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だるびっしゅ気味はあったけれど 夏バテは無かったな。 [1973年のヒット曲]

八月もおわり・・・。
今年も例年と変わらないひと月が暮れてます。否去年より暑かった。そして今もなお。西の空が黄金色に輝くとホッとする。八月は終わっても 夏はしばらくつづき 秋の気配を感じるともう冬。なんてことになるんだろうな。屋根のペンキ塗りもしなくちゃな。未だに直してない部分もあるし・・・。

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とにかく 早く涼しくなってくれないかい・・・。[がく~(落胆した顔)]
まぁ 先週は疲れた。かなり夏の疲れも出て来てるん
だろうな。不思議と夏バテはしてなかったけれど。 
あ、音が聴こえてくる。。。準備してたな。。。  

 BON DANCING FESTIVAL 2023 が終われば長月。
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[るんるん]さ~てと現実逃避のコーナー。。。今回の一曲は 半世紀前の1973年のヒット曲にまた戻ります。夏休みも終わりを迎える頃 小学校一年の頃からおいらは宿題と格闘してたんですね。どんな宿題がっていうのは鮮明には覚えてないんだけれど 今でも忘れていないのは 夏休みの絵日記と天気の記録。これは毎年嫌な思いしながら格闘してたのを思い出す。1~2ページってもんじゃなくて ほとんど日記なんか書いてない。文だけならまだしも 絵を描くことが[ふらふら]全くダメだったから 面白いわけがない!今でも絵を描くことって嫌いだし苦手だから こうやってブログの文章を考えるのは そう苦ではないけれどね。あ、でも 読書感想文ってのも駄目だったな。本読むの嫌いだったし。あらすじとか読んで適当に書いてね。こいつ絶対 本読んでないなって判ったと思うよ。とにかく夏休みの宿題は 例外なくその後も毎年お手上げだった。早速脱線だね。そんな小学校一年の夏休み。終わりころだったのかな。おぼろげに記憶があって 昼間の時間帯に某国営放送で とある子供たちが出演していた番組を見たんですね。今から思えば それはその子供たちを売り出すための特集番組的なものだったんだけれど かなりしてから(平成になってからだったっけかな?)アーカイブされた番組を見て これ確かに子供の頃に見た覚えあるって超感動。子供の時に見たその番組は かなり反響があったようでテレビ局への問い合わせの電話も鳴りっぱなしだったとか。そうこうする間に その子供たちはテレビに引っ張りだこの大人気者に。天地真理の回に書いたのかな?子供に人気の火が付くと 異常なほどブレイクが極端に急激な線を描く的な事を書いたよね。たしか。その子供たちも例外じゃなくて1973(昭和48)年の夏の終わりに再デビューを果たし(経歴はその時に始まったのではなくて それ以前から米軍キャンプ巡りとかもしていたというのだから驚きます。)今回はそんな”5人の子供たち”の超特大級 大ブレイク作品を![るんるん]
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「個人授業」 フィンガー5(ファイブ) 1973年08月25日発売 フィンガー5名義では2枚目(一枚めは別のメーカーからの発売。新しいレコード会社(日本フォノグラム/フィリップス)に移籍しての再デビュー第一弾)
米軍キャンプ巡り(自ら楽器を演奏し歌を歌うグループとして)をしながら オールブラザーズからグループ名を変更しベイビーブラザーズ名義でレコードデビューしたのが 1970年6月。沖縄出身の五人兄妹(長男:玉元一夫/次男:光男/三男:正夫/四男:晃/長女:妙子)は まだパスポートが必要だった沖縄返還前に 1969年東京・(現在の)東村山市に移住。母と共に在日米軍キャンプを慰問。彼らより数年先にアメリカで名声を得ていたのが やはり兄弟グループだった(マイケル・ジャクソンの兄弟グループ)ジャクソン5 そして日本でも大人気だった ジミー・オズモンドの兄弟で構成されたオズモンド・ブラザーズ。そんなグループをやはり意識されていたのでしょうね。デビューしたのは 良いがなかなか名声を得ることが思うようにいかず不遇の時期が数年。そして沖縄に帰るつもりでフィンガー5とグループ名を更に変更し レコード会社も移籍してチャンスをうかがっていたのでした。(そこでおいらが見た テレビ番組をきっかけに運命は転がり始めるのでした。そんな頃には 現在はシンガーソングライターとして独自の世界観を持つ 谷山浩子さんの作品を歌っていたことも。谷山さんは デビュー前の当時中学生。)彼らをプロデュースすることとなるのが 前年180度大変身した山本リンダを再生させた阿久 悠・都倉俊一のタッグ。子供の為の子供のグループを作るという スクールライフを描いた作品「個人授業」が まさに若い世代からの突然の快進撃に火が付き順調にチャートを駆けあがり 10月にはトップテン入り 月終わりから11月期にはトップ3→2と。そして年末の気配が強まりだした12月第一週にはトップに。兄妹ならではの一糸乱れぬリズム感あふれるダンスとハーモニー 長い間に身につけたショーマンシップがそれまでにないグルーヴを生み出し一気に人気者に。更には一位を獲得した数日後に第二弾となった作品がこれまたトップテンにランクイン。一週のみ2曲がベストテンに。そして年明け1974年1月第一週には第二作もトップを獲得。その作品が代表作となる「恋のダイヤル6700」なんですね。つづけて後に小泉今日子によりカヴァーされる「学園天国」つづき「恋のアメリカン・フットボール」・・・「恋の大予言/上級生」「バンプ天国」等 学園が舞台となったスクールライフ作品が連続ヒットとなるのでした。その人気の勢いは凄いものでしたっけね。おいらもテレビにくぎ付けでした。何時だか 前に書いた記事に書いたんだけれど 父親と出かけて千葉の駅ビルにあったレコード屋さんで 山本リンダのレコードを却下されて それではと買ってもらったのが「恋のアメリカン・フットボール」1974年 小学校2年生の夏だったのでした。まだ その頃はレコードなんか興味なかったし フィンガー5だからってヒット曲のレコードを出るたびに買うってことも無かった。だから廃盤になっちゃって 中古盤を手に入れるのは高校生になってから。手に入れた時はすんごく嬉しかったな。兄妹でも一番人気だった晃のトンボ眼鏡(サングラス)も憧れたっけ。子供のおもちゃのは持ってたけれど。あの頃はおいらも ボーイソプラノだったから 今そこらのおこちゃまがキーキーやってるのを聞くと 頭痛くなっちゃうくらいの高い声だったんだよな。今はファルセットでもそんな声出ないしな。”あこがれ~の あのひと~は 罪なことだよ先生・・・”おいらも歌えたんだよな。遠い・・・遠すぎる。


あ、晃が変声期になっちゃって そんな頃に長男がメンバー
から退き 変な子が新しいメンバーになったんだよね。  
甥っ子の みのるって人なんだけれど なんか違うっていつも
思ってた。最近は 晃がひとりでテレビとかステージなどで
歌っているのを見るけれど やっぱり年取ったんだよね。 
おいらも人のこと言えないけれどさ・・・。50年前だもんね。
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まだまだ こんな雲の季節が続くのかな?
数日前は 変な夢見た。夕立でもありそうな真っ黒な
雲が湧いて来て 夜みたいに空がすんごく暗くなって
危険を感じちゃって 洗濯物を物干しから入れて窓を
閉めたり 家族に外に出ないと叫んだり。なんか凄く
疲れた夢だった。結局雨は降らずに 雲の切れ間から
少しずつ明るくなってきた。やっぱ疲れてんのかな?

八月も最終週。週末はもう九月。バイオリズムも一年で最も低迷する時期だから ゆっくりしますかね。最高気温が30℃を切ったら 動き出そう。そうしよう。屋根のペンキ塗りもその頃にしよう。次回更新は 月が替わって 9/3 0:00の予定です。[メモ]そして 今回は この曲が数日前から頭を離れないのでやはり貼っておきませう。まだまだ残暑は続きそうです。みなさま 怠くなっちゃたりしませんようにご自愛くださいね。[喫茶店]

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「八月の濡れた砂」石川セリ 1972年03月05日発売
映画 [八月の濡れた砂](1971年8月公開)主題歌

今回は このあたりにて ぐな~ぃ![夜]

わすれな・めも ・・・ 20230902 18:00 17:30頃 今年のグリ-ンカーテンを終了した。ゴーヤが片付いたら夏休みの終わりの日のような感じがした。「八月の濡れた砂」の後奏の”でろりん でろりん”する楽器の音が聴こえたようで。。。


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