爆発しなくてよかった! [1982年のヒット曲]
立秋だけれど”残暑お見舞い申し上げます!”なんて言えない!今日 実は立夏かも・・・。
何日ぶりに涼しかったんだろう?数時間は使ってたんですが雨模様だった4日、5日と一日の半分はエアコンを使っていない時間の方が長かった。この記事を書いている6日からは消せないでいるんだけれど。8月になって相変わらずコロナ化なんだけれど 昼間に子供とすれ違うことが多くて夏休みなんだな…と思うこの頃。先日はおかしなこと考えちゃっていて 鈴木福くんって子がいるでしょ。マルモリの。あの子が午後の情報ワイドショーのコメンテーターで 統一スキャンダルの感想を話してたわけ。コメント自体は関係ないんだけれど おいらは”あ~そうか!彼は夏休みになったからこんな時間にテレビに出てるんだな!家に帰ったら夏休みの宿題するんだろうな・・・。”と思いながらテレビ見て遅い昼を食べてたんだけれど・・・。なんか変だな!と思って その後ググったわけ。そしたら彼はもう成人してるんじゃない!(18歳で!)おいらは 彼がまだ学生(高校生くらい)だと思ってた。あはは。ごめんね。おいらも二十の頃 歩きながら煙草吸ってたのね。(今はもう吸ってないよ。もう10年位前にやめた!というか吸わなくなった。)何度か職質されたことあるんだわさ!あの時は若く見られて嬉しいやら悲しいやら。そんなことあったっけ…。
何日ぶりに涼しかったんだろう?数時間は使ってたんですが雨模様だった4日、5日と一日の半分はエアコンを使っていない時間の方が長かった。この記事を書いている6日からは消せないでいるんだけれど。8月になって相変わらずコロナ化なんだけれど 昼間に子供とすれ違うことが多くて夏休みなんだな…と思うこの頃。先日はおかしなこと考えちゃっていて 鈴木福くんって子がいるでしょ。マルモリの。あの子が午後の情報ワイドショーのコメンテーターで 統一スキャンダルの感想を話してたわけ。コメント自体は関係ないんだけれど おいらは”あ~そうか!彼は夏休みになったからこんな時間にテレビに出てるんだな!家に帰ったら夏休みの宿題するんだろうな・・・。”と思いながらテレビ見て遅い昼を食べてたんだけれど・・・。なんか変だな!と思って その後ググったわけ。そしたら彼はもう成人してるんじゃない!(18歳で!)おいらは 彼がまだ学生(高校生くらい)だと思ってた。あはは。ごめんね。おいらも二十の頃 歩きながら煙草吸ってたのね。(今はもう吸ってないよ。もう10年位前にやめた!というか吸わなくなった。)何度か職質されたことあるんだわさ!あの時は若く見られて嬉しいやら悲しいやら。そんなことあったっけ…。
今回の一曲は 再び40年前(1982年)の今頃のヒット曲シリーズに戻ります。今回の作品は かなり記憶に強く残っているんだけれど 高校デビューして(入学式を除いて新入生ガイダンスはあったものの普通の高校生活が始まった日)確か初日の帰宅時に電車の乗り換えで千葉駅に降りて 当時の駅ビル(今のペリエの場所)に寄って 三階だったけかな?LAOX(ラオックス/今は中国系企業傘下の家電量販店)のレコードショップがあって 高校生になって初めてレコードの購入予約をしたシングルレコード。まだね 話題になりかけてなかった頃に そのレコードは今回のアーティストの最大のヒットになるって 間違いなく確信したのでした。当時の印象はケバケバしい印象がかなり強かったんだけれど 大好きなアーティストのひとりだったから個人的にも大プッシュしてたんですね。超押しで!でも 新しく仲良くなった同級生はアイドルのことばかりで興味持ってくれなくて ちょっと悲しかったんだけど それでも間違いなく売れるって思ってた。その答えが見えてきたのが 1982年8月。ベストテンにランクインしたときには嬉しかったね。「あの時 絶対売れるって言ったの覚えてる?」なんて アコギなことは誰にも言わなかったけれど・・・心の中では先見の目があるかも!なんて自惚れなバカなこと考えてたっけ。売れて間違いないんですよ!だってライターが特別なんだもの!それ以前にも このアーティストが発表した「恋のブギ・ウギ・トレイン」(1979年)と「BOOGIE WOOGIE LOVE TRAIN」(1980年)は当時 正直売れなかったんだけれど いつか日の目を見るって思ってた。更に「六本木心中」(イントロのカウントがないファーストプレス・ヴァージョンが出た時)も。あの頃から おいらはケバイのが好きだったのかも。その前からか!
「La Saison(ラ・セゾン)」 アン・ルイス 1982年06月05日発売 20枚目のシングル 1971年「白い週末」(翌年1972年開催の札幌冬季五輪を意識されたご当地ソング)で歌手デビュー。コンスタントに作品は発表されるも 1974年の「グッド・バイ・マイ・ラブ」がスマッシュヒットするまで 歌手というよりはモデルやタレントのイメージが強かった彼女ですが おいらが好きになったのは1978年の路線を変更し 女ジュリー(沢田研二)のイメージを追求し歌謡ロック路線に移行した「女はそれを我慢できない」から。その後 数枚抜けるんですが新曲が出るたびにシングルレコードを買ってましたっけ。「女にスジは通らない」「アイム・ア・ロンリー・レディ」とか 遊び女風(&タレントごっこ的な)の感じがなんかカッコよくてね。(本当の彼女はそんなじゃないんだけれど。)あ、でもね 彼女が結婚するときに竹内まりやさんが彼女に送ったミドルネームがタイトルの「リンダ」(後に名曲に昇華するんだけれど)は好きじゃなかったな。おいらは スローな曲って あんまし好きじゃなかったから乗れるロックっぽい作品を派手目に歌う彼女が好きだったわけ。
だから書き出しでも書いたんだけれど この作品を書かれたアーティストクレジットを知った時は 間違いなく大ヒットするって予感がひらめいた。なにせ前々年に華々しく芸能界を引退した彼女の大親友 三浦(山口)百恵さんの作詞に これまた彼女が憧れる沢田研二さんが作曲なわけだから 話題にならないわけないの!おまけにギンギンのギタリストでソングライターの伊藤銀次さんがアレンジ(編曲)。もう聞く前からイメージが湧いて来てね。究極の遊び女的で派手な作品になるって期待してたから 確か高校デビューしたばかりの頃にその話題をいち早く知って こりゃ予約せねば!と帰り道にあるレコード屋さんに飛びこんで予約した。(初回プレス特典盤はコンパクト型ジャケットに 穴の小さなLPを17cmサイズにしたタイプのアナログ盤:コンパクト盤レコード・・・4曲入りみたいなの!案外知らない人多いんですよね。それを知らなくて予約したから手にしたときは二重三重の嬉しさだったな!)それよりなにより 家に帰ってレコードに針を降ろした時の衝撃はかなり大きかった。それまでも彼女のロック調の作品は派手なんだけれど 当時のブリティッシュ・ロックを意識したような ギターギンギン ドラムどかどか 各所キレキレなアクセントがある かなりうるさめのサウンドは ボディブローを食らったような印象でしたっけ!多分ね 結婚・出産休暇期間明けで デビューからまる10年目になっていたから 当時の所属事務所もレコード会社も ここで大ヒットを出したかったんじゃないかな!ってあったんだと思うんだよね。百恵さんに詞を書いて貰おうってのは アンさんの思いつきがトントン拍子で叶ったのも話題になっただろうしね。沢田研二さんも ソロ活動と同時に ザ・タイガースの期間限定の再結成活動中の折でかなり多忙を極めていた中 やはり話題にならない方がおかしいわけ!
ランキングもコンスタントに右肩がりで 8月の約一カ月ベストテンをキープ(彼女にとって初めてで 最後のベストテン入り)し最高3位 ランクイン中 約35万枚の売り上げを誇り 自己最高の売り上げで代表曲のひとつに。(ちなみに 2位は「六本木心中」最高12位 約30万枚、「女はそれを我慢できない」最高12位 約26万枚 そして「グッド・バイ・マイ・ラブ」最高14位 約24万枚と続きます。)
今は 完全引退されちゃって寂しい限りですが 女性歌謡ロックの開拓者は間違いなく彼女だったんですよね。
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「La Saison(ラ・セゾン)」 アン・ルイス 1982年06月05日発売 20枚目のシングル 1971年「白い週末」(翌年1972年開催の札幌冬季五輪を意識されたご当地ソング)で歌手デビュー。コンスタントに作品は発表されるも 1974年の「グッド・バイ・マイ・ラブ」がスマッシュヒットするまで 歌手というよりはモデルやタレントのイメージが強かった彼女ですが おいらが好きになったのは1978年の路線を変更し 女ジュリー(沢田研二)のイメージを追求し歌謡ロック路線に移行した「女はそれを我慢できない」から。その後 数枚抜けるんですが新曲が出るたびにシングルレコードを買ってましたっけ。「女にスジは通らない」「アイム・ア・ロンリー・レディ」とか 遊び女風(&タレントごっこ的な)の感じがなんかカッコよくてね。(本当の彼女はそんなじゃないんだけれど。)あ、でもね 彼女が結婚するときに竹内まりやさんが彼女に送ったミドルネームがタイトルの「リンダ」(後に名曲に昇華するんだけれど)は好きじゃなかったな。おいらは スローな曲って あんまし好きじゃなかったから乗れるロックっぽい作品を派手目に歌う彼女が好きだったわけ。
だから書き出しでも書いたんだけれど この作品を書かれたアーティストクレジットを知った時は 間違いなく大ヒットするって予感がひらめいた。なにせ前々年に華々しく芸能界を引退した彼女の大親友 三浦(山口)百恵さんの作詞に これまた彼女が憧れる沢田研二さんが作曲なわけだから 話題にならないわけないの!おまけにギンギンのギタリストでソングライターの伊藤銀次さんがアレンジ(編曲)。もう聞く前からイメージが湧いて来てね。究極の遊び女的で派手な作品になるって期待してたから 確か高校デビューしたばかりの頃にその話題をいち早く知って こりゃ予約せねば!と帰り道にあるレコード屋さんに飛びこんで予約した。(初回プレス特典盤はコンパクト型ジャケットに 穴の小さなLPを17cmサイズにしたタイプのアナログ盤:コンパクト盤レコード・・・4曲入りみたいなの!案外知らない人多いんですよね。それを知らなくて予約したから手にしたときは二重三重の嬉しさだったな!)それよりなにより 家に帰ってレコードに針を降ろした時の衝撃はかなり大きかった。それまでも彼女のロック調の作品は派手なんだけれど 当時のブリティッシュ・ロックを意識したような ギターギンギン ドラムどかどか 各所キレキレなアクセントがある かなりうるさめのサウンドは ボディブローを食らったような印象でしたっけ!多分ね 結婚・出産休暇期間明けで デビューからまる10年目になっていたから 当時の所属事務所もレコード会社も ここで大ヒットを出したかったんじゃないかな!ってあったんだと思うんだよね。百恵さんに詞を書いて貰おうってのは アンさんの思いつきがトントン拍子で叶ったのも話題になっただろうしね。沢田研二さんも ソロ活動と同時に ザ・タイガースの期間限定の再結成活動中の折でかなり多忙を極めていた中 やはり話題にならない方がおかしいわけ!
ランキングもコンスタントに右肩がりで 8月の約一カ月ベストテンをキープ(彼女にとって初めてで 最後のベストテン入り)し最高3位 ランクイン中 約35万枚の売り上げを誇り 自己最高の売り上げで代表曲のひとつに。(ちなみに 2位は「六本木心中」最高12位 約30万枚、「女はそれを我慢できない」最高12位 約26万枚 そして「グッド・バイ・マイ・ラブ」最高14位 約24万枚と続きます。)
今は 完全引退されちゃって寂しい限りですが 女性歌謡ロックの開拓者は間違いなく彼女だったんですよね。
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同時期にベストテンにランクインしていた作品には
「小麦色のマーメイド」松田聖子 「暗闇をぶっとばせ」嶋
大輔 「ハイティーン・ブギ」近藤真彦 「NINJIN娘」
田原俊彦 「100%・・・Soかもね!」シブがき隊 などが。
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グリーンカーテンの陰に隠れて爆発寸前まで熟して
しまって20cmくらいあった 現在のところ今年最大
のゴーヤー。もうたべちゃった。
ようやく げと出来ました。
すい~つの女王フヂさん の記事やともちさん の記事で
拝見してJRの駅に行っても販売機や NewDaysの
コンビニに探しても売ってない!ぷち・やさぎ~な
日々でしたが 灯台下暗し地元の一番近い駅に金曜日に
行ったら acureの販売機(高級な販売機の方に以前は
入ってなかったのに!)に今回は入ってたのを見つけて
即げと!ぼんび~なおいらには一本¥180は清水の舞台
なんだけれどね。良しとしよう!
(acureは JR東日本の駅構内の自動販売機)
あ、まだ勿体なくて飲んでないの! 冷蔵庫の中!
今回はね 途中で書きかけの記事が消えちゃった。たまにやるんだけれど(記事を書いている途中で 英小文字で間違って入力してEnter押しちゃうとなんか戻れなくなるみたいな…上手く説明出来ない!)。すんごく疲れちゃった。でも今週も記事をかけたから 途中の内容が消えて思い出せないんだけれど まぁ いっか! なんか一週間疲れた。今週も忙しないな。何時になったらゆっくり出来るかな。でも 贅沢言えないな。あかつきももドリ飲んで ひと時でも まったりしよう!次回更新は8/14 0:00の予定です。でも お盆の時期だから記事書ければ良いけれど 一応予定としておきますね。再び 暑い日が戻ってきそうですが 皆様ご自愛くださいね。今回はこのあたりにて。ぐな~ぃ!
わすれな・めも ・・・ 20220811 18:00 今日の午後(12:30ころ)髪を切ってきた。