろう?と塞ぎたくな
ることが多くなった。それでも立ち止まれないんだけ
れども。多くの人が一生のうちに輝かしい光を浴びる
ということは無いんだろうけれど このまま地味な人
生を送るのは嫌だなという思いが 年々強くなってき
ている。しかし 今のおいら自身に何があるのか見え
てこないのも事実。平凡な人生が悪いわけではないけ
れど結果を出せないことに 焦りが強くなってきてい
るのも確かな事。大器晩成型。そう言われるのにも
いい加減うっとうしくなってきちゃった。     
「めだかはめだか・・・」さっきの歌詞が過る。。。
さあ 明日もまた 気分を生まれ変わらせて進めます
かね。床に就いてタイマーをかけて音楽を聴きながら
いつのまにか寝入る安らぎがとてもここちよい。[眠い(睡眠)] 

次回更新は 12/18 0:00の予定です。今年のレギュラー記事はあと二回かな。年末年始はイレギュラー記事の予定だから 年明けはブログ更新は予約投稿で 少しゆっくり出来るかな。さてとカウントダウンは始まった。体調整えて乗り切るぞゑ~っ。夜間はだいぶ冷え込みが大きくなってますね。布団を剥いでしまって目が覚めることがあるんですが 皆さま暖かくしてお過ごしお休みくださいね。なかなか時間が まとまって取れない状況ですのでコメントのお返しや 皆さんのブログへのおじゃまが遅くなっちゃうことがあるかと思います。ぺこり。今回は このあたりにて ぐな~ぃ![夜]


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うとうと うたた寝。 [1982年のヒット曲]

またもやコロナ禍・・・第八波が。なんてひっきりなしで話題が飛びこんで来ていますが 日の入りが早くなり寒さが増してきていますね。先日は親が寒いというので 居間の床のカーペットとエアコンを最低限低めに設定して点けてみたんですが 床に転がっていたらうたた寝しちゃってました。疲れてたのかなハッと気づくまで白河夜船の数分間が過ぎてしまってました。気をつけないと風邪ひきかねないです~ぅ。[目][たらーっ(汗)]

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うろこ雲 ひつじ雲。
幕張新都心もクリスマスイルミネーションが始まったと
聞いたんですが見に行ってられないな。この日も通り過
ぎただけ。[車(セダン)][時計]だんだんと日が詰まって行きそう。 
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[るんるん]今回の一曲も引き続き40年前(1982年)のヒット曲から。高校生活も落ち着いてきて 体育祭文化祭と行事は過ぎ相変わらず勉強は身につかない日々が続いてた頃。毎朝千葉駅(おいらは乗り換えて)から電車通学していた(大嫌いだった)保育園からの同級生が [ファーストフード]「ロッ〇リアでバイトしない?!」って誘ってくれてちょっと考えさせて。と言ったころだったかな。彼はその前から 本屋さんでバイトしてたらしいけれど合わなかったみたい。おいらは 全く経験なかったからなんか気乗りしなかったんだけれど12月に入った頃にはバイト始めてた。ぷち社会デビューも果たしてたんだね。他の学校の高校生や大学生のお姉さんたちと 新しい出会いがあったのも今から思えば有意義だったな。勉強もしっかりしなきゃいけないんだけれど 毎日忙しかったけれど すごく充実感を感じ始めた多感期は 家に帰って夕飯食べて もう白河夜船。ちょっと仮眠して夜中に宿題とかやってたな。深夜放送聴いてたから捗らない。でも不思議と次の日も何事もなかったように稼働できたのは 今から思うと自身のこととはいえ とてもうらやましいこと。数時間の睡眠時間でも問題なかったんだけれどね。若かったんだな。(今も気持ちだけ若い心算!ぎゃはは。[たらーっ(汗)][るんるん]ニッポン放送かけっぱなしで仮眠(うたた寝)したてな。コッキーポップとかオールナイト・ニッポン第一部とか。この歌は同年のYAMAHA主催ポプコンの優秀曲賞に選ばれ 1982年10月31日 第13回世界歌謡祭(こちらもYAMAHA主催 過去のグランプリには 抜粋して 「ナオミの夢」ヘドバとダビデ、「あなた」小坂明子、「時代」中島みゆき、「あんたのバラード」世良公則&ツイスト、「夢想花」円 広志、「大都会」クリスタル・キング・・・)のグランプリを獲得。コッキーポップでは兎にも角にも イチ押しでラジオやテレビで流してましたっけ。(その時 白河夜船の?!おいらは夢の中で この歌が流れてるの!映し出す夢の情景は全く関係ないのに。耳だけ現実をキャッチしてたみたいで。[眠い(睡眠)]

DSCN0192_01.JPG 「花ぬすびと」 明日香(あすか) 1982年11月15日発売 デビュー曲。1970~80年代のポプコン(YAMAHA主催ポピュラー・ソング・コンテスト)は 一発屋と言われる特大ヒットも多かったけれど 今でも歌い継がれる作品が数多く登場して そのコンテストの権威は大きなものがありましたっけ。世界歌謡祭もなんだけれど このコンテストや歌謡祭をきっかけにブレイクしたアーティストも数えきれないくらい排出しました。(ちなみに1982年の最大ヒットとなった「待つわ」あみん も同年のポプコンから。)
さて 明日香さんなんですが おいらのブログでは何度も登場しているんですが 彼女の作曲 また彼女がピアノを弾きながら歌うこの作品は 派手さは無いものの のたうち回る(スローなんだけれど 淡々としたところと力強いところと!)ようなピアノの印象が強くて スローな曲は 当時とにかく苦手だったおいらも妙に惹かれて 夜も更けた頃にラジオから流れるこの作品は 落ちそうで落ちない・・・そのうち知らずに落ちてしまう睡魔を操るのでした。(前出のラジオ番組 コッキーポップの終わりに大プッシュ中なので毎日流れるんだけれど 大石悟朗さんのナレーションが終わると 不思議と目が冴えてくるおいらなのでした。そして午前一時の時報で 起きて宿題を始めるのでした。あ~っ。[メモ])なので 彼女のこの作品は子守歌の印象が強かったりしまうのです。[ムード]
明日香さんは その後もオリジナル作品をリリースするんですが 残念なことにこの作品を超えるヒットは出ませんでした。今でも気になるのが 彼女のセカンドアルバム(聴いたことは無い!)のタイトル『コーヒーと蒸しいも(ふかしいも)』が どういういきさつで名付けられたのか。そして ”蒸しいも”というキーワードが どれかの歌に含まれて歌われているのかという疑問。たぶん後にも先に 蒸しいもというものが 歌の題材になっていないだろうと思うんだけれど。・・・彼女は9年前の10月末に 若くしてご逝去されてしまったんですね。どこかにアルバム・タイトルの命名所以みたいな ”蒸しいも”のこと書かれてないかな?(おまけ:ジャケットの彼女の腰にキーホルダー?!が写っているんだけれど 当時しっぽのこういうの流行ったよね。おいらも持ってたんだけれど 今は長いのを見かけないの!欲しいんだけれどな。勿論フェイクファーで良いんだけれど 今は問題あるのかな。)


1982年11月・・・おいらにとっていろんな意味でターニング
ポイントになった時期。稼ぐことも覚えたけれど 社会の中で
人との諍いを覚えたのもこの頃。でもおいらに力を貸してくれ
る人に感謝するのを実感したのも。そしておいらも人のために
自分自身が何か出来ることはないだろうか?と。      
社会というものが それまで以上に身近に思えるようになった
・・・それがあの頃だったんだ。と思い返すこの頃。    
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DSCN0187_01.JPG
久しぶりに海の方へ行ってみた。夕刻を期待していた
けれど 東京湾越しの富士山は頭がちょっとだけしか
見えなかった。[カメラ]                
DSCN0185_01.JPG
車の総走行距離が 170,000kmになった。
最近は ガタガタしてきちゃってるし いつまで走れる
かな。買い替える余裕もないし。宝くじが当たらないか
な~・・・。                   

正月初めって何時だったかな・・・。もうしめ縄とか 鏡餅売っているから買っておかなきゃ!と思うんだけれど。今月も残すところ10日。いよいよ師走。毎年この時期になると書いているけれど 時間の流れが速すぎる。一日の時間は同じなんだけれどね。年賀状の絵柄も考えなくちゃ。今年は今のところ喪中欠礼が来てないから早めに書いちゃおうなんて思ったんだけれど もう少し待ってみようかな。
次回更新は11/27 0:00の予定です。[メモ] (いつも忙しないおいらだけれど)それでもゆっくり出来ているのは今のうちだけだろうな。今年こそ除夜の鐘が鳴り始めるころには ゆっくり出来るようにしたいな。そういえば紅白の出場歌手が発表になりましたね。SNSでも話題になっていたけれど なんか見る意欲を削がれちゃった感じがしている。半分以上判らない。時代なのかもしれないけれど オーソドックスな昭和の紅白が懐かしい。ちょっと期待してた 藤井風さんも出ないんだね。テレ東の”年忘れにっぽんの歌”とかって 大晦日放送するのかな?そっちの方が期待大だったりして。[TV] あ、やばっもうこんな時間!([時計]NOW TIME 11/18 金 16:15)夕飯の準備に取り掛からなくては!今日は 親も弟もいるから早く作らなくてはならない!現実はこんなもんだね!さて始めようかな。[レストラン]夜間は冷えそうですね。皆さん暖かくしてお過ごしくださいね。それでは今回はこのあたりにて ぐな~ぃ![夜]


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