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間に合った!更新時間5分前! [1984年のヒット曲]

は~ぁ…なんかすんごく疲れた一週間だった。と記事を書きだしたのは 1/27 22:30。[メモ] いつもなら予約投稿しているのに 今回は間に合わないかもしれない。母親の怪我から二週間。怪我自体はかなり治まってきているのですが 精神的な不安があったりして歩行が難しい時間帯があったり トイレや入浴の介助もあって おまけに粗相があったりとかで もうおいら自身の睡眠時間は取っていても熟睡出来ないから 何時もぼんやり気味。来週からはデイ・サービスに行ってもらわなくちゃ。こっちが壊れちゃうぜよ。はぬ~ん。なんか事務ソフトのCMで見た爆発する横澤夏子さんと滝藤賢一さん(なんか滑稽で思わず苦笑いしちゃうんだけれど!CMシリーズに結構ハマっていたりする。)と同じくおいらも爆発しちゃいそう。ぐふふ。・・・こう書いているくらいだから まだ余裕はあるんだけれどね。

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2024年最初の満月 ウルフムーン。
1/26 19:00ころ。
[カメラ]
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[るんるん]さてさて早く記事を書いて床に入らなければ。また何時起こされるか判んないし。今回の一曲は 1984年1月のヒット曲からのピックアップ。前回の明菜ちゃん「北ウイング」に続く40年前のヒット曲。明菜ちゃんはシングルチャートで この作品の”せい”で(こう表現するのもおかしいけれど ファンとしては やはりむずむずしちゃってたんだよね。)やはり購買層の世代的広さは否めないんだけれどね。前年末に発売されるやいなや初登場でトップに君臨して ひと月間首位を独走。前作に続き テレビ番組タイアップの欽ちゃんパワーは半端なかったね。ミリオンセラー。[るんるん]
DSCN1956_01.JPG 「もしも明日が・・・。」 わらべ 1983年12月21日発売 セカンドシングル 最大ヒットの代表作。前作「めだかの兄妹」に続き 欽ちゃん(萩本欽一)主演のバラエティ番組[欽ちゃんのどこまでやるの!]の中のコーナーで 倉沢淳美(かなえ)高橋真美(たまえ)+藤本正則(見栄晴)をメインのユニットによる”わらべ”のヒット曲。この頃に 三つ子の長女 高部知子(のぞみ)の ニャンニャン事件が発覚して同番組を降板してしまったための措置として 倉沢淳美と高橋真美をメインに 見栄晴を加え 同じく共演していた 真野順子 クロコグレコ(関根勤 小堺一機)も参加。後にテレサ・テンの一連の大ヒット作「つぐない」「愛人」「時の流れに身をまかせ」を発表した 作詞:荒木とよひさ 作曲:三木たかし のコンビによる ちょっとマイナーキーで寂しげなんだけれど 前向きな心温まる作品。
この頃の 欽ちゃんの勢いはかなり凄いものがありましたよね。1981年のイモ欽トリオ「ハイスクール・ララバイ」 よせなべトリオ「大きな恋の物語」をはじめ 欽ちゃんのテレビ番組から大ヒット曲がヒットチャートを賑わせました。なかでも わらべは デビュー作「めだかの兄妹」(荒木とよひさ/三木たかし)は 昨年惜しまれながらも他界された 坂本龍一さんのアレンジで大ヒット。週刊売り上げ最高3位 約88万枚の大ヒットに。「もしも明日が・・・。」は 翌年8月に ”音頭編”をリリース。続き第三弾「時計をとめて」は最高6位 約15万枚のヒットに。欽ちゃんのバラエティは 視聴者層の幅が広く子供からご年配までの購買層があって大ヒットにつながったんですね。毎週大人気の番組内(水曜放送)で 披露されることにより週後半の売上が伸びる要因に。その後 倉沢淳美と高橋真美はソロ活動で個々に歌手としての活動へ。「もしも明日が・・・。」は1984年の年間売り上げでも首位を獲得。同番組に出演していた ”村の時間の時間”の斉藤清六さんって 最近見かけないけれど どうしてるんだろう?


わらべの三人は おいらと同い年なんだよね。
学年はおいらの方がひとつ上なんだけれど。そうだ!見栄晴は
同じ学年なんだよね。彼の方がひとつ上なんだけれど。   
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まだ高いけれど ふんばって今年初めてのいちごを
買って来た。例年と比べると果物の価格が高い気が
するんだけれど。りんごは 一個¥98くらいだった
去年より¥100くらい高い。価格が安定していた
バナナも高くなってるな。みかんも・・・。 [目] 

あ~間に合うかな。今この行を書いているのが 23:45 更新まであと15分。書きたいこと多々あったんだけれど 次週に回そう。一月ももう残すところ4日。週末は節分だよね。暦の上では春だけれど まだまだ寒い日は続きそう。コロナがまた流行っているんだってね。気をつけなくちゃ。みなさんもご自愛くださり暖かくお過ごしくださいね。次回更新は 2/4立春 0:00の予定です。[メモ]
今回はこのあたりにて。ぐな~ぃ![夜]

[ひらめき]おまけ youtube 爆発する横澤夏子&滝堂健一


うわ~っ!更新時間だ![がく~(落胆した顔)]

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無性に声を出して歌いたい気分になった。 [1974年のヒット曲]

ざわざわする年の初めとなってしまいましたが なんとか穏やかにと思っていたら 先週の土曜の夜に親が腰をひねったらしく腰の筋肉を伸ばしてしまい ぎっくり腰状態に。おいらも 四半世紀前に椎間板ヘルニアで 同じような(親の方がまだマシだと思うけれど年もあるし。痛みは判るからまだ解釈出来てるのは未経験よりはね!)経験があるから ざわざわ気分は現実化しちゃって。ぬ~ん。
もう介護生活は入院時も含めて 五年以上になるし 入浴やトイレの介助が必要な時にはなんとかこなせるけれど やはり一番きついのは寝ている時に起こされちゃうこと。自然の生理現象(もちろんリハビリ・パンツとかも利用しているけれど)だから仕方ないけれど。脳(神経系)の方の薬を服用していたりもするので 普段の痛みなどの症状がより強く感じてしまったりすると 神経が高ぶって(皮膚の感覚が過敏になったり 尿意を必要以上に感じたりとか)優先事項が判らなくなってしまい ぷちパニックに似たような傾向も出ちゃうから どうなだめるかとか疲れちゃいます。それまではデイ・サービスに通っていましたが 症状がおさまるまで安静も必要なので 自宅での生活が中心になっちゃうと おいらもかかりきりになると 他のことが出来なくなっちゃうんですよね。今回の記事も間に合うか心配だったけれど 親が眠りに就いた深夜に。とはいえこっちも早く寝たいから 朝時間が出来た時とかちょこちょこ書いてなんとか。老齢期うつから パーキンソン病(確定的判断ではないのです。)の症状に移行している状態なので 治まっていたうつ状態で衝動的になっている状態が ぎっくりで焦る!迷う!判断しにくい!となると 腰の症状以上に心の症状を まず先に安定させるのにひと苦労。大声出すとかえって急かすことになりかねないしね。(←そうこう書いているけれど 第三者的においらがおいら自身を見れてるから 精神的には 数年前よりは介護というものを理解出来てきたようにも思えたり。決して安易には考えられないけれどね。)レビー小体型認知症の傾向も少しづつ出て来ているのかな。そういえば ヨーコ・オノさんもレビーの症状だとか言ってたけれど。最近話題を見聞きしないな。
うちの親は とりあえずギックリの痛みさえ緩和してきたら またデイ・サービスにも行きたい意欲は強いから 今のところ精神的なことは心配してないけれど。おいらの心の中は ざわわ。早く腰の調子よくなってくれて(期待は数日先になるだろうけど)一日数時間でも 前向きな時間を持てれば また気持ちも治まってくるだろうね。少しは介護系の勉強も してみようかななんて思うこともあるんですよね。以前のような仕事は多分復帰は難しいかもな。(あ~のっけから 脱線だよ![電車][電車][電車]

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弟が休みだった日に 買出しついでに数分よった近所の
公園に ロウバイが咲いてた。触らなかったけれど
透いた感じが 触れたら蝋細工みたいに 脆く壊れそう
だったYO。                   
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白梅もつぼみが大きくなってきてた!小さな春到来!
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[るんるん]さてと出だしが長くなっちゃったから 今回はコンパクトにまとめなくちゃ!今回は前回に引き続き 1974年(半世紀前)のヒット曲から。この年は 前年の女性アイドル大豊作から一変して 落ち着いた感じの歌唱力が話題を呼んだ歌手が出てきた年でもあったんですよね。今回の一曲も その中のひとり。数日前にコメント欄にちょっと書いたんだけれど ふと思い出して この歌をカラオケで歌いたいなって数日 口ずさんでたんですよね。そういえば彼女も 前回の小坂明子さんと同じく ダイエット本を出版されてたな。それも当時珍しかった”ヨガ”を取り入れたの。オールタイムのベスト・アルバムを期待しているんだけれどね。引退されてずいぶん経つしね。彼女の存在もヒットを出していた頃を知っている人でも覚えている方は少ないかもね。どこか不幸の不の字を背負ってしまったイメージが強いのは このデビュー曲の影響なのかな。おいらは結構好きなんだけれど。難しい歌でもあるから歌い甲斐はすんごくあるんだけれど。こんな曲あったね。って方も多いだろうね。[るんるん]
DSCN1955_01.JPG 「逃避行」 麻生よう子 1974年02月21日発売 デビュー曲。昭和を代表する作曲家 猪俣公章(坂本冬美が内弟子だったというのは有名ですよね。また挙げきれないけれど 森進一「女のためいき」「港町ブルース」「おふくろさん」 藤圭子「女のブルース」「京都から博多まで」 内山田洋とクールファイブ「噂の女」 五木ひろし「千曲川」をはじめ 数多くのヒット曲を発表)の門下生として歌のレッスンをされているところを レコード会社に見出されてこの作品でデビュー。麻丘めぐみ 山口百恵・・・のヒット曲で知られる作詞家 千家和也 当時 山口百恵 フィンガー5 山本リンダをはじめ大ヒットを連発されていた 都倉俊一のコンビでドラマティックな映像を描き上げスマッシュヒット。この作品で 同年の日本レコード大賞最優秀新人賞を獲得。同期には 浅野ゆう子 テレサ・テン 西川峰子 伊藤咲子 城みちる 荒川務 あいざき進也 リンリンランラン・・・と 現在でも活躍されている個性的な新人が揃っていました。ちなみにこのジャケットの麻生よう子の後ろに写っている駅舎は 改築される前の東京 原宿駅なんですね。(脱線するんですが おいらがボーカルレッスンに通っていた某作詞作曲家の事務所兼レッスン場があったのも当初は原宿だったので よく乗り降りしましたっけ。あの有名な竹下通りを通ってゆくんですけれどね。後に渋谷に引越し。脱線終わり。)
彼女の印象って さっきも書いたんだけれど どこか寂し気で不幸な感じが漂っている印象が強いんですよね。1979年には 一新して当時のディスコサウンドを日本語カバー。「恋のサバイバル2」グロリア・ゲイナーのカヴァーで布施明さんと競作。まぁ歌唱力には定評があったから 難しい曲ばかりで。「午前零時の鐘」「片隅のふたり」「霧笛」「雪どけ」西田佐知子作品カヴァー「涙のかわくまで」「恋のナイトライフ」ムード歌謡の名作「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」「赤坂の夜は更けて」「別れの朝」「ジョニィへの伝言」なども。あまり過去の映像動画が残っていないのですが おいらはこの作品の歌詞にも出てくる 古いタイプの革のトランクを持って トレンチコートみたいなのを着て歌ってた印象があるんですよね。千昌夫さんより早かった!歌手としてもコンスタントに活躍しながらも 突然話題になったのは やはりダイエット本を書かれて出版されるないなやロングヒット。今では 有名になったインド発祥の”ヨーガ”。あの頃はいろんな人がダイエットで再ブレイクしてたな。弘田三枝子 林寛子なんかもね。林寛子は子役時代もあるけれど 歌手としては同期でしたよね。あ~なんかまた声出して歌いたくなってきちゃった。夜中だからやめとくけれど。前の原宿駅の改札とかねすごく印象に残っていて この曲の歌詞をたどるとあの場所あたりなのかなとか 乗り降りした白い駅舎を思い出す。もう行かなくなって30年くらい経つけれど 原宿の駅って今でも皇室専用ホームってあるのかね?渋谷駅前も通っていた頃と全く変わっちゃったけれど 思い返すと懐かしいね。夢を追いかけていた頃。1984年1月22日 日曜日。レッスンがあった日に大雪が降って その後 名前も忘れちゃったけれどかわいがってくれてた プロになったシンガー・ソングライターの先輩と原宿から渋谷まで 歩行者天国のあった場所を歩いたっけな。あの頃は四季が今よりはっきりしてたね。どうしてるんだろう?思い出したんだけれど 一番最初にレッスンした曲は 中村雅俊「時代遅れの恋人たち」。あとは当時のアイドル渋谷哲平の作品もレッスンしてたな。吉川晃司の「モニカ」もリリースされてすぐレッスンしたっけ。十七のころ。それでは今回の一曲を!


当時よく駄菓子屋で 新人アイドルブロマイドって くじを
引いて集めてた。L判くらいなんだけれど あたりが出ると
大きいサイズのが貰えるの。フィンガー5 西城秀樹 桜田
淳子 山口百恵 南沙織 野口五郎とかね。で確か 麻生よ
う子のを 友達がひいて はずれだ!って捨ててた。あの時
もらっておけば良かった。なんて思いだした。小学生の子供
には 彼女はあまり人気は無かったのかもね。おいらは山本
リンダのが欲しかったけれど当たったことなかったな。おい
らにとっては大当たりなんだけれど![プレゼント]         
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初雪が降った日。20240113 17:00ころ。[雪]

時間が無いとか言いながら 書き出すといつも記事が長くなっちゃうね。まぁおいらの記憶のおぼえがきでもあるからいいんだけれど 拝見くださる皆さんには 読みにくくて申し訳ないです。ぺこり。過去のカミング・アウトというわけではないんだけれど 1984年のおいらは 今と比べて怖いもの知らずだったように思い返す。少しづつ知るんだけれど 芸能界の裏側って当時はほとんど表に出てこないような きな臭いこともあったんだよね。このところいろんな話題がざわつかせているけれど (ほとんど覚えてないけれど)レッスンしていてもいろいろと噂も入ってくることあったな。でも その頃の仲間は みんな夢持ってわきまえてたし おかしなのもいたけれどすれてなかったな。先生も事務所の人も厳しいところあったしね。すべてではないけれど 芸能だけじゃなくて政治の世界も いろんな社会の中でも 忖度というものは日常茶飯な事だろうしね。自信をしっかり持つこと 責任感が何よりということが 今の世の中試されているような気がする。情報を発信する側も受け止める側も。最近WEBニュースなんか見ていると嫌だな危険だな哀しいな・・・って思うことばかり目に耳に飛び込んでくる。正直者が馬鹿を見るようなことになってほしくないなとつくづく思うこの頃なのでした。今年のおいらの抱負は 物事を見極める一年でありたいなと。おいら自身 人に言えるほど出来た人ではないけれどね。

さて次回更新は 1/28 0:00の予定です。[メモ] もう睦月もおわり。大寒が過ぎたけれど 一年で一番寒い季節のど真ん中。みなさん体調崩されませんように!今回は このあたりにて。ぐな~ぃ![夜]

わすれな・めも ・・・ 20240122 02:35 定森由美子さん登場 & 川北恭子さん 畑 富子さん。

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小寒と大寒のあいだの中寒 [1974年のヒット曲]

毎年思うことなんだけれど 正月が過ぎ一段落して確定申告の領収書をまとめ始めると 一月は行く 二月は逃げる 三月は去るという言葉。早くも一月は半分に。[モバQ][あせあせ(飛び散る汗)]今年の抱負も考えている暇無く年は過ぎて行く。(金子由香利さんが歌ったムスタキのメロディが過る。♪ 眠っている間に 夢見ている間に 時は流れ 過ぎて行く・・・)無駄にしている心算は無いんだけれどね。冬場はどうも 二度寝 三度寝が心地よくて。[眠い(睡眠)]夕方も眠くなっちゃう。[がく~(落胆した顔)]そんなころ。。。

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日の入りも ほんのちょっと長くなって来たみたい。
電線に鳥がいっぱい付いている。六十四分音符みたい。
季節感のある被写体が見つからない。寒の真っ最中。
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[るんるん]今回の一曲は 年が変わって半世紀前も1974年に。おいらはこの年 小学二年生に進級。あまり記憶が無いというか これといったことが無く日々ありふれた感じだったのかな。進級と同時に初めてのクラス替えがあって 新しい友達も出来たんだけれど 合わない友達もいたりね。担任はいつも仏頂面していて嫌な感じだった。学校がつまらなく感じ始めたのもこの頃だったかな。(まぁ学校が楽しいというのもどうかなって思うけれど ひとの交友が広がり始めるということは そういうこともあるんだろうなって。仲良かった友達が一年生の終わりに転校しちゃったってのもあったんだけれどね。)今回は1974年の年明け頃のヒット曲から。前回(半世紀前シリーズ 1973年12月)は フィンガー5の「恋のダイヤル6700」が一位になった時は 首位争いが激しくて 「小さな恋の物語」アグネス・チャン 「愛の十字架」西城秀樹 「モナリザの秘密」郷ひろみ(1974年に初来日するんですよね。モナ・リザ) 「魅せられた夜」沢田研二(ジュテ~ム・・・) 「夜空」五木ひろし(前年レコード大賞受賞で急浮上)・・・フィンガー5が結局ひと月間トップに立っていたんですが その地位を脅かした新星が今回の一曲。1974年1月最終週に首位を獲得するんですが この作品が 1970~80年代に台頭するYAMAHA主催のポプコン&世界歌謡祭の参加作品からの特大ヒットのパイオニア。(関係ないけれど発売したのは 振興の外資系レコード会社 ワーナー・パイオニア)おいらの記憶の中で この作品が子供心にも 詞の世界を思い描くことが出来た?頭の中で歌詞を思い出して描いたヒット曲なんじゃないかなと。[るんるん]
DSCN1954_01.JPG 「あなた」 小坂明子 1973年12月21日発売 デビュー曲。今でも多くのアーティストに歌い継がれるエヴァーグリーンなこの作品は 今では伝説のシンガー・ソングライターの登竜門的コンテスト YAMAHA主催のポピュラーソング・コンテスト(ポプコン)1973年グランプリ(1973年10月14日開催)と 第4回世界歌謡祭(1973年11月18日開催)の両グランプリを獲得し 約ひと月後にレコードがリリースされるやいなやチャートに初登場。半月ほどで週刊売り上げベストテン(7位)にランクイン。二週後の一月末には首位に君臨。3月中旬まで7週連続の1位で 約165万枚の特大ヒット(年間第2位)に。(両コンテストでグランプリを獲得して首位を獲得したのは 中島みゆき/「時 代」14位 「わかれうた」1位・1977年)
兵庫県西宮市出身で 高校在学中にポプコンへ出場 グランプリを期にプロとしての活動を開始。この作品は もともと大ファンだった 当時大人気のバンド GARO(「学生街の喫茶店」 「君の誕生日」 「一枚の楽譜」・・・)のメンバーに歌ってもらいたくて作ったものだとか。続く「もう一度」 「丘の上の教会」 「愛する人のために」 
「JUNE BRIDE」もスマッシュヒット。その後はアニメーションやミュージカル作品の作詞作曲やプロデュースを中心に現在も活躍中。この作品には よりスローテンポなアルバム・バージョンもあって そこでは弾き語りで歌い上げているんですよね。大ヒットしていた頃は 歌詞の意味も良く判らずに 口ずさんでいたんだけれど 何時の頃だったのかな?叔父から借りていたLPの歌詞カードを読み返して 過去形の部分があったんですよね。改めて聴いたらせつなくてね。「あなた」には続編的作品があって それがセカンドシングルとなる「もう一度」。更に切ないんですよね。しばらくお見掛けしないなと思って 何年か後に週刊詩だかテレビで見かけた時 変わっておられてびっくりしちゃった記憶が。おいらも健康的に変身したい~っ。


翌年くらいだったかな 小坂恭子さんって やはりポプコン
から登場して「想い出まくら」が 大ヒットしたんだけれど
同じ人だと思ってたことがあったな。小坂恭子さんが歌って
いる姿の記憶がほとんど無いの・・・。         
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弟の家の[猫]にゃん。つくねちゃん。
うちの最後のにゃんずを見送ったのが 2017年。
それから抱くことも触ることも無かったんだけれど
1/2の日におせちを届けた時 数年前から存在は
知ってはいたんだけれど 初めて逢うことが出来て
抱っこしたら そう大きくないのに重いの!こんな
にゃんって重かったけ? こんなに優しい毛ざわり
だったっけ?って か細い声で お話ししながら
すりすりしてくる。連れて帰りたくなっちゃった。
でも 卒業した気持ちは変わらなかったYO。[目]
それでも かわいいね!もう1にゃん大きいのも
いるんだけれど 今回は写真撮れなかった。今度
お邪魔した時は ちゃんと撮ってこよう![カメラ] 

小寒から一週間以上 今週土曜日は大寒。まさに一年で一番寒い時期になりましたね。近所でもインフルエンザが流行っているみたい。入試も本番になって来てますね。やはりこの時期になると なんともね過去のことを思い出しちゃうんだけれどね。前記事にもちょこっと書いたんだけれど おいらは高校を辞めて その後大検(大学入学資格検定)を取って 大学入試してこともあったけれど やはり甘いものでは無かった。希望する進路はあまりにもかけ離れたものだった。まぁ どうあがいても縁なんかないし 経済的にも一番家の中が大変な頃だったから 理解したけれど。受験生は 後悔しないように頑張ってほしいですね。
次回更新は1/21 0:00の予定です。みなさん体調崩されませんようにお過ごしくださいね。今回はこのあたりにて ぐな~ぃ![夜]

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