朱い紅葉の中 赤とんぼが。 [1982年のヒット曲]
もう日曜日なの?たまには家事全て投げ出して 数日どこかへ旅行でもしたくなっちゃいます。(余裕ないから無理だけれどね。)11/5 先々週の土曜日なんとか時間(移動を含め四時間しかない!)作って 毎度のこと とんぼ返りで成田山新勝寺に行ってきました。もうこの前 護摩札を焚いていただいて2年も経っちゃったから行って来なくちゃと思い立ったが吉日となったかどうかは判りませんが。親の病気(病気平癒の祈祷)のお札は三年間も家に置いたままだったのでお礼参りしてこなくちゃいけなかったので 電車でGO!車の方が楽なんだけれど 何時ぶっ壊れて止まっちゃうか判らないからね。
コロナ禍とはいえ 七五三の時期と重なっているから
結構人が出てた。とにかく時間がないから本堂へ行って
出世稲荷行って また大本堂へ戻り護摩札祈祷で中に。
さらに醫王殿(いおうでん)へお礼参りして。
小走りで公園回って・・・。なんかこのあたりで疲れ
ちゃった。しかし時間は待ってくれない。昼も食べて
無かったし。親がデイサービスから帰って来ちゃう前
に家事の残りもやっちゃわなくては。参道を後ろめた
く眺め うなぎ屋さんの香りだけいただいて駅へ。
あんまり暑くて駅前のマックでシェイクだけ飲んで
電車に乗り込み帰路。家に帰ってから昼を食べたから
落ち着いたらもう午後四時。振り返ったら何だったん
だろ?一日は あっという間に過ぎちゃいました。
そうそう数日前に行こうとしたときは ゑび~が来て
たから行かないでよかった。 もっと混んでたかも。
(ゑび~ = 13代目團十郎) 栗蒸羊羹は忘れずに
買ってきました。(こういうことは忘れない!)
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さ~て今回の一曲です。今回も引き続き 40年前(1982年)のヒット曲を。今回の作品は映画のオリジナル・サウンド・トラック。40年前の今頃に大ヒットしてた映画でしたっけ。おいらは映画館嫌い(椅子が苦手)だったのでテレビで見たんだけれど この映画に出演されて 翌年 あのクサい大映ドラマ[スチュワーデス物語]でも話題になった 風間杜夫さんカッコよかったな!この前の(変身前の)渡辺 徹さんも憧れたけれど 銀ちゃんもカッコよかったな。(役の中で土方歳三を演じてた時だけ!あとのヤサっぽい感じは見てて嫌だけど!)最近はコミカルな演技も話題な松坂慶子さん この年はじめに大ヒットした[セーラー服と機関銃]にも出演してた 脇役演技がキラット光る平田満さんもいい味出してましたよね。このお三方が歌った今作も映画と共に話題になりましたっけ!
「蒲田行進曲 -SONG OF THE VAGABONDS-」 松坂慶子・風間杜夫・平田 満 1982年10月21日発売 松竹・角川映画[蒲田行進曲]サウンド・トラック盤 直木賞作人にもなった つかこうへいさん原作(同シナリオ)が公開されたのが 同年10月9日のこと。監督は 話題作を次々に大ヒットさせていた深作欣二監督。(関係は無いけれど 朝ドラで京都の撮影所が舞台になったのがありましたね。軌道修正・・・)
撮影所を舞台に スター俳優 銀四郎(風間杜夫)、大部屋役者 ヤス(平田 満)、売れなくなった女優(ヒロイン) 小夏(松坂慶子)が繰り広げる撮影所の舞台裏。あえて映画の内容は割愛させていただきますが 涙あり笑いありシリアスあり ドタバタな撮影所での”舞台裏が舞台”となった 今までにない作品。この映画で使われた(サウンド・トラック)で歌われた話題作が今作品。※おおもとの原曲は 1925年にオペラ[放浪の王者]の中の「放浪者の歌」として作曲家ルドルフ・フリムルによって書かれた歌劇の為の作品。1929年 その旋律に日本語詞をつけて 松竹の映画作品の主題歌に使われ流行歌となったのが所以らしいですね。松竹 蒲田撮影所の所歌としても採用されていたそうです。(※from wikipedia)
この映画のCMで始めた聴いた時だったのかな おいらは妙な聴覚えを感じたんだけれど どこかで以前に耳にしていたのかな?不思議と懐かしい感じがした。そしてロードショーでは見ませんでしたが テレビの放送(テレビ版のドラマではなくて 映画のテレビ放送)で見たこの映画は なんかつまらないなという第一印象で見始めたんですが なんというか人間臭くってストーリーが進むにつれてどんどんハマって行くのでした。いつ見たんだろう?主役級の三人以外にも こんな人も出ていたの!って俳優女優陣が!最初は 銀ちゃんかっこいい!(こんなセリフがあった記憶!)って見てたんだけれど ヤスの気持ちにどんどん惹かれて行ってラストの頃には 平田 満さんもカッコいいな!なんて。松坂慶子さんは大女優でいたから 初めから華があったし この三人のドタバタがなんともコメディに思えたんですね。しかしそれだけに終わらずに 見ながら泣いたり笑ったり そこへこの歌が締めくくってくれて一度で何度も面白い人情喜劇に大満足だったことを 今書きながら思い出すのです。あの頃 役者や芸能に憧れを抱いていたおいらは さらに憧れをふくらませるのでした。
あ、忘れるとこだった。この映画の主題歌は別にあって こちらも1982年年末からよく年明けにかけて大ヒットするんですね。
「恋人も濡れる街角」 中村雅俊 1982年09月01日発売 17枚目のシングル。作詞作曲は桑田佳祐さん 「蒲田行進曲」とは まったくイメージの違うアンニュイで 桑田さんのお得意路線?!のエロス感を漂わす?!人間臭く奥深い作品。これからの寒くなる時期に 妙にフィットするような気が 毎年冬が訪れるころになるとするんですよね。ぐふふ。
「蒲田行進曲 -SONG OF THE VAGABONDS-」 松坂慶子・風間杜夫・平田 満 1982年10月21日発売 松竹・角川映画[蒲田行進曲]サウンド・トラック盤 直木賞作人にもなった つかこうへいさん原作(同シナリオ)が公開されたのが 同年10月9日のこと。監督は 話題作を次々に大ヒットさせていた深作欣二監督。(関係は無いけれど 朝ドラで京都の撮影所が舞台になったのがありましたね。軌道修正・・・)
撮影所を舞台に スター俳優 銀四郎(風間杜夫)、大部屋役者 ヤス(平田 満)、売れなくなった女優(ヒロイン) 小夏(松坂慶子)が繰り広げる撮影所の舞台裏。あえて映画の内容は割愛させていただきますが 涙あり笑いありシリアスあり ドタバタな撮影所での”舞台裏が舞台”となった 今までにない作品。この映画で使われた(サウンド・トラック)で歌われた話題作が今作品。※おおもとの原曲は 1925年にオペラ[放浪の王者]の中の「放浪者の歌」として作曲家ルドルフ・フリムルによって書かれた歌劇の為の作品。1929年 その旋律に日本語詞をつけて 松竹の映画作品の主題歌に使われ流行歌となったのが所以らしいですね。松竹 蒲田撮影所の所歌としても採用されていたそうです。(※from wikipedia)
この映画のCMで始めた聴いた時だったのかな おいらは妙な聴覚えを感じたんだけれど どこかで以前に耳にしていたのかな?不思議と懐かしい感じがした。そしてロードショーでは見ませんでしたが テレビの放送(テレビ版のドラマではなくて 映画のテレビ放送)で見たこの映画は なんかつまらないなという第一印象で見始めたんですが なんというか人間臭くってストーリーが進むにつれてどんどんハマって行くのでした。いつ見たんだろう?主役級の三人以外にも こんな人も出ていたの!って俳優女優陣が!最初は 銀ちゃんかっこいい!(こんなセリフがあった記憶!)って見てたんだけれど ヤスの気持ちにどんどん惹かれて行ってラストの頃には 平田 満さんもカッコいいな!なんて。松坂慶子さんは大女優でいたから 初めから華があったし この三人のドタバタがなんともコメディに思えたんですね。しかしそれだけに終わらずに 見ながら泣いたり笑ったり そこへこの歌が締めくくってくれて一度で何度も面白い人情喜劇に大満足だったことを 今書きながら思い出すのです。あの頃 役者や芸能に憧れを抱いていたおいらは さらに憧れをふくらませるのでした。
あ、忘れるとこだった。この映画の主題歌は別にあって こちらも1982年年末からよく年明けにかけて大ヒットするんですね。
「恋人も濡れる街角」 中村雅俊 1982年09月01日発売 17枚目のシングル。作詞作曲は桑田佳祐さん 「蒲田行進曲」とは まったくイメージの違うアンニュイで 桑田さんのお得意路線?!のエロス感を漂わす?!人間臭く奥深い作品。これからの寒くなる時期に 妙にフィットするような気が 毎年冬が訪れるころになるとするんですよね。ぐふふ。
「恋人も濡れる街角」・・・この歌を聴いていると
年が暮れてくるような気配を感じるんだよね・・・。なぜか。
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成田山新勝寺で ひと通り済んで帰ろうかなと思った
時に 季節外れな?赤とんぼが 目の前を飛びまわり
石柱にとまった。少し前かな 誰のブログだか忘れて
しまったんだけれど トンボのことが書かれていて
トンボは神の使いということをこの時思い出した。
後にググったんだけれど 赤とんぼは 前にしか進ま
ないのだとか。ゆえに勝ち虫の異名があるんだとか。
・・・前の護摩札を返して お参りと新しい護摩札を
受け取りとんぼ返りの数時間。いつも通りうなぎは
食べれなかったけれど 行くことが出来ただけ良しと
しておこう。
備忘録:11/8の 怪奇?否 皆既月食。
昼間は まだ暖かくて今年も残りが あとひと月半という感じが全く感じないんだけれど 地域によっては雪が降り出したなんてニュースを聞くと年が暮れて来ているんだなと思う。毎日追われたばかりだけれど 無理はしないで乗り切らなくては!来年はおいらにとって 12年に一度の良い年だとか!過度な期待しすぎはせずに 少し余裕のある生活感を持てればいいな。また一週間がんばって行こう!次回更新は11/20 0:00の予定です。寒さが増してくるとか。みなさまも体調崩しませんように!今回はこのあたりにて ぐな~ぃ!
ラ・フランス かほる頃 [1982年のヒット曲]
霜月になりました、一週間前。今月初めての記事。もう雪の便りが届く季節。しかし こちら千葉県北西部湾岸地域は 朝晩は冷え込む(おいらはそう感じないけど…。)ことはあれど 昼間は まださわやかな陽気(この後は日に日に寒さを感じるようになるんだろうね。)で 先日はまたシャツがびっしょびしょ(は~ぁ、間違いないな更年期だ~っ。あはは!でもね 高校生の頃から そういう感じもあったな。多感期の多汗症だったの?え゛~っ。でも臭くなかったよ。太れなかったし 代謝がかなり良かったのかも!)。でもね 偶然間違ってググったら”若い頃流さなかった汗は 年老いて涙に変わる”なんて言葉を誰かが言ってたみたい(それは 苦労したってことだを!あうち・・・。)。年老いてない心算だけれど 涙流さないように今日も前向きに行かねば!
さて 今回の一曲は引き続き40年前(1982年のヒット曲)シリーズ。今年の盛夏08月30日に 突然SNS(twitter)が発信されて話題になりましたね。もう二カ月が過ぎますが お元気でいるのかな?おいらは彼女の復活をじっくり待っています。今年の年末に何か動きがあるんじゃないかなんて 噂もあるけれど焦らずにゆっくり無理のないペースで活動再開してくれれば!それでいいと思うんだよね。今回の一曲は 今週の木曜日11月10日に発売からまる40年になる最大の売上となる代表作を。実はね あとでまた書くけれど おいらは今作品が新曲として発売直前に電波(深夜のラジオで初めて聴いた)に乗った時に ため息ついちゃったんだよね。
「セカンド・ラブ」 中森明菜 1982年11月10日発売3枚目のシングル。同年5月に「スローモーション」でデビューした明菜ちゃん。当初は 前評判は良かったけれど同期の他の女性アイドルに霞んじゃう存在で 地道ながらじわりじわりと存在感を表しシングル作品より先にアルバム『プロローグ<序幕>』で売り上げベストテンに登場。ロングセラーを続けながら 後期百恵さんを感じさせるような曲調のセカンドシングルとなる「少女A」での大ブレイク。さらに同曲を収録したセカンドアルバム『バリエーション<変奏曲>』の発売と共に大ヒットの更なるブレイクの大波に乗った状態でリリースされることになるのが「セカンド・ラブ」。デビュー曲と同じ 作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお(この年度 最も多くの話題作をヒットさせ自らの大ブレイクを果す)陣営によるバラード作品。実はこの作品は 最近もシティ・ポップスの再ブームにより再び話題となっている大物歌手(J・Oさん)の為の提供予定作品として ストック作品されていたんですね。明菜ちゃん自身は 自身がその作品を歌うことになりかなりプレッシャーを感じてたみたいですね。しかしそんなも良いもどこ吹く風。リリースと共にヒット街道ばく進。発売1週目で シングル週刊売り上げ初登場2位。翌週11/29付で首位を獲得。花の82年組のアイドルで一番最初に首位を獲得し 押しも押されぬ人気は更に上昇し翌年以降の飛躍につながるわけです。しかし同年賞レースの最後のステージと紅白には 追い上げは凄いものがありながらご縁が無かったんですね。(当時は いろんな裏舞台のことは 今ほど見えにくい芸能界。裏事情的な事はやはりあったんですね。)しかし彼女の人気はとどまることを知らず 「セカンド・ラブ」とクリスマス・イブに企画盤として発売された(限定盤)ピクチャー・ディスク ミニ・アルバム『セブンティーン』の順調な売り上げと共に すべての作品がチャートを再浮上。テレビへの露出も増え 当時 女性アイドルの頂点と呼ばれた松田聖子さんの人気の城壁を震わせる存在に君臨して行くのでした。
さて さっき書き出しで口籠っちゃったことなんですが 実はおいらはこのシングルが発売される頃にはそれまでリリースされたすべての作品を聴いて 明菜ちゃんの存在がますます気になるファンのひとりになっていたんですが・・・実はあの頃は スローな曲って確かに名曲の誉れがあったんだけれど苦手だったんですね。シングル ファースト&セカンド・アルバムと聴いて気に入ってた作品は 「スローモーション」(←一応はバラードということだけれど)「条件反射」「Bon Voyage(ボン・ヴォヤージ)」「ダウンタウンすと~り~」「少女A」(←明菜ちゃんは強度に拒否してた!けれど嫌々歌わされたのが功をなす!ツッパリ作品ね!)「キャンセル!」「ヨコハマA・KU・MA」「X³(バイバイ)ララバイ」のとにかくノリのいいロック調の作品ばかり。・・・だから新曲が もう大バラードな「セカンド・ラブ」と決まった時は落胆。イヤだったわけ。明菜ちゃんは このような路線の作品を歌って行きたいという理想があったから そういう点でおいらの彼女に対する理想とは違ってた。でも その人気はおいらの個人的な感情とは裏腹にどんどんヒットして行き なんかとまどったのが正直なところ。だから今もあまり好きな部類じゃないんですね。(明菜ちゃんごめんね。)なので 4枚目のシングルが「1/2の神話」に決定した時はすんごく嬉しかった。まだ無名の大沢誉志幸さんのまさにとんがったロック作品が。でも おいらとは逆に感じていた人もまたいらっしゃるし 「1/2の神話」で落胆したって人も少なくなかったっけね。ちょっとだけ売り上げが「セカンド・ラブ」より落ちちゃったけれど。でも その後の作品には じわじわとサビまで盛り上げて 特化爆発する作品が彼女のカラーになって行くんですよね。「飾りじゃないのよ涙は」「ミ・アモーレ(Meu amor é・・・)」「DESIRE(情熱)」。後者二作品は 新人性に御縁のなかった日本レコード大賞の大賞を二年連続で獲得。これは裏事情とかでなく おいらは実力だと思ったけれどね。
元に戻りますが「セカンド・ラブ」があったからこそ その後の人気が確立されたわけなのでしょう。
「セカンド・ラブ」 中森明菜 1982年11月10日発売3枚目のシングル。同年5月に「スローモーション」でデビューした明菜ちゃん。当初は 前評判は良かったけれど同期の他の女性アイドルに霞んじゃう存在で 地道ながらじわりじわりと存在感を表しシングル作品より先にアルバム『プロローグ<序幕>』で売り上げベストテンに登場。ロングセラーを続けながら 後期百恵さんを感じさせるような曲調のセカンドシングルとなる「少女A」での大ブレイク。さらに同曲を収録したセカンドアルバム『バリエーション<変奏曲>』の発売と共に大ヒットの更なるブレイクの大波に乗った状態でリリースされることになるのが「セカンド・ラブ」。デビュー曲と同じ 作詞:来生えつこ 作曲:来生たかお(この年度 最も多くの話題作をヒットさせ自らの大ブレイクを果す)陣営によるバラード作品。実はこの作品は 最近もシティ・ポップスの再ブームにより再び話題となっている大物歌手(J・Oさん)の為の提供予定作品として ストック作品されていたんですね。明菜ちゃん自身は 自身がその作品を歌うことになりかなりプレッシャーを感じてたみたいですね。しかしそんなも良いもどこ吹く風。リリースと共にヒット街道ばく進。発売1週目で シングル週刊売り上げ初登場2位。翌週11/29付で首位を獲得。花の82年組のアイドルで一番最初に首位を獲得し 押しも押されぬ人気は更に上昇し翌年以降の飛躍につながるわけです。しかし同年賞レースの最後のステージと紅白には 追い上げは凄いものがありながらご縁が無かったんですね。(当時は いろんな裏舞台のことは 今ほど見えにくい芸能界。裏事情的な事はやはりあったんですね。)しかし彼女の人気はとどまることを知らず 「セカンド・ラブ」とクリスマス・イブに企画盤として発売された(限定盤)ピクチャー・ディスク ミニ・アルバム『セブンティーン』の順調な売り上げと共に すべての作品がチャートを再浮上。テレビへの露出も増え 当時 女性アイドルの頂点と呼ばれた松田聖子さんの人気の城壁を震わせる存在に君臨して行くのでした。
さて さっき書き出しで口籠っちゃったことなんですが 実はおいらはこのシングルが発売される頃にはそれまでリリースされたすべての作品を聴いて 明菜ちゃんの存在がますます気になるファンのひとりになっていたんですが・・・実はあの頃は スローな曲って確かに名曲の誉れがあったんだけれど苦手だったんですね。シングル ファースト&セカンド・アルバムと聴いて気に入ってた作品は 「スローモーション」(←一応はバラードということだけれど)「条件反射」「Bon Voyage(ボン・ヴォヤージ)」「ダウンタウンすと~り~」「少女A」(←明菜ちゃんは強度に拒否してた!けれど嫌々歌わされたのが功をなす!ツッパリ作品ね!)「キャンセル!」「ヨコハマA・KU・MA」「X³(バイバイ)ララバイ」のとにかくノリのいいロック調の作品ばかり。・・・だから新曲が もう大バラードな「セカンド・ラブ」と決まった時は落胆。イヤだったわけ。明菜ちゃんは このような路線の作品を歌って行きたいという理想があったから そういう点でおいらの彼女に対する理想とは違ってた。でも その人気はおいらの個人的な感情とは裏腹にどんどんヒットして行き なんかとまどったのが正直なところ。だから今もあまり好きな部類じゃないんですね。(明菜ちゃんごめんね。)なので 4枚目のシングルが「1/2の神話」に決定した時はすんごく嬉しかった。まだ無名の大沢誉志幸さんのまさにとんがったロック作品が。でも おいらとは逆に感じていた人もまたいらっしゃるし 「1/2の神話」で落胆したって人も少なくなかったっけね。ちょっとだけ売り上げが「セカンド・ラブ」より落ちちゃったけれど。でも その後の作品には じわじわとサビまで盛り上げて 特化爆発する作品が彼女のカラーになって行くんですよね。「飾りじゃないのよ涙は」「ミ・アモーレ(Meu amor é・・・)」「DESIRE(情熱)」。後者二作品は 新人性に御縁のなかった日本レコード大賞の大賞を二年連続で獲得。これは裏事情とかでなく おいらは実力だと思ったけれどね。
元に戻りますが「セカンド・ラブ」があったからこそ その後の人気が確立されたわけなのでしょう。
明菜ちゃ~ん また派手な作品も歌ってね!いつまでも待ってるよ!(「X lady」ってアルバム作品が その後2009年にあるんだけれど 某雑誌記事に書かれてた「おばさんZ」も期待してます~ぅ。)
改めて 明菜ちゃん40周年おめでとう!これからも 明菜ちゃんのペースで歌い続けてくれることが おいらの願いです。
改めて 明菜ちゃん40周年おめでとう!これからも 明菜ちゃんのペースで歌い続けてくれることが おいらの願いです。
でも 好きじゃないと言いながら学校から帰って来て明菜
ちゃんのレコード毎日聴いてたっけ。勉強もしないでね。
12月になってバイトを始めるんだけれど そのころから
おいらは それまでの過去の自身のどちらかというと内気な
(内気っていうのかな?!)性格から今の性格に近い感じに
変わってきたのでした。芸能界に強い憧れを持つように
なったのも。(ちょっと前からオーディションに応募とか
歌のデモテープ送ったりしたっけね。若気の至り。)
今でも機会あったらなんて思ったりするけれど ころっころ
おぢさんじゃね。逆に羞恥心おぼえたYO!
***************************
今週 今秋初めてラ・フランスを買ったYO!
まだ仏壇に供えてあるし若いから食べてないけれどね!
軸の付け根が熟してほのかに香る頃を待ちながら。
そうそう!アールグレイ・ミルクティー以来の数量限定
かな?MOW Special バタースコッチ&アーモンド
7-11にて げと。
ちゃんのレコード毎日聴いてたっけ。勉強もしないでね。
12月になってバイトを始めるんだけれど そのころから
おいらは それまでの過去の自身のどちらかというと内気な
(内気っていうのかな?!)性格から今の性格に近い感じに
変わってきたのでした。芸能界に強い憧れを持つように
なったのも。(ちょっと前からオーディションに応募とか
歌のデモテープ送ったりしたっけね。若気の至り。)
今でも機会あったらなんて思ったりするけれど ころっころ
おぢさんじゃね。逆に羞恥心おぼえたYO!
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今週 今秋初めてラ・フランスを買ったYO!
まだ仏壇に供えてあるし若いから食べてないけれどね!
軸の付け根が熟してほのかに香る頃を待ちながら。
そうそう!アールグレイ・ミルクティー以来の数量限定
かな?MOW Special バタースコッチ&アーモンド
7-11にて げと。
一週間が早い・・・。もう ほぼ毎日朝と夕方は台所でご飯の用意しているから(朝とデイサービスに行かない時の昼は 親のがあるから!おいらは食べなくてもいいんだけれど。その分寝ていたい&おいらの時間が欲しい!)まだ長い時間 親を家に一人にしておく時間は難しいんだけれど だいぶ家の生活も落ち着いて来ているから ショート・ステイとかも挑戦して慣れてくれると良いんだけれどな。・・・無理強いは出来ないけれど。は~ぁ。
そろそろ東京湾越しの富士山が見え始めるころ。(つまり晩秋のおとずれ。)陽の落ちるころに海に見に行けるといいな。来年用の年賀状ハガキも買って来たけれど まだやる気はしないからあと回し。来年は卯年なんだね。おいらも飛び跳ねる良い運気になってほしいな。(まだ鬼に笑われるか・・・。)宝くじ当たってほしい!JAFの年会費も払わなくちゃ。なんかいろいろ出費が増える年末が じわじわと迫ってくる。さ~てと 次回更新は11/13 0:00の予定です。今回は このあたりにて。みなさん風邪ひきに気をつけてくださいね!ではでは ぐな~ぃ!
そろそろ東京湾越しの富士山が見え始めるころ。(つまり晩秋のおとずれ。)陽の落ちるころに海に見に行けるといいな。来年用の年賀状ハガキも買って来たけれど まだやる気はしないからあと回し。来年は卯年なんだね。おいらも飛び跳ねる良い運気になってほしいな。(まだ鬼に笑われるか・・・。)宝くじ当たってほしい!JAFの年会費も払わなくちゃ。なんかいろいろ出費が増える年末が じわじわと迫ってくる。さ~てと 次回更新は11/13 0:00の予定です。今回は このあたりにて。みなさん風邪ひきに気をつけてくださいね!ではでは ぐな~ぃ!
from 神無月 to 霜月 [1982年のヒット曲]
神無月も今日を含めてあと二日。年の瀬がじわじわと近づいてくるような気配を どことなく感じるんですが時折(特に夜間の)寒さは感じるものの昼間はそう寒さを感じるような気がしない。昼夜の寒暖差で なんとも体調がスッキリしなくて 眼精疲労や肩の張りを感じるこの頃。PCを開く時間もそう取れないから影響は別のところからなのかな?胃も空腹時にかなり弱い鈍痛を感じることもあるから 神経的に精神的に疲れてるのかもしれないね。
さて 今回の一曲は引き続き40年前(1982年)のヒット曲シリーズから。(来年は・・・まだ鬼が笑うか?1983年シリーズになるのかな ?! )年末が近づいてくると ここ数年はコロナ禍で自粛ムードだったけれど忘年会などを考える方々もいらっしゃるんじゃないかな?先日は普通に買い物帰りに すれ違った人の声が漏れて”忘年会”は貸し切りが良い!なんて聞こえてきたんだけれど 今年は年の瀬の酒の席ことを考えている人も 一昨年、昨年よりも多いのかな?おいらは呑める方でないから そういう席は嫌いではないんだけれど食べることと歌うことしか楽しめないんだよね。これまでも仕事関係とか忘年会って参加したことあるけれど 気になるのがカラオケ!忘年会シーズンって 今は判らないけれど 80年代90年代あたりだと場を盛り上げる宴会ソングみたいなのが毎年何曲かヒットしましたっけ。「男と女のラブゲーム」(競作多数 1986~7年 )「居酒屋」(木の実ナナ・五木ひろし 1982年 )「もしかしてPARTⅡ」(小林幸子・美樹克彦 1984年 )を始めデュエットソングも多々登場しました。1982年は年末に向けて 前触れは感じなかったんだけれどリリース後に 急に火がついてチャートを駆け上り翌年初めにかけて まだまだ初期(第二期ブーム/スナックや酒の席がメインでしたっけ。)のカラオケの席で大人気になったこの作品を。意味も分からず子供たちが口ずさんでいたのは なんともな感じがしましたっけ。
「3年目の浮気」 ヒロシ&キーボー 1982年08月21日発売 日本のエレキギターの雄と語り継がれる寺内タケシさんが1960年代初頭に ロカビリーブームの中大人気を果した寺内タケシとブルージーンズと並行して その後のGS(グループサウンズ)ブームの中寺内タケシさんを中心に結成された 寺内タケシとバニーズのボーカリストとしてデビューしたのが黒沢博さん。(実兄は 「やすらぎ」「時には娼婦のように」などのヒット曲で知られる歌手・俳優としておなじみの黒沢年男さん)黒沢博さんは 一時期カラオケスタジオの経営者としてCMにも出演されてましたっけ。そして今回の作品のデュエットのオーディションで選ばれたキーボーこと山田喜代子さんと ヒロシ&キーボーを結成して「3年目の浮気」でデビュー。
デュエット作品というと ムード歌謡のイメージが強いんですがこの作品はちょっと毛色が違うような ややコミックソング的な要素も歌詞の中に織り込まれ さりげなく歌っても印象に残るところがヒットに繋がったのでしょうね。(この作品以前に話題になった ポップス調のデュエット作品は 「カナダからの手紙」平尾昌晃・畑中葉子 1978年 )” ♪ 馬鹿言ってんじゃないよ・・・ ” ” ♪ 馬鹿言ってんじゃないわ! ” と会話調の歌詞も斬新でヒットの要因に。特に当時”夜の歌謡曲”と言われた流行歌の発信基地となった 有線放送でのリクエストの人気にかなりの人気が集中したのもヒットの要因になったんですね。8月末に発売後 一気にリクエストのトップテンにランクインして そこからレコードのセールスに火が付き1982年末には シングルレコードの週刊売り上げランキングのトップを獲得。80万枚越えの大ヒットになりました。同年末の有線放送大賞(日本有線大賞・全日本有線放送大賞)では ともに最優秀新人賞に輝きました。(有線放送は 歌謡曲や演歌系の強みがありましたが有力候補だったニューミュージック系の ”「待つわ」あみん” に大きな差をつけての受賞)秋口からテレビへの出演も効して 意味を知ってか知らずか子供たちも口ずさんでました。当時は まだ世代を超えたヒット曲ってたくさんあったんですよね。この作品のヒット後は 二番煎じ的?な「5年目の破局」「危険なクラス会(7年目の洒落)」等をリリース。一発屋的な存在となってしまいましたが 「3年目の浮気」は 今でもカラオケで歌われるエヴァ―グリーンヒットに。1984年コンビ解消後 それぞれソロとしての活躍へ。(さらにその後 スキャンダルもありましたっけ・・・。)
「3年目の浮気」 ヒロシ&キーボー 1982年08月21日発売 日本のエレキギターの雄と語り継がれる寺内タケシさんが1960年代初頭に ロカビリーブームの中大人気を果した寺内タケシとブルージーンズと並行して その後のGS(グループサウンズ)ブームの中寺内タケシさんを中心に結成された 寺内タケシとバニーズのボーカリストとしてデビューしたのが黒沢博さん。(実兄は 「やすらぎ」「時には娼婦のように」などのヒット曲で知られる歌手・俳優としておなじみの黒沢年男さん)黒沢博さんは 一時期カラオケスタジオの経営者としてCMにも出演されてましたっけ。そして今回の作品のデュエットのオーディションで選ばれたキーボーこと山田喜代子さんと ヒロシ&キーボーを結成して「3年目の浮気」でデビュー。
デュエット作品というと ムード歌謡のイメージが強いんですがこの作品はちょっと毛色が違うような ややコミックソング的な要素も歌詞の中に織り込まれ さりげなく歌っても印象に残るところがヒットに繋がったのでしょうね。(この作品以前に話題になった ポップス調のデュエット作品は 「カナダからの手紙」平尾昌晃・畑中葉子 1978年 )” ♪ 馬鹿言ってんじゃないよ・・・ ” ” ♪ 馬鹿言ってんじゃないわ! ” と会話調の歌詞も斬新でヒットの要因に。特に当時”夜の歌謡曲”と言われた流行歌の発信基地となった 有線放送でのリクエストの人気にかなりの人気が集中したのもヒットの要因になったんですね。8月末に発売後 一気にリクエストのトップテンにランクインして そこからレコードのセールスに火が付き1982年末には シングルレコードの週刊売り上げランキングのトップを獲得。80万枚越えの大ヒットになりました。同年末の有線放送大賞(日本有線大賞・全日本有線放送大賞)では ともに最優秀新人賞に輝きました。(有線放送は 歌謡曲や演歌系の強みがありましたが有力候補だったニューミュージック系の ”「待つわ」あみん” に大きな差をつけての受賞)秋口からテレビへの出演も効して 意味を知ってか知らずか子供たちも口ずさんでました。当時は まだ世代を超えたヒット曲ってたくさんあったんですよね。この作品のヒット後は 二番煎じ的?な「5年目の破局」「危険なクラス会(7年目の洒落)」等をリリース。一発屋的な存在となってしまいましたが 「3年目の浮気」は 今でもカラオケで歌われるエヴァ―グリーンヒットに。1984年コンビ解消後 それぞれソロとしての活躍へ。(さらにその後 スキャンダルもありましたっけ・・・。)
コロナ禍が続いていますが 飲食業とカラオケなんかもかなり
影響を受けてますよね。おいらは 車運転中にひとりカラオケ
してますが カラオケ屋さんのステージで歌わなくなってどれ
くらいになるんだろう?5年くらいは歌ってないかな。
今、テレビから「どうにもとまらない」が BGMに使われて
流れてたんだけれど hatumi30331 さん元気にしてるかな?
(裏・市長画伯作 hatumi30331さんの似顔絵が過る!)
おいらも「どうにもとまらない」は 十八番だったりして!
みなさんカラオケでは どんな歌を唄うんだろ!
たまには 大声で歌って ストレス解消したいね!
*************************
用があって 親が通院していた医療機関の近くを通った。
懐かしい里・・・って感じの場所を通るんだけれども
一本だけ田んぼの中にある柿の木に目を惹奪われて車を停め
シャッターを。 おだやかに陽射しが陰影を作っていて
このまま時が 少しだけ止まってほしいと思った秋の日。
去った後にしばらくして つるべ落としになったのだろう
な。。。この日は 新鮮な野菜を買っておでんを作った。
やはり季節は進んでいる。海辺から富士山が見える季節に
なったんだろう。見に行く時間が出来ればいいな。
影響を受けてますよね。おいらは 車運転中にひとりカラオケ
してますが カラオケ屋さんのステージで歌わなくなってどれ
くらいになるんだろう?5年くらいは歌ってないかな。
今、テレビから「どうにもとまらない」が BGMに使われて
流れてたんだけれど hatumi30331 さん元気にしてるかな?
(裏・市長画伯作 hatumi30331さんの似顔絵が過る!)
おいらも「どうにもとまらない」は 十八番だったりして!
みなさんカラオケでは どんな歌を唄うんだろ!
たまには 大声で歌って ストレス解消したいね!
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用があって 親が通院していた医療機関の近くを通った。
懐かしい里・・・って感じの場所を通るんだけれども
一本だけ田んぼの中にある柿の木に目を惹奪われて車を停め
シャッターを。 おだやかに陽射しが陰影を作っていて
このまま時が 少しだけ止まってほしいと思った秋の日。
去った後にしばらくして つるべ落としになったのだろう
な。。。この日は 新鮮な野菜を買っておでんを作った。
やはり季節は進んでいる。海辺から富士山が見える季節に
なったんだろう。見に行く時間が出来ればいいな。
何かと話題にかける日々ですが ちょっと疲れている体調を戻して新しい霜月に踏み出さなくては!体重も落とさなくては。例年通り食欲の秋となってきている。ぐへ~っ!次回更新は 11/6 0:00の予定です。あ~っ 親の予防接種も連れて行かなくては。インフルと5回目のコロナワクチンもだ。まだ しばらく介護中心の生活は変わらないけれど 上手く時間を割いて自分の時間を満喫出来ればいいな。クリスマス・イルミネーションの点灯もそう遠くないだろう。昼夜の気温差が大きくなってます。みなさまも体調崩されませんように!今回はこのあたりにて。ぐな~ぃ!