いまでも喝采は続く・・・。 [永遠の歌]
台風の進路が気になる日曜日。明日は敬老の日。おいらは毎日振り回されちゃってる?ので 敬老の日は関係ないです。というのは冗談ですが 日本の高齢化はどんどん進んでいますよね。とある問題で揺れている昨今 一点を集中して叩きたくはないんですが これからの政治はもっと福祉に力を注いでくれないものかと日々思うんですよね。消費税も最初は福祉のために使われる定義での課税だったけれど 怪しいったらありゃしない!全部予備費になってるんじゃないかな・・・。(軌道修正しなくちゃ!)
先日 夜明け間近の早朝にひと仕事済ませた時の帰りに
見かけた ザクロの実。食べにくくて淡過ぎる味ですが
なんとも滑稽で気になる存在だったりして。あ~ でも
なんで”ざくろジュース”ってあんな高いんだろ?どんな
味するんだろ?
「君たち ざくろ・びわ・あけび だね。」 大原めいこ
(そんな歌ありません。)
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さてさて今回の一曲は たぶん多くの人が知っているであろう日本のポップスの永遠の名曲。今回は このところ40年前シリーズが続いていましたが さらに10年遡った半世紀前のヒット曲。前回明菜ちゃんの れびゅ~をしたんだけれど おいらは 今回の一曲を歌ったアーティストと同じ匂いがするんですよね。もうずいぶん前からそう思っていたんだけれど。今回のアーティストは (当時はそんなこと思ってなかったけれど)多分おいらが生まれて初めて感じた歌姫(ディーバ)って この人かもしれないって思うんだよね。あの名曲が 先週の土曜日で発売からまる50年になってんですね。
「喝 采」 ちあきなおみ 1972年09月10日発売 13枚目のシングル。もう言うことない詞の世界と言いドラマティックなメロディといい さらに唯一無二の表現力をパーフェクトにミックスした名作。1969年6月 それ以前も下積み時代の長いキャリアを持ち「雨に濡れた慕情」で晴れてメジャーデビュー。デビュー作から当時としては異例の新人としてのセールス(最高23位 17万枚のヒット)をマーク。次作となる「朝がくるまえに」とともに現在の流行歌には あまりみられないタイプの(おいらの大好きな)怪しげな雨の日や夜明け前の雰囲気を醸し出すアレンジ(同時期のヒット曲には ピーター「夜と朝のあいだに」 由紀さおり「夜明けのスキャット」にも共通するような)で 何というのかな 新たな時代(新たな生活感)を目の前にした未知なる世界の夜明け前を 佇みながら膝を抱え見上げるようなとでも言いますか?おいらにはモノクロのイメージを感じるんですね。というのも おいらの子供の頃の写真は 1970年を境にモノクロとカラーの境目があります。なので実際にはそんなことないんですが 記憶もモノクロになってしまうんです。
学生運動を始め世の中がなんともグレイががったような世相の反面 新たな動きと若いパワーを感じさせる高度経済成長期。そんな世の中の迷いや殺伐とした中で 新たな模索をするような混沌としたような雰囲気を醸し出すような 何かが身をひそめるような祈るようなとでもいいますか 灯をかざすという感じというか 夜明けを待ちわびるような薄暗いアレンジの流行歌が流行った時代(他にも「時には母のない子のように」カルメン・マキ 「悲しみは駆け足でやってくる」アン真理子 「いいじゃないの幸せならば」佐良直美・・・あと おいらの大好きな作曲家 村井邦彦さんの作品も)に ちあきなおみさんの作品も色(艶という方がいいのかも)を添えていました。いしだあゆみさんの「ブルーライト・ヨコハマ」もそんな感じでしょ。決して明るくはないんだけれど 退廃感はないの。どこかに希望の兆しを見つけようとしているような絶望感はないの。(脱線の予感。軌道修正。)
翌年「四つのお願い」「X+Y=LOVE」の連続ヒットで ちあきなおみさんは大ブレイクするんですけれど その後は 名作はあるものの小ヒットで記憶に残るような作品は正直出ていなく ややマンネリ化と言ったら失礼ですがちょい低空飛行の安定した人気を保っていました。歌い手としての方向性がなかなか定まらず 起死回生のヒットをという時 デビュー曲を作詞した 吉田 旺さんが歌手の視点から世界観を書き上げたのが「喝采」だったのでした。しかし ちあきなおみさん御本人は それまでの自身の体験に偶然にも近いものがあり 当初は歌いたくないという答えを出していたんだそうです。レコード会社や関係者では その歌詞の世界観が物議をかもしていたのですが 吉田 旺さんは頑として譲らずリリースに至ったとか。しかし売れないだろうと言われていたこの作品は トントン拍子にランキングを駆け上り発売二カ月で ベストテンにランクイン最高2位まで駈け上り翌年春先に向けてミリオンセラーとなります。デビュー以来 オールマイティなジャンルを超えた歌唱力に定評はありましたから そのドラマティックな歌唱の姿もあって 人気が再燃したのですが 楽曲作品に対しての評価が何よりの選出基準にあった日本レコード大賞の大賞に 発売約三か月で受賞してしまう偉業を成し遂げてしまったのも ちあきなおみさんの歌唱があったからこそなんでしょうね。そして世に出た作品は 残念ながら歌い手なき今も歌い継がれ永遠の名作として名を残しています。ちあきなおみさんが最愛の旦那様を亡くされて歌手活動(公の場から姿を消して)を一切されなくなって 今年で30年。どこかで今も歌っているような気がしてしまうのは 何故なんだろう。喝采の歌詞の中に出てくる ”それでもわたしは 今日も恋の歌 うたっている” という部分がリフレインしてしまっているからなのだろうか。おいらは この歌のヒットしている頃に生死を彷徨うことがあったんだけれど なぜかこの歌を境に 過去の白黒の世界とカラーの世界の境を感じるのです。この作品はおいらにとって 子供の頃に聴いた(前出の)夜明けを待ちわびるような色合いを感じさせる 1960年代終わりの流行歌の世界観を弔った(あまり表現したくないけれど)ような一線を引いたような潔さを感じるのでした。レクイエム(60年代の流行歌への鎮魂歌)とでも言ったらいいのかな。あくまで個人の意見の範囲で。(「喝采」が発売されたころに大ヒットをしていた「どうにもならない」山本リンダ は まさに真逆の意をもった 流行歌の70年代への変身を意味しているように思えてしまう。「どうにも~」のまぶしすぎる陽射しは 夜明け前の60年代後半に見え隠れしていた小さな光の穴 つまり70年代という風穴を全開させた後の まぶしい夜明けの太陽光線のように思えるのでした。でも この作品が越えられなかった山は 「女のみち」宮史郎とぴんからトリオの超特大ヒットだったのでした。あくまで一時的な人気として!)なんか また解釈が難しいれびゅ~になっちゃったな・・・。雰囲気だけ感じてくださればすごく嬉しいです。
「喝 采」 ちあきなおみ 1972年09月10日発売 13枚目のシングル。もう言うことない詞の世界と言いドラマティックなメロディといい さらに唯一無二の表現力をパーフェクトにミックスした名作。1969年6月 それ以前も下積み時代の長いキャリアを持ち「雨に濡れた慕情」で晴れてメジャーデビュー。デビュー作から当時としては異例の新人としてのセールス(最高23位 17万枚のヒット)をマーク。次作となる「朝がくるまえに」とともに現在の流行歌には あまりみられないタイプの(おいらの大好きな)怪しげな雨の日や夜明け前の雰囲気を醸し出すアレンジ(同時期のヒット曲には ピーター「夜と朝のあいだに」 由紀さおり「夜明けのスキャット」にも共通するような)で 何というのかな 新たな時代(新たな生活感)を目の前にした未知なる世界の夜明け前を 佇みながら膝を抱え見上げるようなとでも言いますか?おいらにはモノクロのイメージを感じるんですね。というのも おいらの子供の頃の写真は 1970年を境にモノクロとカラーの境目があります。なので実際にはそんなことないんですが 記憶もモノクロになってしまうんです。
学生運動を始め世の中がなんともグレイががったような世相の反面 新たな動きと若いパワーを感じさせる高度経済成長期。そんな世の中の迷いや殺伐とした中で 新たな模索をするような混沌としたような雰囲気を醸し出すような 何かが身をひそめるような祈るようなとでもいいますか 灯をかざすという感じというか 夜明けを待ちわびるような薄暗いアレンジの流行歌が流行った時代(他にも「時には母のない子のように」カルメン・マキ 「悲しみは駆け足でやってくる」アン真理子 「いいじゃないの幸せならば」佐良直美・・・あと おいらの大好きな作曲家 村井邦彦さんの作品も)に ちあきなおみさんの作品も色(艶という方がいいのかも)を添えていました。いしだあゆみさんの「ブルーライト・ヨコハマ」もそんな感じでしょ。決して明るくはないんだけれど 退廃感はないの。どこかに希望の兆しを見つけようとしているような絶望感はないの。(脱線の予感。軌道修正。)
翌年「四つのお願い」「X+Y=LOVE」の連続ヒットで ちあきなおみさんは大ブレイクするんですけれど その後は 名作はあるものの小ヒットで記憶に残るような作品は正直出ていなく ややマンネリ化と言ったら失礼ですがちょい低空飛行の安定した人気を保っていました。歌い手としての方向性がなかなか定まらず 起死回生のヒットをという時 デビュー曲を作詞した 吉田 旺さんが歌手の視点から世界観を書き上げたのが「喝采」だったのでした。しかし ちあきなおみさん御本人は それまでの自身の体験に偶然にも近いものがあり 当初は歌いたくないという答えを出していたんだそうです。レコード会社や関係者では その歌詞の世界観が物議をかもしていたのですが 吉田 旺さんは頑として譲らずリリースに至ったとか。しかし売れないだろうと言われていたこの作品は トントン拍子にランキングを駆け上り発売二カ月で ベストテンにランクイン最高2位まで駈け上り翌年春先に向けてミリオンセラーとなります。デビュー以来 オールマイティなジャンルを超えた歌唱力に定評はありましたから そのドラマティックな歌唱の姿もあって 人気が再燃したのですが 楽曲作品に対しての評価が何よりの選出基準にあった日本レコード大賞の大賞に 発売約三か月で受賞してしまう偉業を成し遂げてしまったのも ちあきなおみさんの歌唱があったからこそなんでしょうね。そして世に出た作品は 残念ながら歌い手なき今も歌い継がれ永遠の名作として名を残しています。ちあきなおみさんが最愛の旦那様を亡くされて歌手活動(公の場から姿を消して)を一切されなくなって 今年で30年。どこかで今も歌っているような気がしてしまうのは 何故なんだろう。喝采の歌詞の中に出てくる ”それでもわたしは 今日も恋の歌 うたっている” という部分がリフレインしてしまっているからなのだろうか。おいらは この歌のヒットしている頃に生死を彷徨うことがあったんだけれど なぜかこの歌を境に 過去の白黒の世界とカラーの世界の境を感じるのです。この作品はおいらにとって 子供の頃に聴いた(前出の)夜明けを待ちわびるような色合いを感じさせる 1960年代終わりの流行歌の世界観を弔った(あまり表現したくないけれど)ような一線を引いたような潔さを感じるのでした。レクイエム(60年代の流行歌への鎮魂歌)とでも言ったらいいのかな。あくまで個人の意見の範囲で。(「喝采」が発売されたころに大ヒットをしていた「どうにもならない」山本リンダ は まさに真逆の意をもった 流行歌の70年代への変身を意味しているように思えてしまう。「どうにも~」のまぶしすぎる陽射しは 夜明け前の60年代後半に見え隠れしていた小さな光の穴 つまり70年代という風穴を全開させた後の まぶしい夜明けの太陽光線のように思えるのでした。でも この作品が越えられなかった山は 「女のみち」宮史郎とぴんからトリオの超特大ヒットだったのでした。あくまで一時的な人気として!)なんか また解釈が難しいれびゅ~になっちゃったな・・・。雰囲気だけ感じてくださればすごく嬉しいです。
おいらは ちあきなおみさんに
明菜ちゃんを重ねてしまうのでした。
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ちょっとリーズナブルになったので おいらの大好きな
青いみかんを買ってきました。何時からだろう?
冬の甘い過ぎるみかんをあまり食べなくなった。
冬でも酸味のある方が好き。それより酸味の強い青い
みかんは終わりかけの夏を いつも感じさせてくれる
存在でもあるのでした。
明菜ちゃんを重ねてしまうのでした。
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ちょっとリーズナブルになったので おいらの大好きな
青いみかんを買ってきました。何時からだろう?
冬の甘い過ぎるみかんをあまり食べなくなった。
冬でも酸味のある方が好き。それより酸味の強い青い
みかんは終わりかけの夏を いつも感じさせてくれる
存在でもあるのでした。
はてさて台風はどうなるんだろう。未だに屋根の一部分をブルーシートが覆ってるんだけれど なかなか修繕出来ないでいるんですよね。もう そろそろトタンを注文して直さなくちゃと思ってるんだけれど。このところ疲れが取れないのかな。時計の針が真上で重なる頃は 布団に入っちゃってる。朝方になったというわけじゃないけれど 疲れて起きてられなくなっちゃっている。昼間でも眠くなっちゃうこともあるんだけれど。
次回更新は9/25 0:00の予定です。もう九月も終わりじゃないかい!まもなく年賀状 大晦日なんて言ってられなくなるんだろうな。とにかく涼しくなってきそうだから体調を万全にしたいなと思ってます。皆さんも夏の疲れが出ませんように。今週は彼岸だ!墓参り行って来なくちゃ。では 今回はこのあたりにて。ぐな~ぃ!
次回更新は9/25 0:00の予定です。もう九月も終わりじゃないかい!まもなく年賀状 大晦日なんて言ってられなくなるんだろうな。とにかく涼しくなってきそうだから体調を万全にしたいなと思ってます。皆さんも夏の疲れが出ませんように。今週は彼岸だ!墓参り行って来なくちゃ。では 今回はこのあたりにて。ぐな~ぃ!
わすれな・めも ・・・ 20220919 06:00 忘れそうなキーワード 畑 富子さん 川北恭子さん
わすれな・めも ・・・ 20220920 06:45 昨日の朝 グリーンカーテン(ゴーヤー)を片付ける。そのあと 傘を持ってたけれど墓参りに行って土砂降りに降られて濡れて街角。
わすれな・めも ・・・ 20220920 06:45 昨日の朝 グリーンカーテン(ゴーヤー)を片付ける。そのあと 傘を持ってたけれど墓参りに行って土砂降りに降られて濡れて街角。
桜前線を見送ります。 [永遠の歌]
I WANT MY LIFE TO GO TO
”ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET” そうで ありたいと思いながら楽しみにしていた朝の連続ドラマが幕を閉じた。
あまり連続ドラマは見ない方なんだけれど 始まったばかりの頃 このドラマの中で幾度となく耳をくすぐってくれたJAZZの名曲が燻った生活の中で いつまでも残ってしまって時々顔を出す。もうだいぶ前30代くらいの頃かな?かじって その名曲もアーティストも知っていたのだけれど ふたたびはまるなんて思ってもいなかった。
”ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET” そうで ありたいと思いながら楽しみにしていた朝の連続ドラマが幕を閉じた。
あまり連続ドラマは見ない方なんだけれど 始まったばかりの頃 このドラマの中で幾度となく耳をくすぐってくれたJAZZの名曲が燻った生活の中で いつまでも残ってしまって時々顔を出す。もうだいぶ前30代くらいの頃かな?かじって その名曲もアーティストも知っていたのだけれど ふたたびはまるなんて思ってもいなかった。
今回の一曲は 書き出しにも書いたんですが久しぶりにはまった朝の連続ドラマ[カムカムエブリバディ]の中で キーワードの一つとなっていたJAZZの名作「ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET」。
「ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET~明るい表通りで」 ルイ・アームストロング 言わずと知れたJAZZ界永遠のミュージシャン。サッチモの愛称と白い歯が輝く優しくまぶしい笑顔 そしてなんとも言えぬ心がハミングするトランペットの音色さらに素朴で弾むような低音ヴォーカルが魅力のルイ・アームストロング。おいらの祖父とそう変わらない時代に アメリカ(ルイジアナ州)のJAZZ発祥の地ニューオリンズに生を受け 不幸な事件からトランペット(ちょっと小ぶりなコルネット)に出逢ったことがきっかけで 偉大なるミュージシャンへの軌跡が始まるのでした。(ここで詳細について書き始めると今記事がいつまでも完結を見れなくなってしまいますので残念ですが割愛。。。)サッチモさんの名前は知らなくとも 誰もが一度はどこかで名曲の数々を耳にしておられると思います。その中でも有名なのは CMでも良く流れていた「この素晴らしき世界~ワット ア ワンダフル ワールド」。
おいらは 彼の名前を知ったのは かなり前で父親が聴いていたオープンリールのテープの中に その名前が書かれていたものがありました。その少し前に小学校の頃 ブラスバンドでトランペットを吹いていたことがありました。全然うまくなんかないけれどね。もう今では吹けないな。3本のピストンの押さえ方は覚えているけれどマウスピースを吹くなんて何十年もしてないしね。小学校の高学年時だけで吹かなくなっちゃった。でもそんな経験からか ビックバンドJAZZって肩ひじ張らずに す~っと耳にしていたみたい。父親のステレオから聴こえてくるJAZZも。
以前にも記事にしたことがあるんですが 子供のころに聴いた曲のタイトルもアーティストも判らず 2~30年探していたことがあり その曲(「メイム」101ストリングス・オーケストラ)を探す途中でも その曲を演奏しているアーティストを片っ端から聴いてこれでもないあれでもないという時に ルイ・アームストロングの同曲も聴いた(かじって)のが 今回の一曲との出逢い。前出の「この素晴らしき世界」と「メイム」「ハロードーリー」は おいらが生まれた年の前後に録音されているのでした。(懐かしく思えるのは もしかしたら赤子の頃に耳にしていたのだろうか?)でも ベスト盤の中の一曲だったからいつか忘れていた。そして 朝ドラで再び出逢い それまで持っていなかったので今年になってCDを買いました。今回の一曲は勿論なだけれど 改めて聴くと意外と演奏の一部分だけでも聴いたことがあることに 不思議な親近感を抱きました。おいらは彼のほんの一部しか聴いたことがないから れびゅ~なんて大それたことは出来ないけれど 今回聴き直してみたことで JAZZってとても縁遠く感じるジャンルだったんだけれど ルイ・アームストロングの登場は JAZZとポピュラーミュージックの架け橋を結んだアーティストだったんだと まだ音楽史の知らないことが多い時代のほんの一部分を理解出来た瞬間なのでした。
彼の歌う歌詞の日本語訳を見返したんだけれど 今回の朝ドラの時代感や 今のなんとも雲行きがスッキリしないおいらの毎日の生活感の(否 多くの人の気持ちに共感するんだろうね。)傍に寄り添ってくれているようで ほろっとしてしまった。”悩み事はひとまず置いて ドアを開けよう!” ”明るい表通りを歩けば すべては上手く行く” 前向きに風に吹かれて ここまで来たけれど ほんのちょっとしたことで 転がるように周りが見えなくなってきてしまっていた毎日に 寄り添ってくれているのがあまりにもタイムリーで シンクロニシティを感じずにいられなかった。新しく手にしたCDが おいらの大事な一枚になったのでした。
また新たな荷物を担がなくてはならなくなったけれど・・・。
「ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET~明るい表通りで」 ルイ・アームストロング 言わずと知れたJAZZ界永遠のミュージシャン。サッチモの愛称と白い歯が輝く優しくまぶしい笑顔 そしてなんとも言えぬ心がハミングするトランペットの音色さらに素朴で弾むような低音ヴォーカルが魅力のルイ・アームストロング。おいらの祖父とそう変わらない時代に アメリカ(ルイジアナ州)のJAZZ発祥の地ニューオリンズに生を受け 不幸な事件からトランペット(ちょっと小ぶりなコルネット)に出逢ったことがきっかけで 偉大なるミュージシャンへの軌跡が始まるのでした。(ここで詳細について書き始めると今記事がいつまでも完結を見れなくなってしまいますので残念ですが割愛。。。)サッチモさんの名前は知らなくとも 誰もが一度はどこかで名曲の数々を耳にしておられると思います。その中でも有名なのは CMでも良く流れていた「この素晴らしき世界~ワット ア ワンダフル ワールド」。
おいらは 彼の名前を知ったのは かなり前で父親が聴いていたオープンリールのテープの中に その名前が書かれていたものがありました。その少し前に小学校の頃 ブラスバンドでトランペットを吹いていたことがありました。全然うまくなんかないけれどね。もう今では吹けないな。3本のピストンの押さえ方は覚えているけれどマウスピースを吹くなんて何十年もしてないしね。小学校の高学年時だけで吹かなくなっちゃった。でもそんな経験からか ビックバンドJAZZって肩ひじ張らずに す~っと耳にしていたみたい。父親のステレオから聴こえてくるJAZZも。
以前にも記事にしたことがあるんですが 子供のころに聴いた曲のタイトルもアーティストも判らず 2~30年探していたことがあり その曲(「メイム」101ストリングス・オーケストラ)を探す途中でも その曲を演奏しているアーティストを片っ端から聴いてこれでもないあれでもないという時に ルイ・アームストロングの同曲も聴いた(かじって)のが 今回の一曲との出逢い。前出の「この素晴らしき世界」と「メイム」「ハロードーリー」は おいらが生まれた年の前後に録音されているのでした。(懐かしく思えるのは もしかしたら赤子の頃に耳にしていたのだろうか?)でも ベスト盤の中の一曲だったからいつか忘れていた。そして 朝ドラで再び出逢い それまで持っていなかったので今年になってCDを買いました。今回の一曲は勿論なだけれど 改めて聴くと意外と演奏の一部分だけでも聴いたことがあることに 不思議な親近感を抱きました。おいらは彼のほんの一部しか聴いたことがないから れびゅ~なんて大それたことは出来ないけれど 今回聴き直してみたことで JAZZってとても縁遠く感じるジャンルだったんだけれど ルイ・アームストロングの登場は JAZZとポピュラーミュージックの架け橋を結んだアーティストだったんだと まだ音楽史の知らないことが多い時代のほんの一部分を理解出来た瞬間なのでした。
彼の歌う歌詞の日本語訳を見返したんだけれど 今回の朝ドラの時代感や 今のなんとも雲行きがスッキリしないおいらの毎日の生活感の(否 多くの人の気持ちに共感するんだろうね。)傍に寄り添ってくれているようで ほろっとしてしまった。”悩み事はひとまず置いて ドアを開けよう!” ”明るい表通りを歩けば すべては上手く行く” 前向きに風に吹かれて ここまで来たけれど ほんのちょっとしたことで 転がるように周りが見えなくなってきてしまっていた毎日に 寄り添ってくれているのがあまりにもタイムリーで シンクロニシティを感じずにいられなかった。新しく手にしたCDが おいらの大事な一枚になったのでした。
また新たな荷物を担がなくてはならなくなったけれど・・・。
あ!文四郎が結婚したデイジーの名前は ルイ・アームスト
ロングの最初の奥様から取ったのかもしれない!
きっとそうなんだろう。。。カムカムいろいろ?!
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ビタミンカラー!菜の花の黄色と緑がまばゆく目に
飛び込む季節になった。
先日親のこれからについて 老健のケアマネージャーさんと面談をしてきた。正直なところ また肩に大きなものを担がなくてはならなくなった。約10ヶ月医療機関から移動して 病状や生活管理生活してきたのですが 来月半ばくらいをめどに 自宅での生活と小規模多機能施設への通い(デイケア)に移行することに。家での生活を基本とするために 今までのような仕事はさらに難しくなった。しかし 一人っきりで住まわせる状態は不可能だからしばらくは仕方ないことだろう。最近 専業主婦をされている方の ご苦労がものすごく良く判る。家の中のことと仕事そして介護の両立は正直甘いものではない。何かが犠牲になるのは仕方ないこと。それでも誰かが守らなくてはならない。こんな人生のつもりではなかったとは 今までも何度も思ったけれど。もうあまり考えても始まらない。何かきっかけが出来て 新たなチャンスを待つべきなのだろう。明るい表通りで風に吹かれるだけでも良いのかもしれないね。
こうでなくてはならない!ということはないだろう。またいつか岐路が見えてくるだろう。それでいいのだろう!重なるわけではないけれど 祖父の生きざまとおいらの生き方が どこか重なるように思えてきた。。。
次回更新は 4/17 0:00の予定です。桜前線を見送りました。これから花の時期を迎える地域の皆さんに早く おだやかな陽気とまばゆい桜の季節が届きますように!
こうでなくてはならない!ということはないだろう。またいつか岐路が見えてくるだろう。それでいいのだろう!重なるわけではないけれど 祖父の生きざまとおいらの生き方が どこか重なるように思えてきた。。。
次回更新は 4/17 0:00の予定です。桜前線を見送りました。これから花の時期を迎える地域の皆さんに早く おだやかな陽気とまばゆい桜の季節が届きますように!
今週は多忙になるかもしれませんので皆様のところへの御訪問 コメントのお返しの時間が遅くなるかもしれません。今回はこのあたりにて。まだ季節が戻る日があるようです。体調崩されませんように。では ぐな~ぃ!
わすれな・めも ・・・ 20220410 0:30 ”ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET” で思い出した。足立sunnyさん 元気にしているかな。
わすれな・めも2 ・・・ 20220411 21:00 今日の午後 屋根の塗装を済ませた。
わすれな・めも2 ・・・ 20220411 21:00 今日の午後 屋根の塗装を済ませた。
西城秀樹さんを偲んで [永遠の歌]
(予定日前倒し更新!)
今週は 仕事が立て込んでいて 帰ってきて夕飯作って食べ終わったら もうすぐにまぶたが重くなって来てしまいだらしないんだけれど 2~3時間ひと眠りしてからでないと動けなくて だるびっしゅをこえてグロッキー気味な一週間を無事乗り切れた。そんな中 木曜日の昼に 突如飛びこんで来た西城秀樹さんの訃報で 気持ちもかなり疲れちゃった。午後からも仕事だったんだけれど 秀樹さんの往年の名曲が頭の中をぐるぐる駆け巡っちゃって 仕事もなんだか手につかないし なんでこんなに余裕がないの?!と。そしたらいつの間にか虫に刺されちゃってたの?また蕁麻疹出ちゃった。この前よりひどくなかったから良かったけれど。気分は悪循環。正直なところ今回の記事は 何時もの更新時間に間に合わないかも・・・なんて思っていた。やっぱり疲れているのかな。ニュース見たかったけれど 親の調子も良くなかったから代わりに用を済ませて そんなこんなで 連日0時過ぎにPCにログイン。ブログ巡りが唯一ホッと出来るシンデレラ・リバティ。
今週は 仕事が立て込んでいて 帰ってきて夕飯作って食べ終わったら もうすぐにまぶたが重くなって来てしまいだらしないんだけれど 2~3時間ひと眠りしてからでないと動けなくて だるびっしゅをこえてグロッキー気味な一週間を無事乗り切れた。そんな中 木曜日の昼に 突如飛びこんで来た西城秀樹さんの訃報で 気持ちもかなり疲れちゃった。午後からも仕事だったんだけれど 秀樹さんの往年の名曲が頭の中をぐるぐる駆け巡っちゃって 仕事もなんだか手につかないし なんでこんなに余裕がないの?!と。そしたらいつの間にか虫に刺されちゃってたの?また蕁麻疹出ちゃった。この前よりひどくなかったから良かったけれど。気分は悪循環。正直なところ今回の記事は 何時もの更新時間に間に合わないかも・・・なんて思っていた。やっぱり疲れているのかな。ニュース見たかったけれど 親の調子も良くなかったから代わりに用を済ませて そんなこんなで 連日0時過ぎにPCにログイン。ブログ巡りが唯一ホッと出来るシンデレラ・リバティ。
フエルト・すい~つのコーナー & くっきんぐ の こ~な~ 共に今回は 全く時間が取れない状況の為お休みです。 ぺこり。
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今回の一曲は どれとは正直決められないほど 沢山の名曲を残して 先日5月16日に旅立たれた西城秀樹さんの作品の事を書きたいと思います。
おいらが物心ついた頃から第一線でトップ・アイドルとして活躍されていた西城秀樹さん。鮮明には思い出せないのですが 最初に意識し始めたのは小学校に入学したばかりの頃。子供には視覚から受ける影響はかなりあったのでしょうね。西城秀樹さんと言えば 派手なアクションの振り付けとパワフルな歌唱。ちょうど同時期くらいに第二期ブームがおとづれていた山本リンダさんと共に 強烈な印象は 多くの子供をブラウン管の前にくぎ付けにするセクシーな魅力と言うファクターをぎらぎらさせて デビュー当初の青春歌謡っぽい作風からイメージチェンジしたのが 5枚目のシングル「情熱の嵐」(1973年05月25日発売)でした。おいらが初めて恥ずかしながら真似をしたのは この作品。歌詞の意味も知らずに ”君が望むなら 命をあげてもいい・・・” とパワフルに歌いあげる姿でした。そして日本でのマイク・アクションのパイオニアとなったのが このあたりからで 物珍しくスタンドマイクを振り回し歌う姿に またも釘づけになるんですよね。
おいらが物心ついた頃から第一線でトップ・アイドルとして活躍されていた西城秀樹さん。鮮明には思い出せないのですが 最初に意識し始めたのは小学校に入学したばかりの頃。子供には視覚から受ける影響はかなりあったのでしょうね。西城秀樹さんと言えば 派手なアクションの振り付けとパワフルな歌唱。ちょうど同時期くらいに第二期ブームがおとづれていた山本リンダさんと共に 強烈な印象は 多くの子供をブラウン管の前にくぎ付けにするセクシーな魅力と言うファクターをぎらぎらさせて デビュー当初の青春歌謡っぽい作風からイメージチェンジしたのが 5枚目のシングル「情熱の嵐」(1973年05月25日発売)でした。おいらが初めて恥ずかしながら真似をしたのは この作品。歌詞の意味も知らずに ”君が望むなら 命をあげてもいい・・・” とパワフルに歌いあげる姿でした。そして日本でのマイク・アクションのパイオニアとなったのが このあたりからで 物珍しくスタンドマイクを振り回し歌う姿に またも釘づけになるんですよね。
サウンド面でも激情的なアレンジ(編曲)が注目を浴び洋楽ポピュラーファンも引き寄せることによりトップセールスを記録する大ヒットに。「ちぎれた愛」(1973年09月05日発売 6枚目)で 初のウイークリーシングルチャートのトップにランキングされ 曲間にセリフを取り入れたことは 後の役者としての活躍の場でもプラスとなる指向を漂わせていましたっけ。そして 曲間にファンが彼の名を叫ぶような間合いを取り入れたことも ファンとの距離を縮めるヒット要因のひとつでした。「激しい恋」(1974年05月25日発売 9枚目)もその代表的作品。おいらはあまり得意ではないのですが 激しいロック調の作品だけでなく 時に絶叫し 時にハスキーな歌声で甘く囁くバラード調の作品も積極的にリリースしたことが もうひとつの一面を引き出すきっかけに。「傷だらけのローラ」(1974年08月25日発売10枚目)なども大ヒット。また ロック調 バラード調と次々にヒット作をリリースをして行きますが サウンド面でも画期的な音響効果や 最先端の洋楽ポピュラーをイメージしたようなアレンジも魅力にひとつとして注目されて行きます。「ブーメランストリート」(1977年03月15日発売20枚目)では ステレオの効果を十二分に楽しめる イントロで左右にブンブン飛びまわる効果に初めはびっくりしましたっけ。個人的に好きなアレンジなのが「ボタンを外せ」(1977年09月05日発売22枚目)のソウルフルなマイナー調。「ブーツをぬいで朝食を」「炎」「ブルースカイブルー」「遥かなる恋人へ」等の頃は 次々に作品のヴォルテージを上げて行きます。
この頃でしたか おいらは それまで生きてきた11年の人生の中で初めて 歌手の(ミニ)コンサートと言うものを体験するのです。地元のスーパーの開店一周年記念の催しものだったのかな?たまたま スーパーへ行きイヴェントなんて全く知らず屋上に行ったら ドアーを締めきられる直前に屋上へ出れて(セットリストは忘れちゃったけど)西城秀樹さんがステージへ登場したのにびっくりして おいらは 連れて来てくれた祖父の「もう帰るよ!」との呼びかけに 「もう少しだけ待って!」と最後の曲まで 呆然と立ち尽くし秀樹さんの歌う姿を見ていたのが 初めてのコンサート体験。「炎」「ブルースカイブルー」を聴いたのは鮮明に覚えているんですよね。
その翌年には 秀樹さんの一番の売り上げを誇る作品がリリースされるってことは デビュー6年目どんなに多忙なスケジュールの中の(ミニ)コンサートだったかと 今思うと貴重な体験だったのでした。
「YOUNG MAN (Y.M.C.A.)」(1979年02月21日発売28枚目)「勇気があれば」(1979年09月05日発売30枚目)この年は 西城秀樹さんにとってエポックメイキングな一年となりました。年末の賞レースでは 数々の受賞で金字塔を打ち立てました。若干24歳。その後は このカヴァー作品に続き 洋邦問わずのカバー作品の大ヒットもありました。大ヒット作品が RCAレーベル(現在はソニー・ミュージック)に在席されていた時期と重なりますが その後も西城秀樹さんでなくては歌えないオリジナル作品を発表現在までに 87枚のシングルをリリースされています。
正直おいらは 追悼と言う気持ちにはなれないんですよね。西城秀樹さんの諸作品は これからも永遠に歌い継がれて行くことと思わずにいられません。きっとこれからも どこかでいつも西城秀樹さんの作品は生き続けて行くはずです。おいらは とても決められないのだけれど 今回二曲をやむおえず選曲しました。西城秀樹さんの作品の中でも とてもお気に入り。この二曲をおいらのところでは 選出させていただきます。
「エンドレス・サマー」 西城秀樹 1980年07月21日発売 34枚目のシングル 残念なことにこの作品は ウイークリーセールスのベストテンに入ることはなかったのですが 毎年夏が来るとこの作品の空気感を無性に感じたくなるんですね。昨今の異常気象の夏の陽気でなく 夏がとても愛おしかった頃の太陽と海風と流れる雲 焼けた砂の熱さ 潮騒 燃える海の碧を思い出し 懐かしい夏へ帰りたくなるのです。イントロで サイレンホイッスルが小気味よく爽やかな風のように聴こえて来ます。そこでおいらは時間旅行へ旅立つのです。
「腕の中へ-In Search of Love-」 Hideki Saijo & Barry Manilow(西城秀樹&バリー・マニロウ) 1985年11月21日発売 53枚目のシングル バリー・マニロウさんの作曲。西城秀樹さんがソロで歌った 12 inchシングル・ヴァージョンもあるんですが ちょっとたどたどしいバリー・マニロウさんとのデュエット作に 日本のポップスも世界で通用するのではないかと 初めて聴いた時からひとめぼれ(ひとみみぼれ?)した作品。バブルの上り調子だった この時期は 海外から影響された音楽も次々と入ってきて 普段は洋楽もどちらかと言うと 売れている作品のごく一部しか知らなかったおいらでも なんか良いかも!と邦楽と同じくらい洋楽を聴いた時代でした。まだ打ち込みサウンドも目新しい頃でいろんな可能性を感じた頃でしたっけ。バリー・マニロウさんも西城秀樹さんの急逝に驚いておられるのではないでしょうかね。一曲目に選出した「エンドレス・サマー」においらは 西城秀樹さんが歌う「コパカバーナ」のメロディとアレンジを思い重ねてしまうのです。ゆえにこの二曲が好きなんですよね。
今回は かなりおいらの思い出をフィーチャーしてしまいましたが 西城秀樹さんの沢山の作品は いつまでもおいらの記憶と共に焼き付いて行くことでしょう。西城秀樹さん きっと今頃は 体調も万全に戻られて最高の状態で歌うことが出来るのでしょう。ご冥福をお祈りすると共に 聴く者がいつまでも忘れないように歌いづづけてくださいね。沢山の作品をありがとう。。。
日曜日の早朝(5/13)いろんな花期が早まっているのが気になって(時間の余裕もないのに) 千葉公園の大賀ハスの様子を見に行って来ました。まだまだ時期尚早だけれど 今年も沢山の大賀ハスが見れそうですね。噂のかっちょいいカメラマンさんも出現するかもしれない?
今回の記事は イレギュラーな感じになってしまいましたが 改めて西城秀樹さんのご冥福をお祈りしたく思います。次回更新は5/25 0:01の予定です。
暑かった陽気が一段落しそうですね。気温や湿度が変化しやすいようです。みなさま十分体調管理に御注意くださいね。今回はこのあたりにて ぐな~ぃ!
わすれな・めも ・・・ 20180518 17:30 ゴーヤーの苗を植える。