SSブログ

終わり良ければの年末でありたい。 [ふぃ~りんぐ]

前回の更新からひと月経ってしまいましたが 多くの皆様にご心配いただき感謝申し上げます。まだ再開は難しい状態なんですが年も暮れ始めて 未更新のまま年明けするのも嫌だし 備忘録程度の記事になってしまいますが綴っておこうと思います。

DSCN4296_01.JPG
画像も写真を撮っている暇もなくて。散り始めた紅葉。

今年の一文字の漢字が発表されましたね。”金”。どうもおいらにはご縁がない感じです。お金という意味だけでなく 金字塔、金色に輝くもの・・・e.t.c. 占いというものを信じているわけでないけれど どんな占いを見ても私には あまりご縁が無いらしいことが視線をよぎる。若くして巨万の富を得る者もいれば 名声を得る者もいる。それは決して努力だけで得られるものではない。チャンスというものはみな平等にあるもの?おいらは疑問を覚える。何かにかかれていたことに 地道な努力が晩年に実を結ぶと。何時になっても人並みになれないことに焦りは年々増すばかり。介護が必要な親のことを恨みたくもなる。恥ずかしながら 先月を持って定期的な仕事もすべて無くなった。否 あったとしても仕事に集中出来る環境では決してない。仕事中に幾度も電話が入り 中途半端にすることは日常茶飯。こんなことで比較するのは筋違いだけれど たとえ精神的には元気で身体のどこかに不自由があることと 身体は年齢並みに衰えを持ちつつあるが 精神的に問題を抱えるというのは正直こちらの方が厳しい。両方であるならなおさら。誰かに任せるにしても親からの直接の愁訴を受け止められるのは おいらなのだから。放っておくことは出来ない。精神的においらもまいって来ている。経済的なことも勿論 いつかは押し寄せてくるだろう。いっそ負のどん底まで落ちて その反動で正に転じるということが確実なら まだ心を悩ませることはないだろう。・・・プライベートなことは綴ることは出来ないけれどね。おいらは小さいころから脱線ばかり。でも 人様が見ることも そうないだろうという場面も見てきた。よろしくないようなとこも。今は消えかかっている記憶の中には いろんなしがらみや危険な場所も。そんな運命なのかな。つい最近も 墓場まで持っていく心算の腹立たしく馬鹿馬鹿しい嫌なことがあったし。おいらは 抑えて抑えて爆発寸前まで堪えてしまう嫌な部分がある。普段は 何よりも争いごとがない平和主義だから ニコニコぼ~っとしてるんだけれどね。バカでしょ!でも一本タガが外れると自分でも 相手を巻き込み滅亡を進むくらいのとこが実はある。だから最近の問題もね 許せないでいる。納得いかないことはね。

DSCN4282_01.JPG

[るんるん]そんなおいらを穏やかにしてくれる唯一のものが音楽。最近は 音楽というものがどんなに自身にとってかけがえのないものかと思う。移動中くらいしか時間は取れないけれど 気持ちのもやもやを一時的にも解消するために 多分 窓を閉めていても隣に車が来たら響くだろうと思うくらいの声で おなかから声を出して歌っている。気のせいかな かなりビブラートを利かせる歌い方に変わってきたみたいだ。決して人に聴かせられるものじゃないけれど。今回の一曲は そんな口ずさんでいた中からの一曲。おいら子供のころから 都倉俊一さんの作品って凄く好きなんだよね。70年代の流行歌には 都倉さんの作品って まずリズム!有名どころを上げたらキリがないけれど 山本リンダ、フィンガー5、ピンク・レディー・・・などをリアルタイムで聴いた70年代に少年少女だった年代は きっとそれまでとは違ったリズム感を 都倉俊一さんのヒット曲の中に感じ 身体で会得してと思う。[るんるん]
DSCN4310_01.JPG 「白い小鳩」 朱里エイコ 1974年07月25日発売 朱里エイコ名義での17枚目のシングル。(ジャケットは同曲を収録したBEST盤CD)おいらは2年前になる1972年に大ヒットとなった「北国行きで」(代表作)のハスキーな声がかなり印象となって朱里エイコさんの名を知ったんですが その後は まだガキんちでしょ。歌とか歌手とかって一時的なもので興味なかったからすぐに忘れちゃうんだけれど ずいぶん経って(成人後だね)彼女の全曲集なるCDを手に入れて虜になっちゃうわけ。もうあまり活躍が伝えられなくなった晩年なんだけれど。ドスの利いたという表現で良いのかなパワフルなヴォーカルに圧倒されちゃう。ここ最近ディ―ヴァと呼ばれる声量の多い日本人女性アーティストがいろんなところで取り上げられてるんだけれど おいらは驚くことって殆どなくてね。あの当時(60年代後半から)朱里エイコさんは ラスベガスでショービズの世界で活躍していた実績もあるし もっと日本でも大成しても良いんじゃないかと思ってたから。他界されて18年近くになるんですが 再評価されるようになったのはそれ以降。米国と日本のショービジネスは比べることはどうかなと思うけれど それでも10~20年くらいの差はあるでしょうね。もうこの作品も来年になると おなじ干支が4回巡って来て48年も前の作品になってしまうんですね。当時は まだおいらは小学校二年生。今は凄く力になってくれている弟が生まれた年なんですが 生まれた直後だったかな?おいらは 校外学習(いわゆる遠足)と母親の出産の入院が重なって 父親のしょうもないお弁当(崩れたたまご焼きとご飯だけ入ってるの!/それでも父親は精一杯作ってくれたんだろうけれど。)を持って 隠してお弁当を食べる嫌な思い出が出来ちゃったころだったね。だからおいらは料理をすることは嫌じゃなかった。覚えたかったしね。父がいなくなって 母親は忙しいから弟のお弁当は毎回作ったんだけれど おいらみたいな思いはさせたくなかったから おかず多めの他の子のお母さんの手作りに負けない 多分・・・豪華版だったはずだよ。(また脱線だよ。[電車][電車])だからってわけじゃないけれど 今もかなり力になってくれている 弟や家族の食事は手を抜かないようにしてます。今日は何しようかなと考えながら「白い小鳩」とかね 歌って気晴らししてスーパーに寄るのでした。


おいら自身みじめだとは思ってないけれど この歌を歌って
いると凄く勇気づけられるのでした。決して負けない![モバQ]
****************************
DSCN1428_01.JPG
今年は実の祖母が他界したんだけれど白寿を迎える年
まで長生きして大往生だったから喜ぶことかもと!
だから年賀状も沢山じゃないけれどお世話になった人
には出そうかなと思っている。[郵便局]         
これは そんなワンショット。[カメラ]

やっぱり記事が長くなっちゃったね。この次はいつ更新出来るか判らないけれど もしかしたら締めの記事は別にしてこの記事が 2021年ラストになっちゃう可能性も。まだまだ大きな波は続いてきている。老健や病院や役所とかいろいろと飛び回らなくてはならない日々が続く。いつもお世話になっている皆さんのところへお伺いしたり コメント欄は開けておきますが コメントのお返しがままならないことがあると思います。でも 今のおいらにとってこのブログは無くてはならないもの。パニック障害も東日本大震災も乗り越えて 4にゃんずを見送ったり数えきれない いろんな思い出を綴って いつもそばにいてくれている存在。定期的な更新がままならなくなってしまう可能性もありますが。暖かな気持ちを下さる皆さんにおいらは感謝しています。時間を見てブログのチェックを出来ればいいなと 今は思うばかりです。

今年もだんだんと暮れてゆきます。ここにきていろんな事件事故もあったり 新型ウイルスも。そして皆さんもいろんなことがあった大変な一年であったと思います。どうか終わり良ければ すべて良しとなるように願っております。また これからもどうぞよろしくです。

【新品】朱里エイコ スーパーベスト・コレクション (CD)

【新品】朱里エイコ スーパーベスト・コレクション (CD)


nice!(106)  コメント(67) 
共通テーマ:音楽