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今年も師走の扉が開いたね! [1984年のヒット曲]

日に日に忙しなくなって とうとう今日は師走はじめ。正月飾りとか鏡餅とか少しづつ買いだしているんですが やっぱりいろいろと値が上がってるね。今までは 問屋さんで小さな鏡餅を買ってたんだけれど 今年は大きいのは別だけれど 小さいサイズの鏡餅(プラみかん付)は 100均で ¥220のを買って来ちゃいました。これは8か所飾るので8個 大きいのはディスカウントストアで。簡素化しても良いんだけれど先祖代々引き継いできちゃったので 出来るうちはやろうかなと。それでも裏白飾りは何年も前にやめちゃったから 後は3尺と荒神のしめ飾り買ってこなくちゃ。あ~っ Windows11もヴァージョンアップしなくちゃいけないし。レギュラーの記事もあと数回。とりあえずは年内は移行しません。というかやってる暇ない。。。なんか早い方はもう登録されちゃったりしてるから なんだか留年フィ~リングも漂うんだけれどね。ま~を![モバQ][あせあせ(飛び散る汗)]

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木曜日・・・用があったので三角屋根の取水塔の方まで
行って来ました。(江戸川/柴又帝釈天の裏の方)  
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陽射しは穏やかだけれど 川風は少し寒い。
今年の二時間だけのバカンスはお仕舞かな。
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写真は撮らなかったけれども 寅さんの扮装でおまいり
した方がいたよ。ちゃんと鞄も持って。撮影?じゃない
だろうけれど。佃煮屋さんと団子屋に寄って帰りました
正月には賑わうんだろうね。あのテーマソングがどこか
らか聴こえてくる。                
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[るんるん]さ~てと 今回の一曲は前回に引き続き 1984年(40年前)の今頃のヒット曲から。今回は アルバムからの選曲です。なんか思い出せないんだよね。1984年の年末って。友達なんかは進学(受験)や就職活動なんかで忙しくて。おいらも翌年の検定試験の勉強とかはしていたんだけれど バイトもあったかな。それに祖父が他界して2カ月経ってなかったし だから正月は無し。そんなで記憶が薄れているのかな。年末の賞レースは 新人賞で 吉川晃司と 故岡田有希子が競り合っていて 大賞は明菜ちゃんも本命視されてたけれど やはり五木ひろしの声は高かったね。そして紅白を期に引退間近だった 都はるみも話題になってた年末。(ミソラ発言もびっくりしちゃったYO。鈴木アナウンサーは 大黒天みたいな感じでしたっけね。)今回の作品は すぐにレコードを買ったわけじゃなかったんですが 時間があるたびに聴いていた有線放送からは 一時間に一回は必ず流れるくらいのリクエストが多かったね。(おいらの聴いていた船橋放送所だけじゃなくて全国的に。)しばらくしてから 親の営んでいた店によく来ていた人に 今回のアーティストの大ファンがいて千葉や東京でのライヴには必ず行ってたくらいの超熱狂ファンの方からレコードを譲り受けて。(のちにCDは買うんだけれどね。)良く聴いてたね。もうなんだかストレスが フル満タンになっちゃった時はステレオで少し大きな音で聴いてた。周りに迷惑掛からない程度にだけれど。それで少しクールダウンしてね。今もそう変わらないかもしれないけれど 否 今は落ち着いてきました。10代後半で 今となっては羨ましすぎるくらいにパワー?を持てあまして血気盛んなころだったっけね。おいらは羽目を外すようなことって殆どなかったけれど 寸前まで燃え上がって冷まして。。。17だもんね。って年バレっちゃうじゃん。[るんるん]

DSCN4780_01.JPG 「MONEY」 浜田省吾 1984年10月21日発売 ジャケットは収録(9枚目のオリジナル)アルバム『DOWN BY THE MAINSTREET』。何時頃から聴きだしたんだろう?多分CMソングとなった7枚目のシングル「風を感じて」(1979年07月01日発売)からかな?この作品がシングルとして 初のチャートイン作品。名前はよく知っていたけれど ライヴとレコード制作を中心に活動されているアーティストゆえに テレビの出演も殆どなく 音楽的に気になりだしたのが 1981年頃かな・・・所属レコード会社(CBS/SONY:現ソニーミュージック)のモニター会に参加してから。1981年8月リリースの「ラストショー」って作品を そのモニター会の時に衝撃を受けて
 レコードを買った。モニター会って何度も何度も聴いたりしていると アンケートを書くんだけれど あまり興味ないのって正直ペンが進まなくて。でも当時何を書いたか忘れたけれど この曲の感想は マスに入りきらなくなっちゃってはみ出してまで 感動的だったなって。勿論免許なんか持てないんだけれど 車に乗って聴いているようなドライヴ感が半端じゃなくて 暑さと日焼けのピリピリした名残を 夕日に向かって走っているような ややもの悲しさと躍動感といろんなものが ごちゃ混ぜになった(なんか恥ずかしいけれど)アヲハル~大人にスライドして行くような時期特有の バイタリティを有り余らせているような雰囲気で 無制限な若さを 今生きているように思えた。それは喜びだけでなくて 喜怒哀楽を多くの作品にこれでもかと注力したような作風が おこがましいけれど浜田省吾の作品なんじゃないかなって感じ始めていた。しかし音楽チャート的には なかなか恵まれなくて 有線放送なんかでは初期の作品からヒット中の作品まで いろいろ耳にして おいらはどちらかというとバラードは苦手だったんだけれど「路地裏の少年」「片思い」「青春のヴィジョン」(後にファンだった大沢逸美ちゃんがカヴァーしてた)「ダンシング・レディ」「もうひとつの土曜日」とか e.t.c. レコードは持ってなかったけれど よく耳にしてたっけ。『愛の世代の前に』(1981年09月リリース 7枚目)ってアルバムがあるんだけれど そこの中に前出の「ラストショー」と共に収録されているのが 11年後にドラマの主題歌となり ダブルミリオンの売上を誇り最高位も 初の第一位を獲得し名実ともに代表作となった「悲しみは雪のように」(初シングルカットは 1981年11月21日/ドラマ主題歌時の再リリース”シングルVersion”が1992年02月21日発売)そのアルバム『愛の世代の前に』以降は アルバムセールスもコンスタントに 上位に食い込み 発売されるアルバムは オリジナルだけでなく セルフカヴァー作品も連続大ヒット。しかしテレビには なかなか出演されないんですよね。勿論 彼のポリシーでもあるしね。もうひと言では 表せない濃密な活動が多くのファンを熱狂させて現在に至っているわけですよね。
そんな彼の作品の中で おいらが一番何度も聴いているのは「MONEY」と「DANCE」じゃないかな。両方ともこのアルバムに収録されているんだけれど 今でも何時聴いても 当時の若かりし自分の気持ちを思い出せるような気がして。「悲しみは雪のように」が超特大ヒットした時は なんだか複雑な気持ちだった往年のファンもいらしたようだけれど おいらもそんな感じだったかな。「MONEY」の爆発力はもう最高!なんとも言い表せない リベンジ精神に火が付くんだもん!実際は気持ちだけで 身体は ぷち追いつかないのが現実なんだけれどね。バラードも確かに良いんだけれど おいらは 爆発する浜省の方が好きかな。で疲れちゃったら「ラストショー」や「路地裏の少年」でクールダウンするの。カラオケで歌いたいと思うんだけれど 血圧上っちゃったり ブチ切れちゃうと怖いから歌わないけれどね。あとね「J・BOY」(10枚目のオリジナル『J・BOY』1986年09月04日発売に収録)も好きなんだよね。喜怒哀楽に振り分けるとしたら 「MONEY」「J・BOY」って ”怒”に入れてしまっていいんだろうね。当時も感じていたけれど 今も日常の中で 空虚なものに心をかき乱されてしまうことが おいらはあるんだよね。言葉では上手く表せないんだけれど それを共感しているような気がして。思うようには なかなかいかないのは仕方ないことなんだけれど ただ立ち止まって あ~でもないこ~でもないと 何かにぶつかるような気持ちで 諦めきれなくて どんなに小さくなっても灯を決して消さない生き方を おいらは続けていたいと 今は まだふつふつとさせていたりしてるのかもね。


さぁ また少しづつでも 前に進まなくちゃ![モバQ]
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ひさびさ 数量限定の  MOW Special 
今回は はんなり抹茶と黒ごま
まだ買ってきて冷凍庫でお休みちう。でも これまでに
無い感じ。アイスに黒ゴマをブレンドしたのって 結構
和風ていすと で いいかもね。[コンビニ]7-11にて
パッケージは 鬼滅の炭治郎を思い出しちゃうYO。
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そこら中 クリスマスも~ど!
なんか 年々クリスマスって他人事みたいに思えちゃう。
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[レストラン]こういうの食べてみたいな![レストラン]

さ~てと 次回の更新は 12/8 0:00の予定です。[メモ]今年のレギュラー記事は これを含めて三回かな。Seesaaブログへの移行も そのうちツールがリリースされることでしょう。またいろいろ ばたばた始まる時期だから 少しスローぺ~すでと思っています。みなさまも忙しない時期 事故や事件などにお気を付け下さいね。今回は このあたりにて。夕飯急いで作んなきゃ!(11/28 19:00なう![ペン])では ぐな~ぃ。[夜]

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夜の長さが せつなさを増すのか [1984年のヒット曲]

[がく~(落胆した顔)]なんだか…前の記事を更新以降 SSブログ終了(Seesaaブログ移行)のことを考えない日は無くて 妙にセンチメンタルな気分になったり 繋がりのあるブロガーさん(ご卒業された方とか)にメールを出したりして 今までの約15年分の記事や画像が この世から抹消されたりしちゃうとなんて考えてると 「みんな夢の中」高田恭子(若い方は?ですよね。1969年のヒット曲) や「もう逢えないかもしれない」菊池桃子(1985年のヒット曲)がぐるぐる脳内再生しちゃったり。あ!更新お休みされちゃってる あのブロガーさんにもコメントしなきゃとか ざわわ~っ。ぷちパラノイアふぃ~りんぐ<スキゾ&パラノは40年前の1984年の流行語>。([アニー平川物語]の再放送はじまりましたね。主題歌のイントロ「アルデバラン」が流れ出すと これまた ざわわとしちゃうんですよね。多分センチメンタルな気分になっちゃうのは もう師走だってのに 晩秋と初冬がせめぎ合ってるからなんだけれどね。寂しげな曲が似合う季節なんだよね。[もうやだ~(悲しい顔)]

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先週の記事を更新する前日に 3時間くらい時間作って
ひさびさの ”二時間だけのバカンス” を敢行したのだけ
れどまだ紅葉は早くて。。。千葉は関東でも 紅葉期が
最後なんですよね。それも北関東みたいに綺麗な紅葉っ
て限られちゃうし。運動不足解消兼紅葉を探しに行った
のは 千葉市の東の外れにある 泉自然公園という風致
公園(東京ドーム約9個分の面積)なんだけれど 実は
ここは 小学校2年生の頃に遠足で言ったところで半世
紀ぶりに訪れました。記憶は薄くなってたんだけれど 
赤い橋はかなり鮮明に覚えてました。運動も歩くことも
久々だったので 息は上がるは汗びっしょりになるわ。
でも 二時間だけでも 現実の生活を忘れることは出来
たので良かったかなと。年の瀬に向かって もう時間も
あまり調整できなくなりそうだしね。        
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[るんるん]さてと今回の一曲は 1984年(40年前)のヒット曲から。前年から存在は知っていたんだけれど この年の飛躍はすんごいものがあって 今回の一曲の存在は とてもキャッチ―でまさに衝撃。国内盤のアルバムからの先行シングルは 11月28日にリリースされるんだけれど 全世界的に12月に入るとかなりチャートの高い位置に初登場してセンセーショナルなPV(プロモーション・ビデオ)が 洋楽を放送する番組(MTVとかね)でかなりヘビロテしてたのを思い出します。この年は マイケル・ジャクソンのアルバム『Thriller(スリラー)』収録の作品が次々にPVを流して 洋楽ポピュラーが あまり詳しくないおいらでも気になる存在になってました。毎週末には 小林克也さんがVJを務める[ベストヒットU.S.A.]は よく見てました。その後のユーミンの旦那様(松任谷正隆さん)が時々出てくる[カーグラフィックTV]まで見て 気が向けばチャンネルかえて[オールナイト・フジ]なんか見たりね。でもって 今回の一曲のアーティストの登場は とにかくショッキングでした。マリリン・モンローの再来 80年代のセックス・シンボルとか 一部のマスコミでは セクシーな振る舞いで バカ女呼ばわりまでされてたんだけれど それだけ彼女の登場は凄いものでした。ベネツィアの運河でゴンドラに揺られ 橋にぶつからないかヒヤヒヤしたPVも飽きる程見たっけ!その後の彼女はセックス・シンボルから強い女性のシンボルへと変わってゆき リリースする作品は次々大ヒット。日本での公演も話題になりました。日本では 邦楽の中森明菜 洋楽の彼女の人気でワーナー・パイオニア(現ワーナー・ミュージック・ジャパン)は 潤いましたっけね。第一回のゴールドディスク大賞(1987年:対象年は1986年)のアーティスト・オブ・ザ・イヤーには二人が独占しました。” LIKE A ~ ”って ” ~のように ”って 意味の使い方を改めて覚えましたっけね。[るんるん]
DSCN4664_01.JPG 「ライク・ア・ヴァージン Like a Virgin」 マドンナ 1984年11月28日発売(国内発売)1982年秋にシングル「エヴリバディ」でデビュー。日本での初のシングルは1983年7月の「バーニング・アップ」。続く「ホリデイ」1984年1月 「ボーダーライン」1984年5月 「ラッキー・スター」1984年8月 及びそれらを収録したファースト・アルバム『MADONNA(邦題:バーニング・アップ)』のスマッシュ・ヒットの連続で話題になり 大ブレイクと共に追い風の中リリースされた超話題の作品が 今回の「ライク・ア・ヴァージン」と同時発売のアルバム『ライク・ア・ヴァージン』(欧米では 11月12日リリース)。1970年代のディスコ(今のクラブ)サウンドのブームを牽引したファンク・バンド シック(「おしゃれフリーク」は国内ディスコでもかからない日は無かったとか!)のギタリスト ナイル・ロジャースをプロデューサーに迎えた 同作品は共に ナンバーワン・ヒットとなり 1985年の活躍は 映画[マドンナのスーザンを探して] 初の全米ツアー[ザ・ヴァージン・ツアー]も話題になる中 最初の旦那様ショーン・ペンとの電撃結婚と話題を欠かさない存在で マドンナ・ブームは世界を駆け巡ったのでした。

この「ライク・ア・ヴァージン」は まぁ衝撃という以外無いくらいに スキャンダラスな話題と共に好き嫌いは判れても その存在感は日に日に大きくなって行きました。前出のマイケル・ジャクソンと共に音楽だけでなく ミュージック・ビデオの売上も話題に。同アルバムからは 次々とシングルカットされた作品がチャートを賑わせただけでなく 自身主演の映画と自身の出演は無く 音楽作品だけサウンドトラックに参加した作品が 次々大ヒット。「マテリアル・ガール」「クレイジー・フォー・ユー」「エンジェル」「イン・トゥー・ザ・グルーヴ」「ドレス・ユー・アップ」「ギャンブラー」。更には3枚目のアルバムのレコーディング 映画[上海サプライズ]の制作等 隙間のないくらいの活躍を。

この頃位から おいらも邦楽だけでなく洋楽ポピュラーの作品を聴くようになり 気になった作品はシングルを買うようになって 稼ぐというほどではないけれど 服や食べたり飲んだりするよりも レコードにお金をかけるようになりました。いつもピーピーしてたし それでも充実していたように思える。レンタルレコード店や中古レコード屋も時間があるたびに回ってた記憶。金銭的余裕というのは無かったけれど 音楽三昧という点では今以上にバブル感を感じていたかもね。時間制限が無かったから 同じような友達とお金を使わずに プールバーなんかも よく行きだしてたっけね。キリは無いんだけれども ナインボールを幾度プレイしてたかな・・・。


このPVのロケしている時に 一度は橋に頭をぶつけたんじゃ
ないかなと何度も思ったんだけれどね。どうだったんだろう?
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近所では見かけなくなっちゃった からすうり を
見れたのは嬉しかったね。公園から植木や植物 野草
昆虫・・・等の採取は 禁止されているので 持って
帰れないけれど その場その場でだから見れる存在が
あるって やはり風情があっていいなと。[カメラ]    
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前回の記事とは違うんだけれど この公園の池でも
鳥が浮いてたり 木枝にとまってたりしてたYO!
また何時か サクラやカタクリ ヤマユリなどが賑
わいを見せる頃に散策に行ければなと。[モバQ]    

書き出しの続きですが おいらは12月中旬のSeesaaブログへ移行ツールがリリースされるのを待って すぐでは無くとも 年明けごろからこのブログの開設日ごろに合わせてに移行する予定です。いつもお越しくださるブロガーさんたちから 色々と情報が入ってきているので検討しながら移行出来ればと思っています。来週の日曜日から師走が始まりますね。先日100均に ようやく正月飾りが並びだしたので 見繕って仕入れてきました。年賀状の準備も早く済ませてしまわないと。Windows11へのヴァージョンアップもしなくちゃいけないし。(もう一年無いですものね。)若い頃は とにかくせっかちで誰よりも早くなんて思っていたけれど 最近は幾分スローに焦燥せずになってきたみたいなので。。。気は焦っても 行動は着いて来なくなり。そんなんで良いのかもなって思うんですよね。[モバQ]さてさて 次回更新は 12/1 0:00の予定です。[メモ]もうそろそろ年末年始の予約投稿記事も考えなくちゃ。おせちの材料の仕入れもしてこなくちゃいけないし。やっぱりVポイント(旧Tポイント)使うのもためらっちゃってるから 今年も ゑせ料理人の包丁納めはしなくちゃなと。[レストラン]So-netブログでブログを書き始めた 2010年の年末記事から 毎年おせちの記事も楽しみにしてくれている方もいらっしゃるので SSブログのラストでも やっぱり更新なくちゃなと思ったりしてね。。。
段々と冬の寒さを感じるようになりましたね。一年お疲れもだんだんと出そうな時期ですので 皆様ご自愛くださり師走の扉を開けましょう!今回は このあたりにて ぐな~ぃ![夜]

わすれな・めも ・・・ (更新前) So-netブログが譲渡されて SSブログに変わったのは 2020年06月01日からだったのでした。
そして 「アルデバラン」の収録されたAIさんのCDを中古で安く手に入れることが出来た。

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冬が・・・はじまったね。 [1984年のヒット曲]

立冬の日に木枯らし一号が観測されて 冬のおとずれを告げましたね。翌日だったかな?情報番組で耳にして 知らなかったんだけれど(聞いた覚えもあるんだけれど・・・)木枯らしの観測地点って 東京と近畿地方に数か所だけなんですってね。ソメイヨシノの開花みたいに全国各地にあるのかと思ってた。外はそうでもないんだけれど これからの時期 家の中(特に居間)が冷えるんですよね。ホカペは用意してあるんだけれど まだ常時点けるには早すぎるし エアコンでもないし ストーブはまだ出してないし。灯油を買いに出る季節もそう遠くないのかな。

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やっと一個だけ買ってきた!まだ香りもしないし固いので
はやく食べたいなと思ってるんだけれど。[レストラン]

11月に入って またいろいろ値上がりしてる。三本入った
餡団子(なんかファンダンゴみたい!)と みたらし団子
(最近 テレビで歌わないな・・・。「ブッダのように私は
死んだ」坂本冬美)が ¥99だったのに ¥100以上に
なってるし 待ってるんだけれど 味噌(うちは料亭の味
がメインの味噌)は安売りしてくれないし・・・。[ふらふら]  
年越せるかな?光熱費も馬鹿にならないしね。ぬ~ん。 
部屋の窓(部分的)と ベッドとマットレスの間に 断熱
アルミシートを 貼り(敷き)ました。寝るだけだから 
自室の暖房は必要最低限で使わないんだけれど。布団だけ
は しっかり掛けないとね! 電気毛布ってのもあるんだ
けれど 昨年末~年頭~春まで使わずに済んだ。アルミの
シート(100均の!)意外と馬鹿に出来ないんだよね。 
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[るんるん]さ~て今回の一曲は 久々登場なんですが 40年前(1984年)の11月14日にリリースされる前から話題になっていて リリースと共に初登場一位を獲得。アーティスト・パワーは間違いなく一定レヴェルを安定させながらも 新曲が出るたびに話題になってましたっけね。毎回違うアーティストの提供される作品を 自らのカラーに染め上げての連続大ヒット期に入ってましたが 今回の作品で完全にアイドルという範疇から アーティストに移行出来たんじゃないかなってくらい 作品のクオリティは 最高のレヴェルまで押し上げ ヴォーカルも艶のある独自のビブラート唱法を完成させ 期待を遥かに超える作品が続くんですよね。おいらは 基本的にレコード(CD)のスタジオ録音の完成作品をベストに置くんです(ライブ・レコーディングって あまり好きじゃない。)が テレビやステージで歌うヴォーカルは 遥かにその上を行く臨場感を見せつけて 聴く耳を離れさせない安心の納得感を受け止めていました。ここからの快進撃は まさに脂ののった そして何より歌っていることが楽しいというか生き生きしていた 第二期の始まりなんじゃないかなと推測するのです。[るんるん]
DSCN4659_01.JPG 「飾りじゃないのよ涙は」 中森明菜 1984年11月14日発売 10枚目のシングル。何と言っても まず衝撃を受けたのは 井上陽水作品であるという所。1984年のシングルは 作曲提供されたアーティストが色とりどりで 「北ウイング」林 哲司 「サザンウインド」玉置浩二 「十戒(1984)」高中正義 そして今作が 怪しく艶めかしい作品を書いたら右に出る者はいないんじゃないかなというくらい独自のサウンドを操る (魔王)井上陽水。もうブログでは数えきれないくらい書いているんですが 井上陽水作品って おいらはすんごくお気に入りなんですよね。井上陽水オリジナル作品は 勿論なんですが この年は御自身の作品もとにかく話題になり 前月リリースの「いっそセレナーデ」は 本人も出演されたウイスキーのイメージソングとして 頻繁にブラウン管から流れ「飾りじゃないのよ涙は」と同時期に久々のトップテン入りの大ヒット。更には同曲 そして今回の「飾りじゃないのよ涙は」のセルフカヴァーを収録した セルフカヴァー・アルバム『9.5カラット』が暮れに発売され こちらは自身の3枚目のオリジナル・アルバム『氷の世界』に続き 発売直後に ミリオンセラーになり 年を越すロングセラーにもなりました。(同アルバムには 他にも「恋の予感」「ワインレッドの心」安全地帯 「ダンスはうまく踊れない」石川セリ・・・等収録)
「飾り~」は リリースされる前にレコード屋さんに予約を入れてあったんだけれど これほどまでに化学反応起こすような大作になるとは思ってなかったんですね。陽水さんが 明菜ちゃんの同期の三田寛子のデビュー曲「駈けてきた処女(おとめ)」と セカンドシングル「夏の雫」を書かれた時 高校デビューしたばかりのおいらは とりつかれたようにレコードを聴いてましたっけ。もう大好きな 不安定感を醸し出すアレンジで。陽水さんの作品って ピーカンじゃないんですよね。なにか雲が流れ込む翳りや危険な感じが漂っていて 背中に寒気が走るんですね。「夏の雫」は さんざん失敗作なんて(阿木燿子さんの詞も含め)当時は酷評を書かれてたけれど おいらは 大傑作だと思ってたもの!あんな感じで 明菜ちゃんにも曲を書いたのかな・・・と期待したら すごく裏切られちゃった。それもすんごく良い方に! 明菜ちゃんはデビューから ほぼバラード系作品とロック系作品を交互にリリースして来てたんだけれど 3年目となる1984年は まぁ見事にいろんなタイプ(前出の毎回違うアーティスト作品)の作品を発表していて この年の締めに登場したのが大傑作。ここでおいらは 明菜ちゃんは完全にアイドルではない存在に移行してなって確信しちゃった。(今回は詳しく書きませんが 翌年の第一作はその年のレコード大賞作品となる 「ミ・アモーレ(Meu amor é・・・)」松岡直也 作品で さらに作品の幅を広げるんですね。)1984年の年末は お金無かったけれど 明菜ちゃんの『POSSIBILITY』 陽水さんの『9.5カラット』 ユーミンの『NO SIDE』を とっかえひっかえ聴いてたのを思い出す。今でもどれも 甲乙つけがたいんだけれどね。そこに「飾りじゃないのよ涙は」も 勿論。当時は 車の運転免許を取れる年では無かったから 音楽は 自分の部屋のステレオの前で楽しむってのが当たり前でした。部屋にストーブ無かったから敷きっぱなしにした布団にくるまったりしてたっけね。家族が二人減った年の瀬だったからね。おめでとう無しの1985年正月は どんな年明けだったかは 全く覚えてないんだけれど 新しいバイト探してたような記憶が記憶の片隅に。18歳を前に 何か変わらなければいけないと思っていたっけ。同級生は 進学や就職を決めていた頃だったからね。音楽とかね 芸能関係の道って言うのも少しづつ違うのかなって思い始めてた。通信教育の勉強も始めてたな。持っていなかった教科書を友達から譲ってもらったりして。「飾りじゃないのよ涙は」を聴くと ハッキリ思い出せないけれど 変わっていかなければという心の過渡期と いろんな葛藤の濃い色あいが渦巻いて 若い日々の生活感の淡い記憶が消されちゃっているのかもしれない。。。流行歌だけは はっきり覚えているんだけれど。。。


この作品を境に 明菜ちゃんという感じが ちょっと似合わ
なくなってきた感じがするね。すごく女性っぽい感じがフツ
フツと感じるようになって。。。恋をしてたんだろうね。 
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♬ 夕焼けの赤い色は おいしそうな色~
種無し柿 や 富有柿が割合お安くスーパーに並んでいて
よく買います。りんごは まだ高くて手が出ないし。  
早いところ 一個¥100くらいでりんご(フジとか!)が
並ばないかな。夕焼け色のオレンジの果実は だんだんと
真冬に向かい赤い色に変わってゆくのだろう。りんご や
いちご へと・・・。                
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ハイソな住宅街の入り口にある ガス灯が夕暮れ時に目に
入るようになってきた。先日は 幕張新都心を通り抜ける
事があったんだけれど もうクリスマスイルミネーション
が点灯し始めたみたいだったよ。ゆっくりと 見に行ける
時間が出来ればいいな。スーパーには 正月飾りや鏡餅が
並び始め そこを通るたびに焦燥的な気分になっちゃう。
今週は もう11月も半分過ぎる週になるんだね。[モバQ][あせあせ(飛び散る汗)]

あ~ どうもこのところ眠気に襲われることが多くて やらなきゃいけないことを後回しにするとか 何とか乗り切ってやっちゃわなければ・・・って葛藤が。今やっちゃえば 後が楽だろうな!と思っても身体がブレーキかけようとしてるみたい。無理が効かなくなるのかな?親の方は 外出時に年頭から使っていた車椅子を使わなくなって 押し車(シルバーカー)で歩くまで回復してきてるので 来月あたりレンタルしている車椅子を返却しようかなと。二足歩行での外出は 危険で無理だけれど。せめて杖を使ってでも歩けるくらいまで回復してほしいと良いのだけれど。つくづく今年は 通院介助とか外出の際に車椅子を押して 実際に おひとりで車椅子で移動される方や 介護されている方の大変さが身に染みた一年。寝たきりにしちゃいけないと 必死にここまで来ましたが 幾分おいらもホッと。これから寒い時期になって 病気の症状である足などのむくみが出なければいいのだけれど。今月は予防接種もしてもらわないと。いろいろ考えると 年末のスケジュールも次々に詰まって来ちゃうんだろうな。おいら自身も体調崩さないようにしないと。[目]
さてと 次回の更新は 11/17 0:00の予定です。[メモ] すでにインフルエンザが流行期になって来ているみたいですね。それに相変わらず事故や事件も増えてきているようですし みなさんも 何かと気忙しい季節が近づきますのでご注意くださいね。今回は このあたりにて ぐな~ぃ![夜]

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