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文月を呼ぶオオガハス [1981年のヒット曲]

[モバQ]今回は 画像多めなので ぷち長い記事になっております。ぺこり。[わーい(嬉しい顔)]
14日の月曜日に関東も梅雨入りしましたが まだ梅雨明けまでには時間もありそうだし雨の量はこれからが本番なのかな?夏の渇水があっても困りますしね。月曜日の早朝に 早く目が覚めすぎて小雨予報はありながらも時は金なりと[車(セダン)]千葉に向かいました。もうそろそろだと判っていたので 人の密が出来ない前にオオガハスを見てこようと千葉公園に。でも眠たそうな固いつぼみばかりで・・・。見頃は今週かもしれない![かわいい]

DSCN1260_01.JPGここで初めて逢ってブログを
卒業された朝蔵哲也(キャラハン)さん お元気かな?
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月曜の朝だし見事に人はいない。ランニングする人が
時折すれ違うくらい。なんか つぼみばっかり! [がく~(落胆した顔)]
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でも 大きな葉に隠れて そんな中にも!月末は親の
事で忙しくなるだろうから もう一回ぐらい見に行け
ればいいな。(期待しないでいれば・・・。)   
本日更新のセカンドブログに数枚別画像を貼り付けて
おきますね。 [サーチ(調べる)] きまぐれ SILENT-BEAT ♫  
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[アート] フエルト・すい~つのこーなー [バースデー] 前回に引き続き 今回も18号ホールケーキの製作経過をたどります。前回はお立ち台の部分を2段目のスポンジに乗せたところまで。今回は 一段目(重なる部分なので見えなくなりますが・・・上の部分が取り外し可能にするために変更/外すと見えるように改良です。)のトッピングと二段目のトッピングその1まで。

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これが隠れる部分(1段目と2段目の間)のトッピング
何ですが当初は隠れてしまうから それぞれのパーツの
頭の部分に乾くと透明になる木工用ボンドで固定しちゃ
おうと思いましたが あまりにも勿体ないので・・・ 
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センターの部分に白い直方体のパーツを置いて(これ
は接着していません。)補強台座にして2段目を乗せ
ても座屈しないように改良することにしました。[アート] 
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そして 2段目のお立ち台設置の続きは 足元に絞り
クリームをさらに配置し 12方向にいちごを均等に
置いてゆきます。ワクワクしてくるよ~っ! [バースデー]  
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次回は ここに更にトッピングが乗ります! [プレゼント]
来月の一番最初の記事で完成の状態をお披露目出来る
かと思います。今回迄のトッピングの経過は fuluで
ご覧いただけません。[爆弾][がく~(落胆した顔)] そのかわりにおいらの
第三のブログで画像のみ羅列しておりますので もし
よろしかったらこちらから!
[サーチ(調べる)] きまぐれ JELLY-BEANS !!
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[るんるん]今回の一曲は 前回より10年進んで1981年の今頃。多感な頃を迎え中学生だったおいらは テレビや雑誌できらきら輝く女性アイドル歌手のまぶしさにクラクラしはじめたころ。80年代に入り松田聖子、河合奈保子、岩崎良美・・・などなど新しいアイドルが登場する中 おいらもいろんなアイドルに心奪われるようになります。柏原芳恵(当時は よしえ)とか鹿取洋子なんか好きだったんだけれど 全前年かな1979年にデビューして それらのアイドルとはちょっと違い 自ら作品を作って歌うシンガー・ソング・ライターという位置にいながらもアイドル的なルックスで トローチのCMで人気に火が付き地道ながら確実にステップアップしてきてたアーティストがいました。その彼女が 1981年の今頃大ヒット曲を発表し一躍ブレイクするんですね。おいらは嬉しい反面なんかちょっと複雑な思いがしてたんですけれどね。[るんるん]
DSCN3528_01.JPG 「シンデレラ サマー」 石川優子 1981年03月05日発売 7枚目のシングル。おいらのブログでは何度も登場しているんですが YAMAHAのポプコン(ポピュラーソング・コンテスト)出場をきっかけに 1979年「沈丁花」というやや地味目な作品でデビューします。全国区の人気のきっかけになったのが3枚目のシングル「クリスタル モーニング」がCMソング(本人も出演)としてテレビから流れ始めた1980年を目前とした寒い季節。トローチ(喉の!)イメージにもフィットした高音のサビ部分が印象的な彼女の歌声とルックスにおいらはファンになって行くんですね。年は10くらい離れているんですが 綺麗なお姉さんというよりはどこか可愛い印象が残る雰囲気が惹かれるきっかけだったんですね。コンスタントに作品を発表して行くのですが 1981年の春に発表された今回の作品は [飛行機]JALの沖縄キャンペーンのタイアップを受けて さらにそれまではシングルのカップリングやアルバムでは顔を出していましたが シングルのA面扱いで初めて自身の作詞作曲作品が採用され ソロとしての代表曲となる大ヒットに。1981年の夏を代表する一曲にもなるのでした。(ソロとしてのと表記したのは 1984年にCHAGEとデュエットした「ふたりの愛ランド」が更なる売り上げを誇るため。)前出のポプコンから登場したアーティストは数えきれないほどいますが いわゆるアーティストのイメージやカラーが強く アイドル的な売り方はされていなかったというのが正直なところ。近い存在を上げるとすると八神純子さんがそうなのかもしれませんが 彼女は既にアーティストとしてのイメージが定着していたので レコードの他に写真集やエッセイなどを発売して活動範囲を広げていった意味では 石川優子さんはアーティストでありながらかなりアイドル的な位置にいた存在として人気を高めていったわけなんですね。そういう意味では 太田裕美さんの路線に近いのかも。(先ほど おいらが複雑な思いって書いたんですが これは中学生当時のことで 今は何とも思っていませんし語弊があると困るので記しておきますが テレビの中継だかラジオの放送で 初めて聞いて?と思ったのが言葉のことだったんですね。彼女は大阪出身で いわゆる関西の言葉で話をされていたのを聞いて そのルックスから想像していたイメージに何かギャップを感じたことがあったのでした。普段の生活で住んでいる地域以外の言葉って そうは聞いたことが無かったから どこか関西の言葉って怖い印象があったわけなんですね。[わーい(嬉しい顔)][たらーっ(汗)]今でこそいろんなところで見聞きするようになって理解できる言葉が まだググったり出来ない時代でしょ!40年も前の事。近く・・・関東圏以外では 新潟や長野県にしか親戚はいなかったし。「おんどりゃ~!」って凄まれたらなんか怖いでしょ![爆弾]松ちゃんは好きだけれど 浜ちゃんは なんか妙な勢いあってすぐ手を出しそうじゃない?[わーい(嬉しい顔)])・・・脱線しちゃったYO!まぁおいらが抱いていた彼女の印象と 関西弁で話される衝撃があの頃は大きかったわけだね。そして石川優子さんは さらに人気を拡大して人気絶頂の時期に ご結婚を機に引退されてしまうんですね。ソングライターとして作品を提供されたり 何度かステージに立たれて復帰されたこともありましたが 現在は事実上 その後の大々的な復帰はされておりませんね。この頃って 石川姓の方って結構活躍されてましたよね。他にも石川さゆりさんや 石川ひとみさん 石川セリさんらも。ばいう~(梅雨)な 時期真っ只中ですがカラッとした音楽で ひと時気分転換して南の島を夢見ていたいです~ぅ。


沖縄今は大変だけれど 行ってみたいな。おいらは飛行機って
乗ったことないんだよね。電車で成田行って 成田―那覇便っ
てあるから余裕と時間があれば行けないことはないけれどね。
離島に行ってみたい。北海道もいいね。本州から出たことない
から。海外でなくてもいい。否 国内の方がいいな。 [リゾート]  
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びわわ。。。冷やすと格別だね![レストラン]

今回は記事が長くなっちゃったから このあたりにて。次回更新は6/27 0:00の予定です。[メモ]明日は夏至だし もう来週後半は 文月・下半期だね。みなさん 体調崩されませんように!それでは ぐな~ぃ![夜]


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