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三月だね。暖かくなってほしいね。 [1983年のヒット曲]

先週の[猫]ねこの日に ようやっと確定申告を提出してひとつ肩の荷がおりたのですが ガクって疲れちゃったのか(疲れてはいられないんですが)翌日(天皇誕生日)は殆ど横になって布団の中。また眼精疲労+肩こり。熟睡出来るわけじゃなくて うとうとして変な夢見て。[眠い(睡眠)]この日はまた変な夢だったから覚えてたんだけれど 江戸川の川岸にプール(なんちゃら施設や運動施設みたいなプールじゃなくて あぜ道があるような田んぼ型)があって おいらは 更衣室とかある建物からそこを見ているんだけれど 一人だけ田んぼプールに入ってるんですよね。泥水じゃないから汚くないんだけれど 川の水と温泉が湧いてきてるのかなと思う。よく見るとその人は 白と水色のボーダー柄(海外の映画で見る囚人服みたいなの)の水着(上下つながってるの!)来てる ハリセンボンの近藤春奈さん。(角野卓三じゃね~よ!っていう人。)何度も出たり入ったりして泳いだりはしてないんだよね。おいらは気になったんだけれど夕方だからもう帰らなくちゃって思い またどこの駅から電車に乗ったらいいか考えている。そこで目が覚めるんだけれど・・・。やっぱり疲れているのかも。[がく~(落胆した顔)]

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ねこの日の午後10時22分22秒。[時計] 
関係ないんだけれど 最近欲しいもの!売ってないんだ
けれど AmazonのCMで見かける ベルトコンベアー
セット一式。あんなジオラマをぼ~っと見ていたら幸せ
かも!なんていつも思う。やっぱり疲れてるかも。[がく~(落胆した顔)]
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[るんるん]さ~て今回の一曲は 40年前(1983年のヒット曲)シリーズの続き。前回はアルバムの一曲でしたが 今回は同時期に発売されて 発売と同時にシングル売り上げ初登場一位。前年にデビューして 年末には大きな新人賞レースからは 本命と言われながら漏れちゃったけれど そんな状況をばねにして二年目の頭から ひたすらトップを走り 人気も本格的に定着して次々と大ヒットを連発しはじめた明菜ちゃんのシングル第四弾!快進撃は格違いでチャートには デビューから三作のシングルと三作のアルバム(一枚は限定盤ミニアルバム)が どれも高順位を維持しながら 結局のところ1983年末には 総売り上げでもアーティスト別セールスでトップに立つことになります。この時点で1982年組の中では孤高のトップに立ち 当時の女性アイドルのトップに君臨していた 松田聖子さんの人気に匹敵するパワーを実質ともにレヴェルアップさせて行くのでした。[るんるん]
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「1/2の神話」 中森明菜 1983年02月23日発売 4枚目のシングル(ジャケットが二種類あります。)前年ン11月にリリースされ大ヒットとなった「セカンド・ラブ」(最高の売上を誇る代表作)につづく 1983年第一弾シングルなのですが 「セカンド・ラブ」が大好きな方には申し訳ないんですが おいらは あの作品はどうも得意じゃないのでした。今は悪くは無いかなとも思うんだけれど 当時はとにかくゆったりしたリズムのバラード作品って もうじっとして聴いているのが嫌なくらい苦手で その前になる「少女A」やデビュー曲のカップリングの「条件反射」のようなタイプの いわゆるツッパリ・ソング的な 後期の山口百恵さんの(阿木燿子・宇崎竜童 御夫妻)作品をほうふつするタイプのものがお気に入りだったので 「1/2の神話」を発売前に明菜ちゃんのラジオ番組で初めて聴いた時は ”よっしゃー!”って思ったんですよね。明菜ちゃん自身は 聴くのには好きなタイプだけれど自身で歌うのは苦手なタイプってよく言ってましたね。
この作品の最初のタイトルは 実は「不良1/2」というものだったんですが 流石にいろいろと障害や問題が出かねないということで 作詞家の売野雅勇さんは妥協し難かったようですが変更になったんですよね。作曲はこの年6月にデビューし のちにカップヌードルのCMソング「そして僕は途方に暮れる」で大ヒットを飛ばす大沢誉志幸さん。バンド活動はされていらっしゃいましたが 御自身のシンガーとしての作品よりもライターとしての作品で名を知らしめる大ヒットになるのでした。前年の沢田研二さん「”おまえにチェックイン”」が最初の大ヒット。
明菜ちゃんの堂々とした歌い方は 歌えるという点では流石なんだけれど おいらとは逆にスローなタイプの作品が彼女には似合うという方には かなり正直不評だったのでした。好き嫌いがあるのは仕方ないですものね。でもなんていうのかなティーンエイジで まだ大人の女性になり切れない不安定さを明菜ちゃんは それぞれ1/2のタイプの作品を歌い分けることが出来ることで人気につながったのは プロデュースで支えるレコード会社や所属事務所の戦略・思惑は大成功に進むのでした。おいらは 血気盛んなお年頃になり高校生活を2年目に進めるのですが 勉強の方は右肩下がり。ただ何でかは良く判らないけれど 当時”国語表現”という科目があったんですね。教科書や新聞社説など読み解き題材として 自ら思考や感想などを 自らの言葉で文字として文章表現するような教科だったんですね。決して上手く表現することが出来ていたか おいら自身疑問なんだけれども 担当教師はクラス一番の評価を通知表にくれたんですよね。どんなこと書いてたなんか覚えは無いけれど このブログみたいにくだらないこと長々と書いていたのかもしれない。いつも起承転結とかちゃんと付けれてないし 脱線するばかりなんだけれど。(この部分は”転”なのかも。それにしては”起”も”承”もハッキリしないな。そして明菜ちゃんの動画につなげる”結”も書けるのか?国語の先生に怒られちゃうな・・・。[爆弾])おいらの文章って なんかいつも何処か抜けているみたいなんだよね。抜けると言ったら明菜ちゃんがこの作品のサビのあとのキメの部分で「いい加減にして~!」と叫ぶんだけれど もう気持ちいいくらい言葉が突き抜けるんですよね。心のもやもやが吹っ切れるみたい!あ~日常の もやもやも吹っ切りたい!同じような毎日に繰り返し。。。たまには 良い加減にしたい~っ!高校二年のおいらは つるんでいた耳年増な女友達の影響で 他の同級生の男子よりは それなりにいろいろと先に進んでいたらしいけれど 同志みたいなままで世渡りし始めるのでした。そんなだったから 学校以外でも年上の方々には可愛がられてたみたい。(脱線じゃん!)あの頃は 女の子たちって どこからそういう話題を仕入れてくるのか不思議だったな。[わーい(嬉しい顔)]「1/2の神話」・・・この作品の詞の世界も そんな女の子たちの不安定な揺れる心を上手く表現されているなと感じ始めてたのもその頃だったな。少年たちはそういう点 UBUだよね。(なんか文章がおかしな方向に向いてきちゃったから退散!)


黒いドレス見て思い出したんだけれど 1983年頃って黒い
色の服が流行って ”カラス族”って呼ばれてたっけ。  
おいらは いわゆる詰襟(学生服)だったから一応カラス
族だったの?夏場は禁止されてた開襟シャツにやや太めの
ズボンだったけれど 注意されたこと一度もなかったな。
ブレザーみたいな制服(頭のいい子たちの私立が多かった)
って憧れたな。おいらは頭の良くない子が多い私立だった。
今は 勤勉な後輩達のおかげで偏差値は上がったけれども
今のおいらには「関係ないね!」(柴田恭兵風に)[ふらふら]  
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先日食べた輸入物の安いぶどう なんか今年はみかんが
高い気がする。だからぶどうを買ったんだけれども。 
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久しぶりの数量限定  MOW Special
[白桃&杏仁ミルク][コンビニ] 7-11にてげと。

いよいよ今月も終わり。水曜日からは弥生。は~っ、仕事を頼まれることになりそうなんだけれど 親が自宅にいる時は出来ないから 時間のやりくりが上手くいけばいいんだけれどな。上手く良い方に好転してくれることを願うばかり。年度末良い運気を掴みたいな。次回更新は 3/5 0:00の予定です。[メモ]そろそろ暖かな日が続いてくれるかな。なかなか普段の生活感は変えられないけれど 上手く気晴らしも出来る余裕を持てたらいいな。ということで 今回はこのあたりにて。ぐな~ぃ![夜]

追 記 ・・・ 20230302 11:00 明日 臨時ぷち記事(書いてたら ぷちじゃなくなっちゃったYO!)更新予定です。[メモ]


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