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1983年のヒット曲 ブログトップ
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記憶のアングルは変わらない。 [1983年のヒット曲]

残暑延長お見舞い申し上げます~ぅ。[がく~(落胆した顔)] もう彼岸が目の前なのに。先日は半年ぶりに用があって 千葉市内まで出かけたんですが 予備の保冷剤や着替えを持って2~3時間。見上げる空は 夏雲が湧きたつばかりでこの陽気はいつまでなの・・・と。エアコンの空調が利いた線路下の商店街を移動している時は良いんだけれど 途切れた先から炎天下の中を歩くのをためらっちゃいながらも 進まないわけにいかず。

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千葉県庁のビルの後ろにも夏雲が湧きたつ![曇り][曇り][曇り]
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綺麗じゃないどぶ川に船が停まってた。この上流の
千葉市内の繁華街の裏の狭い川が溢れて下半身びしょ
びしょになったのは もう40年前のこと。先日の台風
13号の進路がもう少し西にずれていたら大変なことに
なってたかも...。氾濫したら 何が流れてくるか判ら
ないしね。そういえば コロナの変異株がまた話題に
なってるみたいですね。エリス株に ピロラ株。ピロ
ラの方はピロリ菌と関係あるのかな?街中はマスクを
している人が少なくなってきているけれど 家は高齢
者もいるし 人がいないとこなら外すけれど繁華街の
人の多いところは暑くてもまだ外せないね。[たらーっ(汗)]   
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[るんるん]さてさて今回の一曲は 40年前の1983年の今頃のヒットから。連続テレビ小説[おしん]が日に日に視聴率が上がっていた頃かな。おいらは学校だったから見てなかったけれど 酎ハイのCMでも「タコが言うのよ・・・。」と なんとも気怠い雰囲気で味があった 田中裕子さん(現 沢田研二さんの奥様)が登場してた頃かな。あと映画[フラッシュダンス]の影響で エアロビクスなどのフィットネスが急激な人気傾向になり(前記事の[キャッツ・アイ]でもコスチュームに起用されていた)レオタード それとレッグ・ウォーマーも流行ってたよね。通学電車の中から エアロビックスを掲げるビルが見えたりしてたな。(映画[”Shall we dance"]なんかの ずっとず~っと前。)秋めいて来て 文化祭の準備とかあったんだけれど 乗り気じゃなくて帰っちゃってたな。千葉駅ビルの地下にあったクレープ屋に寄ってお茶したりしてたんだけれど 他の学校の女の子がおいらのこと気に入ってるから会いたがってるとか わけわからないことがあったな。結局無視しちゃった。遊んでても面白くなくて。家ではとにかく いろんな音楽聴いて嫌なこと忘れようとしてたな。学生が本業なんだけれど 勉強も遅れがちで先が見えづらくなって来てた。家の中は相変わらず祖父の病気とか 帰ってこない父親のこととかね。モヤモヤするばかり。(モナモナは パン屋さん![わーい(嬉しい顔)])多感な時期に さらに多感にならざるを得なかった頃だった。芸能界は それが作りものだとしても いつもキラキラ輝いてそんな世界も憧れも持ち始めてた。まぁ今となっては若気の至りだけれど いろんなオーディション受けてみたり 芸事のレッスンに通うチャンスがあったりとかね。おいら自身も変わろうとしてたのがこの頃。その頃 絶好調な彼女は 兎にも角にも輝いていたな。最近では 作曲家でミュージシャンの林哲司さんの作品をトリビュートしたアルバム(11月にリリース予定とか)に「北ウイング」を新たにレコーディングして参加するって噂が舞い込んできたね。動き始めるのかな明菜ちゃん!今回は1983年の作品から。[るんるん]
DSCN1386_01.JPG 「禁 区」 中森明菜 1983年09月07日発売 6枚目のシングル もう兎に角勢いのある時期で リリースされるシングルもアルバムも発売直後にトップに君臨して ロングセラーを続けていましたね。この年は「1/2の神話」「トワイライト~夕暮れ便り~」「禁 区」と三枚のシングルをリリースするんですが まぁ しっとりめの「トワイライト」は残念ながら同時期 「探偵物語」薬師丸ひろ子 の脅威に最高2位にとどまってしまったものの 年間を通してはコンスタントなヒットぶりで とにかく女性アイドルのトップを走る松田聖子さんに匹敵する快進撃を見せてました。
「禁 区」は 当初 細野晴臣さんが作曲された 後のY.M.O.のシングル作品「過激な淑女」を新曲として提供されたのですが 明菜ちゃん側の良い答えが出ずに改めて書き直され提供された作品。テクノポップのアレンジが斬新でしたっけ。でも おいらは なんか最初は好きになれなかったわけ。というのも 独特な振り付けがなんだかラジオ体操みたいな感じでね。。。詞や曲の感じからあまり動きのない感じで 斜に構えて やや首を斜めにひねるような上目遣いな雰囲気で歌ってくれれば カッコよかったなと思ったからなんだけれど。でも慣れてくればそれはそれでよかった。曲調はバラード調の作品じゃなかったから よっしゃ!って。前年(デビュー年)のラストが「セカンド・ラブ」で大ヒットだけれど 煌びやかな年末ムードから ちょっと地味過ぎておいらは重く感じてた。だから華やかな動きのあるサウンドは 私生活のモヤモヤを中和してくれてるようでヘビロテしてたな。同年夏にリリースした4枚目のアルバム『NEW AKINA エトランゼ』に収録されていた「少しだけスキャンダル」が秋口にドラマの主題歌になり こういうの歌ってほしかったんだよね!とよく一緒に聴いてたっけ!年末には その二曲も収録された初のベストアルバム『BEST AKINA メモワール』もリリースされて ますます明菜ちゃん三昧だったおいら。翌年一年に いろんなことが変わりゆくことになることは まだ想像することも無かった。ただ目先のことで ある決心をすることは考えていた。迷いよりも夢を追いかける岐路に立っていたっけ。褒められたことではないけれど。それはいづれ。(軌道修正)「禁 区」は 詞の面でも好きなところがあって 作詞家 売野雅勇さんの 当て字がなるほどね!こういう風に当て字をするってことは なんかカッコイイな!って 友達とかに手紙を書く時に(この頃はスマホなんか無いから)ハガキとか便箋・封筒とかなんだけれど わざとルビを振って当て字を使ってたことあった。「禁 区」の中では ”手口 → やりかた” ”催眼 → わな” ”理性 → こころ” ”理由 → わけ” ってな具合に。あとこれはその前から使ってたけれど ”心算”と書いて”つもり”。これは当て字じゃないか。かなり時が過ぎて 一時期小説もどきを書いていた頃も こういう当て字ってよく使ってたな。物にはならないんだけれど ちょっとこづかい稼ぎに書いたものがあったんだけれど 校正で直されちゃって。こういうのって駄目なのかなって思ったこともあったな。その頃からかな 何か文章を書くのって好きかもしれないと目覚めたのは。だから 今もなんだけれど まとまらない 口語的なくだらない文章をブログでこうやって書くのは嫌いじゃないのかもね。(また脱線!)文章書いてるんじゃなくて おしゃべりしてるみたいで。[ペン]


この年の暮れに 明菜ちゃん怪我しちゃうんですよね。
この曲で紅白初出場となるんですが そのリハーサル中に
右ひざ脱臼しちゃって。でも本番はそんなことを感じさせ
ないほど堂々と歌って1983年歌い納めしてましたっけね。
今年の紅白も噂されているけれど無理だけはしないでね!
明菜ちゃんの ぷち話題が出てくるたび おいらも頑張ら
なくては!と思うのです。              
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建物は変わって来てるけれど 学校帰りに千葉で私鉄に
乗り換えて こんな風景をよく眺めながら電車を待って
ましたっけ。おいらが高校生の時 この駅は”国鉄千葉
駅前”という名称でした。先日も用があって利用しまし
たが あの頃もこうして電車を待っていたな!と視線
だけ 高校生に時を超え戻ってました。[目]     
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高校生の頃は エアコンなんてない電車で こんな
扇風機がフル回転してました。今も車両によっては
エアコンと扇風機が一緒に。のすたるじぃ~。

空いている電車は意外と エアコンも効いていて快適。ガソリンも高いしね。(ガソリン税に消費税を乗せるのどうにかしてくれ~っ。)撮り鉄さんとか 乗り鉄さんではないんだけれど たまに電車乗ってゆっくり車窓を感じるのは悪くないかもね。あとは遠出が出来ればいいんだけれど。[電車][電車][電車]
次回更新は 9/24 0:00の予定です。[メモ]そうそう 一昨日(金曜日の夕方)にイトーヨーカ堂に行ったんだけれど 掲示板におせちとクリスマスケーキの予約ど~たらのポスターが貼ってあった。年末に向けて商戦開始なんだね。くわばらくわばら。神無月も早く過ぎちゃうんだろうね。考えるのやめとこ。書き出しでも触れましたがコロナの変異株が活発になり出しているのと インフルも動き出しているみたい。もう少ししたらこの暑さも納まりつつ より夏の疲れが出て来そうな予感。気をつけないとね。今回はこのあたりにて それでは ぐな~ぃ![夜]

わすれな・めも ・・・ 20230921 18:00 今日の午後 髪を切って来た。


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燃える空は台風接近の合図だったのか? [1983年のヒット曲]

[台風]台風13号が直撃コース!と金曜日はひやひやしっぱなしだったんだけれど おいらの方は雨が強くなった時間帯もあったものの何とか無事に。それでも千葉県内各地で浸水や川の氾濫があったようで 被害に遭われた方にはお見舞い申し上げます。地理的に南から陸地に向かって来る時は 前に家の屋根の被害が出た時も千葉市に上陸だったから 進路の中心から東側になると また数年前みたいに被害出ちゃうの(まだ修繕できていない。)?と気が気でないだけじゃなくて イライラして来ちゃう。自然の影響だから仕方ないと言えばそれまでだけれど なんでこう次から次から ろくでもないことが重なるのかストレスになっちゃうんですね。[ちっ(怒った顔)] 来年以降も台風の通り道になっちゃうんだろうか?考えたくないね。あ、また雨の音がしてきた。

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台風が上陸する前の日の夕方。空が燃えてるみたい。
雨漏りもしなかったし 良かったけれどトタン屋根を
早く直さなくちゃな。。。            
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[るんるん]さて今回の一曲は 前回に引き続き40年前(1983年)の今頃のヒット曲から。普段の生活になんとなく翳りが見えだして 家の中も不安定気味になっていた頃。祖父が体調を崩して入院したりで どうも 今で言う認知機能の低下が見られたり 父親と母親の仲に風が吹き始め出したり 今だから判るのかもしれないけれど 子供心に何か不安な要素が立ち込めだしているのを察知し始めていたのかな。バイト先でもひとつ年上の能天気なのといざこざが起きて 関わるのは得策じゃないからイライラしながらも宥めていたんだけれど まぁ自分勝手な人間で 他のバイトの人たちは おいらの味方に付いてくれて有難かったけれど そろそろ潮時なのかなと思ったのと勉強も疎かになっていたから辞めることを考えてた。秋風を感じ始める頃だったかな。斜陽を感じ始めてた。(こうだからこうという考えはあまりしない方なんだけれど 子供の頃から九月~十月ごろって 何かと荒れたりメンタル的にダウンするのは判ってたみたい。ダメなときゃだめ 嫌なものは嫌って。止まっていると余計に辛くなっちゃうから 後悔したとしてもハッキリ答えを出して どうにでもなれ主義だったね。今はそうは行かないから胃が痛くなっちゃったりするんだけれど。そして不安も勿論覚えるしね。)自分自身を第三者的に見るような癖がついたのは その頃かな。面倒くさい性格だなって。高校二年の夏の終わり。背伸びをして大人のふりをして(それが子供なんだけれど!)答えを出しては迷って 一応は大人に向かって葛藤してたんだろうね。こんな歌が大ヒットしてました。そういえば 最近 新作のシティ・ハンター(映画版)が大ヒットしてるんだってね。今回の一曲は 作者の北条 司さんが その前に大ヒットさせてた作品のテレビ版主題歌だったんだよね。[たらーっ(汗)][るんるん]
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「CAT'S EYE(キャッツ・アイ)」 杏 里 1983年08月05日発売 13枚目のシングル。大ブレイクとなるきっかけの作品。1978年11月に「オリビアを聴きながら」でデビュー。当時はニューミュージックの第二次ブーム(特に女性アーティスト)が台頭し始めた頃で 同期には 竹内まりや 越美晴 桑江知子 石川優子 沢田聖子 宮本典子 門あさ美をはじめ その後ブレイクを果すニューミュージック系のアーティストが多数デビューした年で アイドル大不作(倉田まり子 井上 望など)の年でした。まだ歌謡界の以前からのイメージが強かった頃で 自身が目指すアーティスト像とは異なったアイドル的活動も余儀なくされていて 杏里さんもそんな一人ではあったせいか 作品のクオリティは 玄人目に見ても評判は高かったのですが セールスに結びつかずに後日談として 苦しい頃だったと。「オリビアを聴きながら」は 今では多くのカヴァー作もリリースされ ラヴ・ソングの大定番となっている尾崎亜美さんの作品。その後CMソングになった「コットン気分」や「地中海ドリーム」「思いきりアメリカン」がスマッシュヒット。海の見えるようなイメージの作品の傾向が強くなり出した(オリジナルアルバムも含め)のも この頃でしたっけ。しかし なかなか杏里さんの確固たるイメージがハッキリせずにいたのもありましたっけ。そして「CAT'S EYE」のリリースになるんですが 杏里さんは 当初あまり乗り気でなく アニメの主題歌として それまでにないタイプの作品であり 御自身の発表されてきた作品のイメージとかけ離れているようなことが戸惑う要因とも言われているようです。しかし 予想を遥かに裏切りリリース後は それまでになり早いチャートアクションで 初の週刊売り上げベストテンにランクイン9月最終週にはトップの躍り出て約ひと月間独走状態。主題歌となっているアニメーション番組[キャッツ[ハート]アイ]も 幅広い世代に受け入れられ視聴率も絶好調に。そして歌番組への登場は 杏里さんの知名度をそれまで以上に広め 続く「悲しみがとまらない」も連続大ヒット。1983年12月にリリースされた6枚目のオリジナルアルバム『Timely!!』も初のアルバムチャート第一位に。更には同年の紅白歌合戦にも初登場。 大ブレイクとなったわけです。その後は 数多くのシングル・アルバム作品を大ヒットさせて 日本のみならず海外でも大人気を博し 現在に至るわけです。


1993年「ドルフィン・リング」辺りまでは毎作聴いたかな。
アルバムも『CIRCUIT of RAINBOW』や『MIND CRUISIN'』
なんかは 車に乗っていてもヘヴィロテだったっけ。夏前に
なるとアルバムリリースが楽しみだったっけ。聴いてなかった
初期の作品も遡って聴いたり。いつも書くけれど おいらは
関係なかったバブル期。それでも 杏里の大ヒット連発期の
作品を聴き直すと あの空気感がそうだったのかなって …。
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台風接近時の雨にぬれていたムクゲ。
今年は例年より長く咲いてるような気がする。でも
花の大きさがだんだん小さくなってきてるような気も。
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ねこじゃらしの葉にも しずく。

もう来週末は彼岸だね。今週は暑さの名残がある予報だけれど もう過ごしやすくなり始める気配を感じ始めそう。夜寝る時もエアコン使わなくて 扇風機回していても うとうとしているうちに寒くなって来ちゃう。毛布にくるまると暑いんだけれど。スーパーでは 西瓜も見なくなって梨やぶどうがいっぱいならんで 秋を感じさせてくれてますね。こうなると早い。月が替わり始める頃 スーパーにはクリスマス・ケーキやおせちの予約は如何ですか?なんてポスターも貼り出されるんだろうね。無駄に時間使ってられなくなりそう。大掃除始めようかな。(USO)。でも雨に打たれた窓の外側や網戸が汚い!ホコリもついてるし。雨の前に巻いたすだれも 今週いっぱいくらいかな・・・。そうであってほしい。次回更新は9/17 0:00の予定です。[メモ] みなさま残暑疲れが出ませんように。今回はこのあたりにて ぐな~ぃ。[夜]


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ぬるい西風が晩夏を知らせてるようで。 [1983年のヒット曲]

「ちょっと待って!」という間もなく 九月に。先月末 子供らが夏休みの宿題に翻弄してる頃?!天気予報では スーパー(今年いちばん大きく見える)&ブルームーン(八月二回目の満月)が見えるとかで夜空を見上げたけれど うす雲がたなびいちゃって 綺麗に見えない。おぼろぼろぼろ。[曇り][満月][曇り]

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一応写真は撮ってみたものの なんかいつもの満月と
そう変わらないみたいな感じだったな。。。[がく~(落胆した顔)][曇り][満月][曇り]
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翌朝は すだれ越しにも青空が見えるし彼岸までには
本当に涼しくなるのかな?数日だるびっしゅ気味で
風邪薬を一包だけのんだら治ったみたいな。   
ファン〇ルの 内脂サ〇ートも試しでのみ始めたんだ
けどそれもあるのかな。話題のブラックジンジャーに
期待してるんだけれど。運動もしなきゃダメなんだけ
れどね。[モバQ]                   
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[るんるん]今回の二曲は 40年前の1983年今頃の大ヒット曲から。ちょっと前にれびゅ~をした ジェニファー・ビールス主演の映画[フラッシュダンス]が大ヒットしていた頃。おいらは高2の夏休み明け。あまり学校のことは記憶はないんだけれどね。それ以上に家庭でいろんなことが起き始めて その後思いもしないことにスライドして おいら自身も今以上に覚悟をしなくてはならない 人生のから周りが始まる頃なのでした。世相では1983年8月21日 マニラ空港でアキノ元上院議員が暗殺されたり 9月1日には大韓航空機が撃墜される事件が起きたり 三か月ほど前になりますが 俳優 沖雅也さんが”涅槃で待つ”と残して新宿京王プラザホテルから・・・などワイドショーを賑わせていた頃。おいらはハマらなかったけれど 任天堂のファミリーコンピューターが発売されて話題になったのも。とにかくおいらは家庭内のことで不安な気持ちになり始めてたんですね。それについてはいつかまた。ヒットチャートはアイドルが目白押しな中 夏の終わりを感じさせる作品や 新たなアーティストが登場して来たりとどことなく違う風を感じ始めていました。そういえば今回の一曲目のアーティストの人気がささやかれ始めた頃 同級生が大ファンでカセットテープを貸してくれたこともあったな。おいらが貸して!って言ったんじゃなくて 勧めてくれてね。そんなア―ティストのことは名前も 前作となる「暁のパラダイス・ロード」って作品の動きも気になっていたので ブレイクする気配を感じてたんですね。そしてもうひとりのアーティストも 特徴的なヴォーカルが凄く印象でCMなどでも作品を耳にすることがあったから 突然急上昇ブレイクした時は”来たな!”って おこがましくも なんとなく流行歌の流れを読めるような気がしてた。今回は れびゅ~しませんが春先に開催されたTBS主催の東京音楽祭にエントリーして 8月末にシングル売り上げチャートでデビュー曲ながらトップテン入りした「SUMMER SUSPITION」杉山清貴&オメガトライブも やっぱりブレイクしたか!(というか かなりメーカーやバックアップが力を入れていたから)って思っていたな。「想い出がいっぱい」H₂Oも同時期にアニメの主題歌でひっとしましたね。(声優でまず名をあげた荻野目洋子は 翌年ソロ歌手デビュー/あだち充さんのアニメ作品のキャラクターは みんな似てるから髪型で判断しないと判らなくなっちゃう。若松まさと・上杉達也・上杉和也・高杉勇作は四つ子だったんだ!USO。ようやく脱線出来たぞゑ!)1983年夏の終わりだったんだね。[るんるん]
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「メリーアン」 ALFEE(アルフィー/現在の表記は THE ALFEE) 1983年06月21日発売 16枚目のシングル。今年で結成50周年となるアルフィーは 現在も大人気のロックバンド。1974年08月25日に「夏しぐれ」でデビュー。現在のメンバー 桜井 賢 坂崎幸之助 高見沢俊彦の3人になったのが1975年。二枚のシングルを発売するもヒットには至らず 1979年レコード会社を移籍し再デビューするまでは バックバンド活動をされていましたっけ。おいらが初めて彼らの存在を知ったのは1978年かな。彼らと同じ所属事務所の研ナオコさんが「窓ガラス」という作品をヒットさせていた頃 テレビで 研ナオコさんの演奏をされていた時でした。その時は研ナオコさんのことしか見てなかったから正直 後からそういえばと思い出したくらいでしたっけ。1979年「ラブレター」という作品で再デビューも なかなか日の目を見ることが難しかったのですが 当時から根強いファンに支えられていて アルフィー名義での前に仮面バンド(BEAT BOYS名義)として 吉田拓郎さんの作品をメドレーで歌った「スターズ☆オン(ショック!!TAKURO23)」がスマッシュヒットに。アルフィーとしては 1982年の14枚目「別れの律動(リズム)」が初のチャートイン。そして「暁のパラダイス・ロード」をはさみ 今回の16枚目の「メリーアン」がじわじわとヒットチャートを上昇。1983年8月末に日本武道館でのライブが更なるきっかけとなったか 9月に入ると3週目にベストテンにランクイン最高7位約37万枚の大ヒットすると 更に人気に火が付き翌年年明けにリリースされた「星空のディスタンス」が最高2位約52万枚の大ヒットに。その後は発表されるシングル・アルバム共にベストセラーとなり現在に至るんですよね。


メインで歌っている桜井さんが一番好きだな。
♬メリア~ン メリア~ン メリアン ボヘミアン~
(ちやうやろ![パンチ][むかっ(怒り)][がく~(落胆した顔)] あうちっ!)

DSCN1340_01.JPG 「ボヘミアン」 葛城ユキ 1983年05月21日発売 (葛城ゆき・ユキ名義で10枚目のシングル)おいらはYAMAHAのポプコンに出場されて1974年に「木曽は山の中」をリリースしたのがデビューだと思ってたんだけれど それ以前に本名名義でレコードをリリースされているの知らなかったんですよね。
「木曽は山の中」という作品は 木曽福島に親戚が住んでいて おじさんがその歌のことを教えてくれたのが知るきっかけだったんです(1977年07月末に泊まりにいった時に話をしてくれた。)が 何時しかそんなことも忘れて彼女のハスキーでパワフルなボーカルに衝撃を受けるのはもっと後で 1980年代になり「哀しみのオーシャン」や翌年夏の缶入りジンフィズのCMソングになった「風の彼方に」のころ。かすれたようなハスキーボイスで さらにパワフルさを増した(「木曽は山の中」とは全く違います!)ソウルフルでいてギンギンのロック系。チャートなんかを毎週見ていて その名前をよく見るようになっていたから 実際にはテレビなんかで見た記憶はないんだけれど 有線放送では特徴的な歌声だからすぐに彼女の歌だと判りました。そして今作なんですが この歌はもともと 同じくポプコン出身の大友裕子さん(1978年に「傷心」でデビュー)の作品。1983年4月にリリースされたアルバム『RUNNER』でカヴァーされて 5月にシングルカット さらにその後ドラマの主題歌に抜擢されあれよあれよとヒット街道をばく進するんですね。その頃 テレビドラマの主題歌に抜擢され大ヒットする作品が結構あって 「もしもピアノが弾けたなら」西田敏行 「鳥の歌」杉田かおる 「ロンリーハート」クリエイション 「心の色」中村雅俊 「聖母(マドンナ)たちのララバイ」岩崎宏美 「ダンスはうまく踊れない」高樹 澪・・・等なども。「ボヘミアン」は もう何と言ってもヴォーカルの力強さが 何よりものヒットの要因になったのは間違いないでしょうね。今作のヒットでさらにパワフルなボーカルを聴かせてくれた ボニータイラーのカヴァー「ヒーロー HOLDING OUT FOR A HERO」(麻倉未稀 盤がドラマの主題歌に。)「哀愁夜」(一時期 深夜の連投CMで話題作が多数生まれた 宝石・ファッション企業のCM) 「ハートブレイカー」等 その後もリリース作品多数。精力的なステージを中心とした活動をされていました。晩年は闘病生活でも身体を押してステージに立たれたことも。昨年夏にがんのために帰らぬ人に。


何と言ってもパワフルなヴォーカルにノックアウトさせられ
ましたね。葛城ユキさんのロックスピリットは永遠に。
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やっと手が出るくらいの価格に。
スイカももう時期が終わりかな。。。

あ~ 幾らか自分の時間が 取りやすくなって来たかなと思うんだけれど それでもなかなかまとまった時間は難しい。ブログ記事は 最近金曜の夕刻に書く時間を取って 週末は家事は仕方ないとしても おいら自身のことを出来るだけ優先するようにしてるんだけれどね。あとは暑さだね。夕方になって陽が翳り出すと ぬるい西風を感じることがある。晩夏の知らせか? 今週は天気が良くない日が続く予報が出ているけれど そんな時に出かけてもね。上手くいかないもんだね。[ふらふら]さてと 次回更新は9/10 0:00の予定です。[メモ]夏の疲れが出易い時期ですね。年末も~どの 小さな気配を感じるまでは ゆっくりしますかね。運動がてら歩いて移動しながら 秋の気配の画像ストックも仕入れなくては。秋桜も揺れ出し始めてるかな。そうそう 扇風機やサーキュレーターの羽やカバーが 意外とホコリをまとってたりするんですよね。エアコンのフィルターも それがどうも のどのイガイガの原因になってるみたい。掃除もしなきゃ。。。あとでやるか!では 今回はこのあたりにて ぐな~ぃ![夜]


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