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大変身から ちょうど半世紀! [アクション・グラマー]

[モバQ]水無月が幕を開けましたね。今月は月半ば以降に 老健にお世話になっていた親を約一年ぶりに自宅に迎えることとなるので いろんな面で今までと違う忙しさになりそうです。千葉公園のオオガハスも開花時期を迎えているんだけれど 今年は多分見に行けないだろうな。[かわいい]

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近場の公園もしばらく行くことが出来なくなりそうな
ので ちょっと出がけに寄ったら菖蒲園が満開になっ
ていました。紫色の花暦も今が一番の盛りかも。  
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先週は梅雨入りなのかなと思わせる陽気を感じたけれ
ど まだ梅雨入り宣言はないし 春同様に短い梅雨に
なって暑い季節になるのかな。コンガやボンゴ、ギロ
やモコモコ音がするクイーカの賑やかすぎる音色に煽
られて CAN'T STOPな季節がそこまで来ているのか?
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[るんるん]さ~てお待たせしました。実は 前回の記事の終わりから小さなつむじ風のように 今回の一曲の兆候はウズウズし始めていたんですね。今回の一曲は 半世紀前の1972年6月にタイムトリップです。おいらは この年の1972の夏に突如現れた得体のしれないグルーヴに巻き込まれて熱病のように?!今でも激しいラテンの嵐に心を踊らされて 今回の作品のイントロを聴くたびに半世紀も変わらずウズウズしてくるのでした。あ!ほら!聴こえてきた。賑やかなカーニバルの音色がフェイドインしながら だんだん大きくなり近づいてく~る~っ。わ~を!きゃ~を![モバQ](辺見マリリン大好きな 手稲区の銀狼さんにも聴こえてきてるかな~っ。大きな声でコールしてちょ~!L・I・N・D・A !! L・I・N・D・A !! ぐふふ。彼ならホントにやってくれてそう![がく~(落胆した顔)][るんるん]
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「どうにもとまらない」 山本リンダ 1972年06月05日発売 20枚目のシングル(キャニオンレコード/現:PONY CANYON 移籍後第2段)おいらと同年代や諸先輩方だけでなく 若い方まで巻き込んだ復活ブームがありましたね。現在まで多くのアーティストにカヴァーされるだけでなく 御本人の「どうにもとまらない」度々のリメイク・ヴァージョンにより時代を超えたエヴァ―グリーンな存在になって歌い継がれる名曲。([カラオケ] カラオケ十八番の hatsumi30331 さんお元気にしているかな?)
もう れびゅ~も必要ないくらいの名曲なんだけれど 今回はこの起死回生の作品が発売されて 今日でまる50年。やはり おいらにとっても(レコードコレクターになってから なかなか手に入れることが出来なかったから。)思い入れのある作品なんですよね。1966年(まだおいらの生まれる数か月前)09月20日 「こまっちゃうナ(実際は小文字の”ナ”)」の大ヒットでデビューした山本リンダさん。その後 長い低迷期を迎えてしまうんですが 1972年春 2年前に産経新聞社系列 ニッポン放送傘下のレコードメーカーとして発足したキャニオンレコードが(なかなか大ヒットに恵まれず)社運をかけてフジテレビ・ニッポン放送の強力バックアップを受けて 一人の歌手をプッシュすべく大プロジェクトを決行。そこに白羽の矢が立ったのが前年移籍してきた山本リンダだったんですね。そのプロジェクトで 更に作詞・作曲家の白羽の矢が立ったのは 作詞家 阿久悠さんと作曲家 都倉俊一さんでした。(後談によると それまで「こまっちゃうナ」のイメージをすべて解体して 新たなイメージを組立て直すことにあたりレッスンを続けていた 都倉俊一さんは かなり乗り気でなかったらしいんですけれどね。)すでに前年レコード会社をキャニオンに移籍して「白い街に花が」という哀愁漂う作品を10月末にリリースしているんですが全く売れる気配がなかったようで。。。約半年後にこの「どうにもとまらない」のリリースにあたり 180度イメージチェンジをしてセクシーで色気のある大人の歌い手として変身(レコード会社を移籍するまで約半年の新作のリリースが出来ないという規定で その間の時期に女優として[仮面ライダー(2号)]に出演してました。)脱線しちゃいましたが 大変身した山本リンダは へそ出しルック(赤いブラウスの前腰のあたりを結びへそを出し ボトムスは膝上までスリットの入った黒いパンタロンという挑発的な衣装。)へそを出すというアイデアは 山本リンダ御本人の意向で 1963年に公開されたイタリア映画[太陽の下の18才]の主演 カトリーヌ・スパークへのオマージュだったそうですよ。また赤と黒という衣装の派手さは テレビのカラー放送への対策(まだカラーテレビが出始めだった頃でもありました。若い方は信じられないだろうね!)もあったとか。

兎にも角にも 大プッシュのおかげで 1972年の夏はこの作品が大ヒットを記録して 創立以来のキャニオンレコード初のベストテンヒット(最高週刊売り上げ3位にランクイン)。とにかくインパクトありましたもの!だから好き嫌いははっきり分かれたけれど やはり目新しい奇抜な?ものが気になってしまう子供だった おいらは例にもれず彼女の存在が気になってしょうがなかったんでしょうね。歌番組はよく見てたし 彼女がフジテレビのプッシュで(ほぼ毎週だと記憶してるんですが)ゲスト出演していた日曜夜の[ラブ・ラブ・ショー]は 親に特別許しを得て 彼女が出終わったらすぐに寝る約束をして真剣に見てましたっけね。
作品的には(第二段<移籍後通算3作>以降もつながる)各国の音楽をモチーフとして アラビアンナイト(千夜一夜物語)世界一周的なバック・グラウンド・コンセプトの第一弾として ブラジル(サンバ)のカーニバルを思わせる過激なパーカッションを効果的に使ったとにかく熱狂的な熱いサウンドを 都倉俊一さんのアレンジでじわじわ汗が滴るパワフルサウンドで表現されています。そして取りつかれたように彼女も全身で歌の世界を表現してくれているんですよね!(おいらもだから 取りつかれちゃったのかもしれない!ぐふふ。そうそう、バリ島のケチャ・ダンスってあるでしょ。あのダンスも見ているとどんどん引き寄せられてっちゃうでしょ。そんなイメージ。五つ子には刺激ありすぎるよね!あ、年バレちゃうじゃん。)もうリンダまつりだ![カラオケ]ひや・うぃ~ご~![るんるん][るんるん]


おいらも十八番。採点機で100点取ったことあるYO!
りんだ祭りだから ’1971~'73シングルジャケット一挙公開!

DSCN5328_01.JPG「白い街に花が」1971年10月25日 ジェリー藤尾「遠くへ行きたい」風。
DSCN5313_01.JPG「どうにもとまらない」1972年06月05日 ブラジル・サンバだよね。
DSCN5337_01.JPG「狂わせたいの」1972年09月05日 ペルシャ(現在のイラン ジャケットの振付は砂埃舞うイメージ。)
DSCN5338_01.JPG「じんじんさせて」1972年11月25日 イントロの銅鑼が印象的 中国 この年 日中平和友好条約 締結
DSCN5340_01.JPG「狙いうち」1973年02月25日 ロシア(現状どうにかしてくれよ~っ!)
DSCN5341_01.JPG「燃えつきそう」1973年06月10日 再びサンバ(ブラジル)オブリガード!
DSCN5342_01.JPG「ぎらぎら燃えて」1973年08月25日 スペイン(闘牛士の衣装)
DSCN5343_01.JPG「きりきり舞い」1973年12月10日 資料によるとミシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ」をモチーフにしているとか?!ってことはフレンチ・ポップス?
この後に 翌年第一弾「真赤な鞄」がリリースされるんですが バロック調のダバダバ~ダバダバ~。ドイツなのかな?翌々年の夏には日本上陸(これはコンセプト関係ないんだけれど)「リンダ音頭ウブウブ」。さらに純和風1980年作品「写楽」(仏壇のCMに使われてましたっけ。)なんてのも。

もう どうにもとまらなくなっちゃうので ここまで。また何かの機会にりんだ祭りでも。(なんか疲れた。[わーい(嬉しい顔)]
(手稲区の銀ちゃんの ぐふふな過去を思い出してしまった。昔 飼っていたシャム猫に リンダという名前を付けたんだけれど・・・思い出すたび爆笑のおいらなのでした。その後を知りたい方は [サーチ(調べる)] 銀狼さん元気かな? をどうぞ!


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とうもろこし食べたYO!とうもころしが出始めると
夏を感じずにいられなくなっちゃいます。うまうま[レストラン]

あ~ なんだか疲れちゃった。きっとりんだ祭りのせいだな。おいら的には まだ書き足らないこといっぱいあるんだけれど なんだかわからず熱狂的にテレビにかぶりついて見ていた おいら自身の記憶の中ではかなり初期の記憶。1972年はいろいろあって 札幌オリンピックは記憶が消えかかって判らないんだけれど その後の鉄球が印象的な浅間山荘事件の記憶や なんで かけっこいつも早く走れないんだろうとか なんであの子給食食べれないで泣いてんだろうとか思ったり 昼寝の時間に暴れている子にぶつかって鼻血出ちゃって保健室で親が迎えに来るまで寝てたり・・・嫌々保育園に行ってて。あとね おいらは その年の晩秋~暮れごろだと思ううんだけれど 急性虫垂炎になって死ぬか生きるかってことがあったわけさ。腹膜炎併発しちゃって。何週間か入院したんだけれど あの時に助からなかったら今はどうなってたんだろうね。そんな記憶も薄っすらとして来て。でも それ以上にインパクトがあったのは山本リンダと 同年レコード大賞を獲得する「喝采」(1972年09月10日)ちあきなおみ。衝撃だったんだね。なんだかね 未来のことよりも過去のことのほうが 凄く愛おしく思えることが多いように思えることが多くなった。現実が嫌なわけじゃないんだけれど 何か良いことないかな~と思ってるとね。無邪気な頃の思い出がわけもなく飛び出してくることがあってね。前向きに生活している心算なんだけれど どこかで何か良く判らないんだけれど 忘れかけている欲求を満たそうとしているみたい。奇蹟でも起こって 親のパーキンソン病が急に完治して いろんなことが好転するようなことをどこかで願っている自分もいるんだけれど いずれにせよ 人生100年とは言うけれど親もおいら自身も若いわけじゃないしね。自身の将来と親の今後を 天秤にかけてしまって あれこれ答えの出ないことを悩んで それでもこんな人生であって良いのかな。一旗二旗上げるのに まだ時間は残っているだろうか?だいぶ人の畑のことは気にすることはしないようになってきたけれど やはり偶然進み具合を見ちゃったりすると あの人みたいに 親のことなんか一切放っといて仕事もプライベートも自分勝手に がむしゃらにやれば・・・そう思いながらも結局は元のさや。それでも正直に生きていればいいものなのかな。なんて繰り返ししながらの親を中心にした生活。新たな生活がこれから始まるんだけれど 周りからどう見られても 自分が思うように生きることは間違いじゃないと。恥ずかしいことしてるわけじゃないし 裕福ではないけれど それでいいんだろうね。そう言い聞かせることが多くなった気がする。さてと!また ちょこっとづつだけれど 歩き出しましょうかね。ブログの方も無理はしないで 楽しんで行きたいと思っています。腰とひざの方はだいぶ調子が良くなってきました。時間的に余裕がない時もあるかと思いますが マイペースで続けて行きたいです。
次回更新は 6/12 0:00を予定しております。[メモ]今回は このあたりにて では ぐな~ぃ![夜]

[ひらめき] 追 記 ・・・ 20220611 15:00 多忙につき まだ全く手がつかず記事が書けていないので 次回記事の更新が遅れます!ぺこり。[ひらめき]


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