SSブログ

無性に声を出して歌いたい気分になった。 [1974年のヒット曲]

ざわざわする年の初めとなってしまいましたが なんとか穏やかにと思っていたら 先週の土曜の夜に親が腰をひねったらしく腰の筋肉を伸ばしてしまい ぎっくり腰状態に。おいらも 四半世紀前に椎間板ヘルニアで 同じような(親の方がまだマシだと思うけれど年もあるし。痛みは判るからまだ解釈出来てるのは未経験よりはね!)経験があるから ざわざわ気分は現実化しちゃって。ぬ~ん。
もう介護生活は入院時も含めて 五年以上になるし 入浴やトイレの介助が必要な時にはなんとかこなせるけれど やはり一番きついのは寝ている時に起こされちゃうこと。自然の生理現象(もちろんリハビリ・パンツとかも利用しているけれど)だから仕方ないけれど。脳(神経系)の方の薬を服用していたりもするので 普段の痛みなどの症状がより強く感じてしまったりすると 神経が高ぶって(皮膚の感覚が過敏になったり 尿意を必要以上に感じたりとか)優先事項が判らなくなってしまい ぷちパニックに似たような傾向も出ちゃうから どうなだめるかとか疲れちゃいます。それまではデイ・サービスに通っていましたが 症状がおさまるまで安静も必要なので 自宅での生活が中心になっちゃうと おいらもかかりきりになると 他のことが出来なくなっちゃうんですよね。今回の記事も間に合うか心配だったけれど 親が眠りに就いた深夜に。とはいえこっちも早く寝たいから 朝時間が出来た時とかちょこちょこ書いてなんとか。老齢期うつから パーキンソン病(確定的判断ではないのです。)の症状に移行している状態なので 治まっていたうつ状態で衝動的になっている状態が ぎっくりで焦る!迷う!判断しにくい!となると 腰の症状以上に心の症状を まず先に安定させるのにひと苦労。大声出すとかえって急かすことになりかねないしね。(←そうこう書いているけれど 第三者的においらがおいら自身を見れてるから 精神的には 数年前よりは介護というものを理解出来てきたようにも思えたり。決して安易には考えられないけれどね。)レビー小体型認知症の傾向も少しづつ出て来ているのかな。そういえば ヨーコ・オノさんもレビーの症状だとか言ってたけれど。最近話題を見聞きしないな。
うちの親は とりあえずギックリの痛みさえ緩和してきたら またデイ・サービスにも行きたい意欲は強いから 今のところ精神的なことは心配してないけれど。おいらの心の中は ざわわ。早く腰の調子よくなってくれて(期待は数日先になるだろうけど)一日数時間でも 前向きな時間を持てれば また気持ちも治まってくるだろうね。少しは介護系の勉強も してみようかななんて思うこともあるんですよね。以前のような仕事は多分復帰は難しいかもな。(あ~のっけから 脱線だよ![電車][電車][電車]

DSCN1974_01.JPG
弟が休みだった日に 買出しついでに数分よった近所の
公園に ロウバイが咲いてた。触らなかったけれど
透いた感じが 触れたら蝋細工みたいに 脆く壊れそう
だったYO。                   
DSCN1983_01.JPG
白梅もつぼみが大きくなってきてた!小さな春到来!
*************************

[るんるん]さてと出だしが長くなっちゃったから 今回はコンパクトにまとめなくちゃ!今回は前回に引き続き 1974年(半世紀前)のヒット曲から。この年は 前年の女性アイドル大豊作から一変して 落ち着いた感じの歌唱力が話題を呼んだ歌手が出てきた年でもあったんですよね。今回の一曲も その中のひとり。数日前にコメント欄にちょっと書いたんだけれど ふと思い出して この歌をカラオケで歌いたいなって数日 口ずさんでたんですよね。そういえば彼女も 前回の小坂明子さんと同じく ダイエット本を出版されてたな。それも当時珍しかった”ヨガ”を取り入れたの。オールタイムのベスト・アルバムを期待しているんだけれどね。引退されてずいぶん経つしね。彼女の存在もヒットを出していた頃を知っている人でも覚えている方は少ないかもね。どこか不幸の不の字を背負ってしまったイメージが強いのは このデビュー曲の影響なのかな。おいらは結構好きなんだけれど。難しい歌でもあるから歌い甲斐はすんごくあるんだけれど。こんな曲あったね。って方も多いだろうね。[るんるん]
DSCN1955_01.JPG 「逃避行」 麻生よう子 1974年02月21日発売 デビュー曲。昭和を代表する作曲家 猪俣公章(坂本冬美が内弟子だったというのは有名ですよね。また挙げきれないけれど 森進一「女のためいき」「港町ブルース」「おふくろさん」 藤圭子「女のブルース」「京都から博多まで」 内山田洋とクールファイブ「噂の女」 五木ひろし「千曲川」をはじめ 数多くのヒット曲を発表)の門下生として歌のレッスンをされているところを レコード会社に見出されてこの作品でデビュー。麻丘めぐみ 山口百恵・・・のヒット曲で知られる作詞家 千家和也 当時 山口百恵 フィンガー5 山本リンダをはじめ大ヒットを連発されていた 都倉俊一のコンビでドラマティックな映像を描き上げスマッシュヒット。この作品で 同年の日本レコード大賞最優秀新人賞を獲得。同期には 浅野ゆう子 テレサ・テン 西川峰子 伊藤咲子 城みちる 荒川務 あいざき進也 リンリンランラン・・・と 現在でも活躍されている個性的な新人が揃っていました。ちなみにこのジャケットの麻生よう子の後ろに写っている駅舎は 改築される前の東京 原宿駅なんですね。(脱線するんですが おいらがボーカルレッスンに通っていた某作詞作曲家の事務所兼レッスン場があったのも当初は原宿だったので よく乗り降りしましたっけ。あの有名な竹下通りを通ってゆくんですけれどね。後に渋谷に引越し。脱線終わり。)
彼女の印象って さっきも書いたんだけれど どこか寂し気で不幸な感じが漂っている印象が強いんですよね。1979年には 一新して当時のディスコサウンドを日本語カバー。「恋のサバイバル2」グロリア・ゲイナーのカヴァーで布施明さんと競作。まぁ歌唱力には定評があったから 難しい曲ばかりで。「午前零時の鐘」「片隅のふたり」「霧笛」「雪どけ」西田佐知子作品カヴァー「涙のかわくまで」「恋のナイトライフ」ムード歌謡の名作「ワン・レイニー・ナイト・イン・トーキョー」「赤坂の夜は更けて」「別れの朝」「ジョニィへの伝言」なども。あまり過去の映像動画が残っていないのですが おいらはこの作品の歌詞にも出てくる 古いタイプの革のトランクを持って トレンチコートみたいなのを着て歌ってた印象があるんですよね。千昌夫さんより早かった!歌手としてもコンスタントに活躍しながらも 突然話題になったのは やはりダイエット本を書かれて出版されるないなやロングヒット。今では 有名になったインド発祥の”ヨーガ”。あの頃はいろんな人がダイエットで再ブレイクしてたな。弘田三枝子 林寛子なんかもね。林寛子は子役時代もあるけれど 歌手としては同期でしたよね。あ~なんかまた声出して歌いたくなってきちゃった。夜中だからやめとくけれど。前の原宿駅の改札とかねすごく印象に残っていて この曲の歌詞をたどるとあの場所あたりなのかなとか 乗り降りした白い駅舎を思い出す。もう行かなくなって30年くらい経つけれど 原宿の駅って今でも皇室専用ホームってあるのかね?渋谷駅前も通っていた頃と全く変わっちゃったけれど 思い返すと懐かしいね。夢を追いかけていた頃。1984年1月22日 日曜日。レッスンがあった日に大雪が降って その後 名前も忘れちゃったけれどかわいがってくれてた プロになったシンガー・ソングライターの先輩と原宿から渋谷まで 歩行者天国のあった場所を歩いたっけな。あの頃は四季が今よりはっきりしてたね。どうしてるんだろう?思い出したんだけれど 一番最初にレッスンした曲は 中村雅俊「時代遅れの恋人たち」。あとは当時のアイドル渋谷哲平の作品もレッスンしてたな。吉川晃司の「モニカ」もリリースされてすぐレッスンしたっけ。十七のころ。それでは今回の一曲を!


当時よく駄菓子屋で 新人アイドルブロマイドって くじを
引いて集めてた。L判くらいなんだけれど あたりが出ると
大きいサイズのが貰えるの。フィンガー5 西城秀樹 桜田
淳子 山口百恵 南沙織 野口五郎とかね。で確か 麻生よ
う子のを 友達がひいて はずれだ!って捨ててた。あの時
もらっておけば良かった。なんて思いだした。小学生の子供
には 彼女はあまり人気は無かったのかもね。おいらは山本
リンダのが欲しかったけれど当たったことなかったな。おい
らにとっては大当たりなんだけれど![プレゼント]         
*************************
DSCN1967_01.JPG
初雪が降った日。20240113 17:00ころ。[雪]

時間が無いとか言いながら 書き出すといつも記事が長くなっちゃうね。まぁおいらの記憶のおぼえがきでもあるからいいんだけれど 拝見くださる皆さんには 読みにくくて申し訳ないです。ぺこり。過去のカミング・アウトというわけではないんだけれど 1984年のおいらは 今と比べて怖いもの知らずだったように思い返す。少しづつ知るんだけれど 芸能界の裏側って当時はほとんど表に出てこないような きな臭いこともあったんだよね。このところいろんな話題がざわつかせているけれど (ほとんど覚えてないけれど)レッスンしていてもいろいろと噂も入ってくることあったな。でも その頃の仲間は みんな夢持ってわきまえてたし おかしなのもいたけれどすれてなかったな。先生も事務所の人も厳しいところあったしね。すべてではないけれど 芸能だけじゃなくて政治の世界も いろんな社会の中でも 忖度というものは日常茶飯な事だろうしね。自信をしっかり持つこと 責任感が何よりということが 今の世の中試されているような気がする。情報を発信する側も受け止める側も。最近WEBニュースなんか見ていると嫌だな危険だな哀しいな・・・って思うことばかり目に耳に飛び込んでくる。正直者が馬鹿を見るようなことになってほしくないなとつくづく思うこの頃なのでした。今年のおいらの抱負は 物事を見極める一年でありたいなと。おいら自身 人に言えるほど出来た人ではないけれどね。

さて次回更新は 1/28 0:00の予定です。[メモ] もう睦月もおわり。大寒が過ぎたけれど 一年で一番寒い季節のど真ん中。みなさん体調崩されませんように!今回は このあたりにて。ぐな~ぃ![夜]

わすれな・めも ・・・ 20240122 02:35 定森由美子さん登場 & 川北恭子さん 畑 富子さん。

nice!(89)  コメント(33) 
共通テーマ:音楽