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1974年のヒット曲 ブログトップ
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卵焼きだけのお弁当は いやだったんだよ。 [1974年のヒット曲]

いよいよこちらでは ソメイヨシノが咲きそうだけれど やっぱり思った通りに公園へ出向いて見に行くことは 例年より難しそう。真夜中でも入れるんだけれど 街灯も無く真っ暗だしね。へんな人にへんな事されちゃったら怖いでしょ!おいらが変な人に思われるのもね。[爆弾] 昼間も 週末は流石に人がかなり多いし なんかまた麻疹(はしか)とか流行ってるとか。子供の頃麻疹のワクチンって予防接種しなかったかな?三種混合とかBCGだっけ?はやった記憶あるんだけれど。あととこじらみどうたら・・・とかってのも話題になってるでしょ。かからないに越したことないけれど ワクチンも信用しきれないのもあるしね。う~む。

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3/22午後の公園のつぼみ。昨日の雨に打たれて
また促されているかもね。長く咲いていてくれると
いいね![かわいい]                  
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[るんるん]さてと今回の一曲にまいりましょう!今回も前回に引き続き 半世紀前1974(昭和49)年の今頃のヒット曲から。このころおいらは 弟がひとりいたんだけれど もうひとり5月に生まれる予定の 弟だか妹が生まれる頃でワクワクしてたっけ。結局は弟なんだけれど ちょうど生まれようとする頃に親が産院に入院して その頃(進級して二年生になっての5月)社会科見学があったわけ。前にもどこかで書いたんだけれどね。おやつは買った記憶ない!(学校で用意したのかな?記憶にない。)でも お弁当は持っていかなくちゃいけなくて 祖母は作ってくれないし父親が結局作ったんだけれど お弁当箱に白いご飯と卵焼きだけ・・・。せっかく作ってくれたけれど 恥ずかしくてね嫌でね。友達はおかずいっぱいのお弁当とか持って来るって判ってたからみじめでね。今思い出しても隠れて食べてた。あ!やっぱりおやつはクラスで用意してたんだ。そうそうビスケットとか。どこかの大きな公園の草むらで食べたんだけれど やっぱり嫌だったな。サンドウィッチやおにぎりとか持ってきてる友達が羨ましくて(「うらみます」中島みゆき の歌詞の一部を思い出してしまった。・・・うらやましくて今夜泣くと思います・・・怜~子 いい女になったね。ってね。[電車]予感。)あの頃思ったんだよ。大きくなったら自分で お弁当とか作れるようになりたいって!だからね上の弟も その時生まれた下の弟もお弁当作ってあげることがあって 惨めな思いしないようにおかずいっぱいのお弁当作った。幾度もね。親も忙しかったし。(ほら脱線![電車][電車])軌道修正。今回は 当時はすごく嫌いだった歌なんですが 今は凄く好きなんです。なんでかっていうと のどが渇くような特徴的な擦れた声があまりに印象的で さらに寂しそうなマイナーキーの歌で。(思い出した!)そうそう今回のこの一曲を歌った人と 梶芽衣子さん(「恨み節」とか 女囚さそりで有名な女優さん!)が区別つかなかった。他にも范 文雀(はん ぶんじゃく)さんとかもね。みなさん髪が長いからなんだけれど あとね藤 圭子(宇多田ヒカル 母)さんも含めて 笑った顔の印象が無いの!藤 圭子さんは そういう売り方(笑い顔を見せるなって!)だから仕方ないんだけれど。なんか怖い感じが子供心にね。今回の一曲のこの方も 笑い顔の記憶ないんだよな。ちょっと はにかんだような笑いは [3年B組金八先生 何シリーズかは忘れちゃった。で] 上戸 彩の役の母親役をやってた時。になんとなく。今回の一曲を歌う時は まさかにっこり歌わないしね。ベースをつま弾きながら歌う姿がなんともせつなくて。ギターじゃないの!ダルシマーも 弾きながら歌ってたのかな?もう不幸な感じしかしないの!あ、おいらの好きな 山崎ハコさんもね。迷名作「呪い」を 笑いながら歌ったら怖いでしょ!ぎゃは!(さらに軌道修正)芸名というか シンガーソングライターだからアーティスト名が すごく印象的で。ひらがな二文字とカタカナ小書き一文字。どういう由来なのか不思議だったね。[るんるん]
DSCN2170_01.JPG 「私は泣いています」 りりィ 1974年03月05日発売 4枚目のシングル。歌手デビューは二年遡り 1972年2月発売のアルバム『たまねぎ』。児童劇団に所属されていたこともあるようですね。先ほども書いたんだけれども あまりのこの曲の印象が強くて 当初は歌声が苦手だったから掘り下げて聴くことって無かった。もうなんか哀しいというのか おどろおどろしいのか はたまたのどが乾いちゃうようなハスキーな歌声が子供心にかなり強い印象を与えられて。。。おいらの大好きな平山三紀(みき)さんとは また違った独特な声質。小学校二年の頃のおいらは 暗い子だった。担任に嘘ついて早引きして怒られたことあった。なんかいつもいやな顔している女性担任が嫌いでね。不機嫌そうな感じが。おいらの他にもずるっ子した(織戸くん)のがいたんだけれどね。真似したのさ!学校も嫌いになったしね。担任の先生ってやっぱり大事だよね。生徒がみんな 先生怒ってんじゃないの?(仏頂面で不機嫌そうで 嫌々担任やってるみたいで。)っていつも言ってた。翌年退職しちゃったけれど。市川市の牛乳工場(今は大きな公園)の近くに住んでたの!これはどうでも良いんだけれど!(ほらまた脱線!)子供の頃ってまだピュアだから 雰囲気とか第一印象って結構ストレートに受け取らない?!同級生も嫌なのいっぱいいたし。学校行くの嫌だったもん。([パンチ]やめなさいって!)
でね りりィさんなんだけれど 20才でデビューされて同時期には 谷山浩子(第一期) 荒井由実(ユーミン) 五輪真弓 丸山圭子 吉田美奈子 イルカらと共に 女性シンガー・ソング・ライターと いわゆるフォークから変わりつつあったニューミュージック創成期に大きな話題を呼んだんですよね。当初はハスキーな声じゃなかったんだとか。ハーフだからどことなく 純な日本人的な印象が無くて それで独特な声質。テレビの歌番組で見て知ってたのかな。ラジオでもしょっちゅう流れていたしね。この「私は泣いています」は リリースと同時にチャートを駆け上って当時としては早いペースで2カ月後には 最高位の週刊セールス3位に。夏前までのロングセラーで 約53万枚の大ヒット。新御三家や中三トリオなどのアイドルや 演歌・歌謡曲とあらゆるジャンルのヒット曲がランキングの中で切磋琢磨しているごった煮状態の流行歌の中で 後にも先にも無い独特な個性と印象が多くの人を魅了したんでしょうね。シングルと比べると アルバムはコンスタントにヒット作を発表していて 固定ファンは若い世代を中心に結構多かったんじゃないかな。翌々年には 化粧品のキャンペーンソングにも起用された「オレンジ村から春へ」という作品が「家へおいでよ」とカップリングでシングルリリース。最高14位をマークするヒットに。また1986年には「風のバレリーナ」という 深夜帯に一極集中したCMで話題となる ブティックのCMソング(あのころ深夜になるとね 宝石店とブティックのCMが嫌って程くり返し流れてね 「ロンリー・チャップリン」も大ヒットになりました。スーザン・アントン「FOXY」は宝石店の方か!後に問題になる企業なんだけれどね。)がヒット。
コンスタントに歌われて活躍していた時 驚いたのが 当時は まだ今ほど社会的には まだまだ知られていなかったLGBTQ。その中でも 性同一性障害を大切に扱ったドラマ[3年B組金八先生]に 母親役として登場された時はびっくりしちゃいましたね。それもまだデビューしたての 上戸彩の役の上での母親役で演技を披露されて。あの時は 以前の歌手としての雰囲気も残っていながら存在感あるな!って。しばらく見てなかったけれど このシリーズは見てましたっけ。でもおいらが知らなかっただけで いろんなドラマや映画にも出演されてたみたい。そして2016年の晩秋に飛び込んできた訃報には驚きました。64歳。まだまだお若かったのに。。。


今聴いても せつないな。まだ紐解けていない1974~5年
当時のフォークブームの(「22才の別れ」風 「なごり雪」
イルカ とか)ヒット曲は知っていてもおいら自身の生活感
と上手く記憶がリンクしにくい。前記事にも書いたんだけど
レコードを聴くことが趣味になって 少しづつ集め出す直前
だから流行歌はおいらの中で 単に流れているのを聴いてる
くらいの存在。勉強やスポーツが出来たわけでもないから 
ミニカーとか 玩具に興味があったんだろうな。 グレイな
印象が晴れないでいるんだよね。♫なんなの このリズム~
じゃなくて もやもや感。7~8歳くらいの曇った思い出。
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ソメイヨシノと同時くらいに ハナカイドウも満開に
なりそうだ。樹の下の方には 鳥もいたよ。鳩も一応
鳥だよね。。。                 
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とり。[がく~(落胆した顔)]

あ~ 今回の一曲の印象がかなり記事にも影響しちゃって なんか地味な記事になっちゃった気がする。こういうのがあってもたまにはいいよね。春なのに!
次回更新は 3月最後になりますね。もうなんか だるびっしゅ気味で 特に気持ちの方が おつかれも~ど抜けません。パ~っといいことないかな!ソメイヨシノを見に行けるといいな!近所の公園くらいだけれどね。ほんとは川の流れが傍にある土手とかに行ってみたいけれど。隅田公園とかにも 夜桜を見に行きたいな!桜餅買いに行きたいな。次回更新は 3/31 0:00の予定です。[メモ] まもなく新年度ですね。気持ちいいスタートしたいですね。そして穏やかな陽気が続いてくれること願い 今回は このあたりにて。ぐな~ぃ![夜]

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ヴィヴィッドな冬から メロウな春へ [1974年のヒット曲]

つくづく一週間早いなと感じる。今週も追いまくられっぱなしで 週末に漕ぎつきましたが 親の調子が良くない。先日誕生日だったんだけれど 気持ちが荒れてしまっていたのと自律神経の影響で身体の痛みが相変わらず。30分に一回のトイレの介助もあったり もうデイサービスに週三回出しているというものの こっちは夜中も待機しているような状態なので 熟睡出来ない。デイに出している昼間に熟睡するようにしているんだけれど そうすると一日何も出来なくなってしまうありさま。来週通院受診した時にいろいろと状況を相談してこなくちゃと。。。前に比べるとかなり手抜きしてるんだけれどね。老齢期うつは厄介。それが自律神経の不安定で煽られるしね。プロでは無いからどうこう詳しくはないけれど いろんな文献とか病気について調べていると よく理解出来てしまう。つじつまが合うように理解出来るって 伊達に5年も6年も病院通いや介護してないなって。若い頃に大学とか考えてたのは 心理学とかに興味があったからなんだけれど 医学とか専門学なんてことは 学もないし経済的にも難しかったし なにせもう成人していたから 余裕もないのに好き勝手は出来なかったしね。そんなんで大検は取ったけれど受験は叶わなかったわけ。思った理想のような人生の道を歩むって そう簡単じゃないけれどね。好きな道を進むことが出来るって羨ましいね。まもなく新年度 新たな道へ挑戦する若き人たちは 歌のタイトルじゃないけれど夢を諦めないで邁進してほしいね。

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夕陽の色が ヴィヴィッドな感じからメロウな感じに
なってきた気がする。春霞到来かな。スカイツリーも
遠く霞んでいる。明日は彼岸の入りだね。     

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[るんるん]さ~てと今回の一曲は 半世紀前の1974年の今頃のヒット曲から。おいらは小学校一年生から進級しようとする春。時代絵巻を紐解くとおかしな事件もありました。困ったものだけれど 50年前の今日(3/17)東京銀座の路上で 女性ストリーキングが出現。おいらは良く判らなかった おこちゃまだったけれど 世間は大騒ぎだったとか。(おいらは事件を知ってから大人になっても しばらく女性だと思ってなかった。キングっていうくらいだから。。。そういえば関係ないけれどキング婦人なんていたね。マイケル・ジャクソンの「ビリー・ジーン」とは関係ないんだろうね。)3/26には フィリピンのルバング島山中で 元日本兵 小野田寛郎さんが見つかったと。前年の横井庄一さんもですが 戦後の日本の変わりようには それは驚いたそうでしたと。あとオカルトや超能力ブームなんてのもあったね。日本中で スプーン(さじ)が曲げられたでしょ。おいらも力づくで曲げて怒られたけれど。流行歌の方は 前年あたりから男女ともにヤング・アイドルが登場し 新御三家(野口五郎 西城秀樹 郷ひろみ)や花の中三トリオ(森昌子 桜田淳子 山口百恵)が次々にヒットを放ち 歌謡界のトップスターに仲間入り。そして彼らに追いつけ追い越せとばかりに 新しいアイドルも登場。今回は 男性アイドルをピックアップしますが 同級生の女の子たちは  せんせい!せんせいっ! クッククック~とか真似してたけれどね 男の子たちは恥ずかしさもあって そうはやってなかったけれど それでも (今回の一曲)キミに~キミに~・・・なんてやってたよな。おいらは そこらの野草の花?の花びらを一枚二枚と ”逢える?逢えない?逢える?逢えない?” って。ずん子さんの「花占い」もあったね。(ちょっと後なんだけれどね。)。鼻に掛けた声で「この花うわっ ぅわたしですぅ。やっときれいに咲いたのですぅ・・・。」(「花物語」関根勤さんのモノマネが好き!)のも モノマネしたね。[わーい(嬉しい顔)] (今回のもう一曲)あ 今はファルセット使わないと歌えないかもしれないけれど (いつもお越しくださる ぼんぼちぼちぼちさんの推しのアイドル)の歌真似もしたことある!おいら若い頃似てるなんて言われたことあるけれど 今は恰幅良すぎるので全然似てません。はいっ! あ~(好みはそれぞれだけれど)カッコいい顔に生まれたかったな。最近の流行は 大谷翔平みたいな ちょっとベイビーフェイスがカッコイイって相場なのかな?は~っ やっぱりカッコイイって裏山すうぃ~つ!(早速脱線じゃん!)[るんるん]
DSCN2141_01.JPG 「イルカにのった少年」 城みちる 1973年12月20日発売 デビュー曲。伝説となったオーディション番組 [スター誕生]出身。彼のアイドル時代を知っている世代は おいらと同じか上の世代。そして彼をタレントとして知っている世代は ビートたけしさんの大人気バラエティ[風雲!たけし城]に出演していたのを80年代半ばに見ていた世代なんですよね。同年にデビューした「ひまわり娘」伊藤咲子との恋仲も話題になりましたっけね。この「イルカにのった少年」は ソフィア・ローレン主演の映画[島の女]に登場する銅像がモチーフになっているようです。おいらはそんなことは知らずに 当時大人気だった 手塚治虫原作のテレビアニメ[海のトリトン]と記憶が行ったり来たりしてるんですね。テレビで歌う姿は 特別カッコイイとか思ってはいなかったけれど なんか振付がすごく印象的でした。彼は父親の反対を押し切って三年間の芸能活動と大学進学後に家業を継ぐ約束で デビューしたわけなんですね。デビュー曲となったこの作品のイメージがとにかく強すぎて後にリリースした作品の印象って低いんですよね。「君はエンジェル」「君がまぶしい」「星空への誓い」「チルチルみちる」等の作品を発表。この年の新人賞を受賞するんですが 同期には 数回前に登場した 麻生よう子 浅野ゆう子 テレサ・テン 西川峰子 リンリン・ランラン 荒川務 そして この後登場するもう一人の男性アイドルがトップ枠として登場するのですが 歌唱力抜群の女性歌手陣の存在が圧倒的で 男性アイドルはちょっと苦戦していたかもしれないですね。まぁ いつの時代も歌姫はより輝く運命なのでしょうけれどね。


そして もう一人の男性アイドル!

DSCN2143_01.JPG 「気になる17才」 あいざき進也 1974年01月25日発売 デビュー曲。彼もまた別の番組ではあるのですが オーディション番組でグランプリを獲得して 後に所属する大手芸能事務所傘下の音楽学院出身。先の城みちると共に 当時の流行だったのでしょうかね?王子様的キャラで売り出し 特に十代の女性の絶大の人気で一気にスターダムに。(いつもお越しくださる ぼんぼちぼちぼちさんも そのおひとりだったのですね!)彼の特徴は小動物的な小柄な魅力とハイトーンの甘い歌声。今作と共に代表曲となる 翌年リリースの「恋のリクエスト」がトップテンヒットとなり 同期の男性アイドルの中では 絶大な人気を誇りましたっけ。リリースされた作品を数曲ピックアップしておきましょう。「シンデレラは6月生まれ」「君におくる愛のメロディー」「愛の誕生日」「恋のペンダント」「君のハートに火をつけて」「北へ北へ」「愛の舟」・・・を始め特大ヒットは無いのですがコンスタントなヒットを70年代後半までリリース。大手事務所に所属されておられて 歌手として意外にもドラマやバラエティを始め 沢田研二や新御三家とは またカラーの違ったファン層を獲得してましたっけ。この時期は いわゆる元ジャニーズ系のアイドルは ちょっと元気ない頃で フォーリーブスも人気に陰りが見え始めたり 豊川 誕 JJS 他に井上純一が 移籍した郷ひろみに変わり出始めた頃。中でも 豊川 誕は あいざき進也 城みちると新新御三家なんて言われてたことも。おいらはあまり興味なかったから 良く判らなかったな。1975年くらいって まだレコードを聴くって趣味は無かったから 翌年年明けまでは 芸能界も良く判らなかった記憶。あの頃 何に興味があったんだろう?よく思い出せない過渡期だったみたい。
このレコードは 17くらいだった頃に 廃盤ブームとかで話題になっていた 東京・蒲田の”えとせとら”って中古レコード屋さんに 初めて行って買ったんですよね。渋谷や銀座なんかの中古店は たまに出かけてたけれど この有名店に行った時は 盤質良くて種類も豊富だったから目移りするばかり。話題になっていた高価なレコードも拝めたし。それにしても ほかの店と比べて価格もクオリティも高かったな。「気になる17才」は 元は¥500発売なんだけれど 10年後くらいに ¥700で購入したっけかな。あいざき進也は 今でも往年のファンがガムバってますよね。


あの頃 スクールメイツとか歌手のバックで踊ったりする
グループって メインの歌手よりは目立っちゃいけないん
だろうけれど華やかでしたね。            
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プランターのムスカリが大きくなってきた!

この花好きなんだよね。白い花の苗は相変わらず手に
入らないんだけれど またな絵が出始めの頃を 期待
するとしますか!                
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新物には まだ早いけれど春っぽい煮物を炊いてみま
した。(タケノコ フキ 鶏のむね肉)薄めの味付け
ごくごく ほんのちょっとのごま油を隠し味に![レストラン]

あ~やっぱ忙しないな。今さっき(3/16 土 09:45) デイ・サービスに送り出したんだけれど やることいっぱい。でも早く終わらせて ちょっと買い物に行きたいな。仮眠もしたいし。このところ多忙中に付き コメントのお返しや 皆様のブログへのお邪魔が遅くなるかもしれません。ぺこり。次回更新は3/24 0:00の予定です。[メモ] 寒の戻りがあるとか。みなさまも体調崩されませんように。あ 墓参り用の花も買ってこなくちゃ。う~っ なんなんだ。せっかちなのは判ってるんだけれど。ひと息いれよう![喫茶店] 今回は このあたりにて。ぐな~ぃ![夜]

わすれな・めも ・・・ 20240318 06:30 今日の05:00過ぎに 墓参りを済ませて来た。天気は上々だけれど 風が すんごく強い朝。

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JO-YMB そんなコールサイン付けたっけ! [1974年のヒット曲]

(この記事は 2/16金曜日 日が変わってから書いています。)判らないところがあった確定申告の申告書を無事書き終えて あとは出すだけ![メモ]なんとかひとつ厄介なものは終わらせることが出来て ホッとしているのも つかの間。今月は4年に一度 一日多い月だけれど 月末と言うこともあって 親の通院介助が立て込む。歯科と内科と心療内科。あと眼科も行かなきゃいけないんだけれど。自律神経が どうもギックリ発症以降不安定になることがやや顕著で親に手を焼いているんだけれども 確定申告がひとつ終わりが見えてきたことで 妙にホッとしているおいらがいる。春一番が吹いて ぷちうららかな気分だったんだけれど また寒くなるんだってね。三寒四温&春に三日の晴れなし。今年もそんな時期が来たのか・・・。

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冬木立も 気のせいか勢いを感じる。
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地面には カタバミ?!オキザリス?!
春の気配も目に見えて感じるようになりました。
二度寝 三度寝 まだあと数分と布団から出るのが

億劫というか 春眠暁を覚えずなのか?眠い眠い。[眠い(睡眠)]
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[るんるん]子供の頃って 2月は まだまだ寒かったよな。朝起きて階下の居間に起きてくると まだ真っ暗。ガスストーブを点けてテレビ点けると 民放のテストパターンなんか放送してるの。今は滅多に見ないけれど カラーバーとか調整画像が映っているのを なんかぼ~っと見てるのが好きだったな。(そのうち日テレ<AX>は鳩小屋から鳩が飛ぶし TBS<KR>は 金属のパイプとか オレンジと紺の平板が平行に重なったり フジ<CX>は富士山が映ったり テレ朝/旧NET<EX>はちょっと始まるのが遅いの。あ!KRは音楽コンクールの歌が流れてたりしたな。)そのうち部屋が暖まって来て 祖母が起きて来て。小学校の頃は 今でも良く判らないけれど早く学校に行かなきゃいけないみたいな風潮(余暇利用とかね)があって 嫌だったな。他の小学校は そんな早くいかないのに。プン![ちっ(怒った顔)](早速脱線!)今回の一曲は 50年前の1974年の2月頃のヒット曲なんだけれど あの頃って今みたいに流行歌をチェックするわけでもないのに 歌番組が沢山あったから売れている歌手やアイドルって 必ず毎日どこかのチャンネルに出ていたのを見てた。そんな中でも新御三家(野口五郎・西城秀樹・郷ひろみ)は すんごい人気で 歌詞やタイトルはよく知らなかったけれど サビなんかは結構覚えてた。ひと節くらいしか知らないんだけれどね。今回の一曲もそんな中の一曲。この年4月に世界的に有名な女性?!が 来日してすごい人気だった!不思議な微笑を浮かべていて!郷ひろみが そんな女性のことを歌ってたんだけれど その曲が今回の一曲。あ~以前は これくらいのキーが歌えたのに 今はこのオリジナル・キーだと歌えない。[るんるん]
DSCN2088_01.JPG 「モナリザの秘密」 郷ひろみ 1973年12月05日発売 7枚目のシングル。1974年04月20日から上野の国立博物館で (ジャケット後ろに映る レオナルド・ダヴィンチの代表作)”モナ・リザ展”が開催されたんだけれど 一日平均3万2千人の入場者数だったとか!おいらは絵心無いから絵画とかって良く判らないけれど 小学生ながら その名前と肖像はよく耳にし目にしましたね。
この頃の郷ひろみ(1972年8月に「男の子女の子」で歌手デビュー)の人気って凄いものがありましたね。前出の新御三家のひとりですが 歌唱力を誇る野口五郎 ワイルドなアクションも話題となる西城秀樹 そして(おいらはなんも思わないけれど)可愛いルックスが人気だった郷ひろみ。よく彼の歌声を真似したけれど 独特な鼻にかかる歌声は モノマネでも恰好のネタでしたね。彼の歌をレッスンで歌ったことがあったけれど よく鼻から抜けるような歌声を求められたっけ。モノマネするわけじゃないんだけれどね。眉間あたりから声を出すようなイメージで歌えって。特徴ある声なんだけれど 他の歌にすればよかった・・・。って後で思っちゃった。後でなんか頭痛くなっちゃう感じが残ってね。それはおいらが下手だからなんだけれど。この作品を書かれた筒美京平さんは彼の声質に凄く惚れ込んでおられたみたいで。(1970年にデビューして翌年「真夏の出来事」が大ヒットした 秘蔵っ子といわれた平山三紀(現:みき)や松本伊代なんかも。)デビュー曲から(企画カヴァー物を除いて)シングル20作品を手掛けられているんですよね。しかしかなりの人気があるにもかかわらず 郷ひろみはシングル売り上げの首位を獲得したのは 1曲のみで(その時に上位にいた作品のパワーが並外れていたからなのもあるんですが)最高位2位の作品が7作もあるんですよね。「愛への出発(スタート)」「裸のビーナス」「魅力のマーチ」「モナリザの秘密」「花のように鳥のように」「誘われてフラメンコ」「あなたがいたから僕がいた」最高位3位「花とみつばち」「20才の微熱」そして唯一の1位がデビューまる二年目10作目で初期代表作の「よろしく哀愁」。(そういえばおいらのカラオケ・デビュー作<1981年頃>も郷ひろみ作品だったな!でも筒美京平さんの作品じゃないの。「バイブレーション(胸から胸へ)」って曲。ヴォーカルレッスンしてた時も 都倉俊一さんの作品を良くレッスンしてた。おいらは歌い上げたりロングトーンのあるバラードって得意じゃなくて 細かな音符がたくさん並ぶ8ビートや16ビートの 比較的 ♪とか♬とか♫のいっぱい並んでる 息継ぎの難しい早口っぽい歌が多かったね。郷ひろみ作品はキーが合うので歌ってたんだけれど 今はもう この後の動画を聴いていただければわかりますが 当時の郷ひろみ作品のキーは歌えない。声出ない!頭痛くなっちゃう。でも 憧れはありましたっけ。郷ひろみ作品ってオーディションの曲でも良く歌った記憶があります。全然歌詞の世界なんか似合わないんだけれど中期以降の作品で「セクシー・ユー(モンロー・ウォーク)」「もういちど思春期」「哀愁ヒーローPart1 Part2」とかね。好きな作品は「女であれ男であれ」(来生えつこ/来生たかお)「ヤクシニー」(売野雅夫/井上大輔)とかかな。今は新御三家の作品の中では 野口五郎作品がかなりどれも好きなんだけれど 歌えません。聴いて楽しむだけ。西城秀樹作品もおいらのカラーでは似合わないから歌ったことないかも。「ギャランドゥ」は歌ったことあったな。80年代当時って 男性がオーディションで歌われる作品って 郷ひろみ作品ってかなり人気が高かったなって思い出す。同じ曲でかち合ったことあったり譜面持ってない?って聞かれたり。レッスンしている時は 一緒にいた人たちではかち合わなかったな。おいらは 音符の細かな変わった歌が多かったから。今思い出したんだけれど 遊び半分で「じんじんさせて」山本リンダとか「薔薇の奇蹟」アン・ルイスとか今思い出すと 顔から火をはきそうな奇抜なのも歌ってた。ぎゃはは!「あんたが大将」海援隊なんかも。かなり早口でまくし立てるの!歌うというより今でいう ラップみたいに 完全にリズムに乗れないと歌えないのって多かったな。他の仲間は聴かせるようなのレッスンしてるんだけれど おいらはリズムの激しいのばっかり。ピアノを弾きながらレッスンしてくれた先生も かなりハイテンションにリズムに乗られてて 負けちゃいられないって!そんなのも若気の至り。やばいやばい!また本題から脱線しちゃった。郷ひろみ作品を聴いたり歌ったりしてた時に 譜面に沿って歌うことは勿論なんだけれど その人の声質自体に個性があるって 幾ら上手くとも個性には敵わないって思ったね。あの頃一緒にレッスンしてた仲間ってどうしてるんだろ?一緒に今はもうないけれど ヒカリエの下のあたりだったかな 東急の五島プラネタリウムの界隈だったかな 日本そば屋さんがあって ときどき何人かで帰り際に寄って食べた 揚げ出し豆腐がすんごく美味しかったな。今は行かないけれど渋谷変わっちゃったもんね。あ~だめだめ!また脱線しちゃうから動画貼らなくちゃ!


イントロのパイプオルガン?の音色がまた怪しくて好きだな。
1974年は彼にとってかなり飛躍の一年だったように思う。
次作の「花とみつばち」は さらっと歌っている感じだけど
バックの楽器の派手さと小気味よいリズムで そちらに意識が
行きがちなんだけれど歌詞の内容は かなり意味深であったり
しますしね。同時期に大ヒットした「ひと夏の経験」山口百恵
よろしく 大人の世界に踏み出した?!男性アイドルの歌で 
ファンの女性はドキッとしたときめきがあったのではないか?
なんて。。。やはり同時期 1974年夏の「追憶」沢田研二の
”ニーナ”にも 驚いたけれどね。小学生のおいらは それが
なんだか知らなかったもん!(オイオイっ!)[パンチ][むかっ(怒り)]あうち!
あ!1974年の今頃って [TV][キューティーハニー]を見てた!
あの舞台の学園のシーンでも BGMで教会音楽みたいなのを
使ってたな!「真赤な鞄」山本リンダも同時期だけれどあの
時代何かと教会音楽やパイプオルガンの音色の印象が強いん
ですよね。神聖な音色なんだけれど怪しくも感じられ。。。
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[TV] 前出テストパターン関連の おまけの参考動画

日テレ(日本テレビ)の[鳩の休日]
目下話題のあの方も 罰ゲームで鳩の休日をやってたな![爆弾]

TBSテレビ(東京放送)のオープニングとクロージング
音色が怪しいよね!ヨコハマ開放区(TVK)のオープニング
クロージングも好きだな。神奈川県って全域で 空にTVKの
文字がいつもひらひら飛んでいるような気さえしてしまう!

kinkinさんやさる1号さんも もしかしたら飛んでいるのを
見たことがあるのかもしれない。おいらも見てみたい![がく~(落胆した顔)]
どちらも子供の頃に 初めて見てトラウマになったYO!
今でも見ると気持ちがざわざわしちゃうんだよ。ぐふふ。
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日の入りが 遅くなってきたな~っ。

あ~確定申告書だしてこなくちゃ。今日行ってこようかな。それともこの記事更新した後 月曜に行ってこようかな。役所行って 確定申告コーナーで出してくるだけだから時間かからないし。とにかく早めに行ってこよう!さて次回の更新は もう如月も終わり。2/25 0:00の予定です。[メモ] 陽気(気温や天気)の乱高下が大きくなりそう。おいらが ぷち頭痛かったり フェイク風邪気味だったり 肩張るのもその影響が大きくかかわっていそう。気象病っていうらしいけれど。みなさんもご自愛くださいね。今回は このあたりにて ぐな~ぃ![夜]
[ひらめき]JOーYMB JOーYMB こちらは ゆうのすけ 
  MUSIC-BANK ブロードキャスティングです。
[ひらめき]
( ↑ このコールサイン 何年ぶりだ? 2010年03月05日 23:41更新記事以来か? [サーチ(調べる)] https://younosuke-music-bank.blog.ss-blog.jp/2010-03-05-1

わすれな・めも ・・・ この記事の更新前に 確定申告の申告用紙を提出済ませた。(20240216 13:30過ぎ。)

わすれな・めも2 ・・・ 20240221 03:15 昨日は20℃近い暑い日にびっくり。SSブログ 音楽カテゴリー久々のベストテン入りにまたもびっくり 最高8位。普段から気にはしていないけれど一桁になるのは なんか有難いもの。まもなく15年目を迎えることになる。

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