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鮮やかな花が次々と! [1982年組アイドル]

三月一六日の夜に発生した 宮城・福島県を中心とした大きな地震、さらに続いている岩手県をはじめ東北地方の地震で被害に遭われましたみなさまへのお見舞いを申し上げますと共に心労をお察しいたします。

三月ももう後半に差し掛かりましたね。春の彼岸に入りましたが季節は行ったり来たり。早く穏やかな陽気の中で気持ちもぽかぽかしたい。そろそろ終わりを迎える朝の連続ドラマ。これまではあまり見なかったんだけれど 今作は珍しくはまってしまって 数日後に結末を迎えるのが寂しい気持ちになっています。何気ないドラマなんだけれど戦中戦後から現代までの大きな流れの中で どこかおいらのこれまでの家系にも似たような背景が 見え隠れするようなところにその要因があるように感じてならない。同じというのではないけれど 漂うニュアンスに 幼少以前の詳しくは判らない時代を確かめたい衝動に駆られています。・・・とはいえ それをひも解くことはタブーであったり今となっては かけらさえ難しいものになってしまって。。。

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数日前 前記事の葉だけの茎から暖色のクロッカスが
開きました。数個の球根を植えて
それらも近いうちに
花をつけるのことでしょう。[かわいい]          

ルーツというものは 時として優しいことばかりではないことは判っていますが 親も高齢となりいつかは聞いておかなくてはならないことも多々ある。ドラマのような複雑な家系の歴史と背景。多感な頃は 山口百恵さんが演じた赤いシリーズのドラマのようで おいらの人生は百恵さんが演じた役のようにドラマティックなのかもと変に胸はやらせたこともあったけれど。その箱のひもの結び目は堅くもあり脆くもあり。逸る気持ちと戸惑う気持ちに三寒四温の如く揺れていたりする。

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[るんるん]今回の一曲は 40年前(1982年のヒット曲)シリーズの続きです。今も語られることが多いんだけれども 1982年は女性アイドル花盛りの大豊作の年で 特に春先は その後輝かしい花を咲かせたもの パッと開いて閉じてしまったもの 芽を出さずに消えてしまったもの・・・。今となっては 名を見ても思い出せない数のアイドルがほぼ一列に並んでスタートダッシュを切ったのでした。今回は その中から40年前の明日デビューしたお二人を![るんるん]
DSCN4805_01.JPG 「駈けてきた処女(おとめ)」 三田寛子 1982年03月21日発売デビュー曲。彼女は現在でも時折コメンテーターやタレントとしてテレビでよく拝見しますね。梨園の奥様(歌舞伎俳優  八代目 中村芝翫さんの奥様)。京都出身で雑誌のモデル募集に応募して 歌手デビュー前年に さとう宗幸さんが中学の先生役を演じたドラマ[2年B組仙八先生]の生徒役でブレイク。(同ドラマからは シブがき隊の3人、ミュージシャンの本田恭章が後に歌手としてデビュー)京都弁のどこかはんなりしたイメージのしゃべり方と清楚な雰囲気が印象的でした。おいらが82年組で最初に好きになったのは彼女でした。デビュー作は 阿木燿子作詞 井上陽水作曲のアイドル作品としては一風変わった それでいてインパクトのある 春先の漂う陽炎のような揺らぎあるモデラート調の やや奥手でウエット感が新鮮な作品。おいらはこの作品にひと目(ひと聴?!)惚れでした。週刊売り上げでは 最高21位までランクアップ。約10万枚のヒットに。彼女はコンスタントに「夏の雫」(これもまた井上陽水作品の怪しさが秀逸)「色づく街」(南沙織のカヴァー)「初恋」(村下孝蔵さんとほぼ同時期にヒット)等作品をリリース。役者としての活動がメインとなり音楽活動はフェイドアウトして行きますが 現在でもその多くの作品は根強い人気があります。
DSCN4798_01.JPG 「私の16才」 小泉今日子 1982年03月21日発売デビュー曲。現在は女優としてのイメージが強い彼女ですが (もう約10年近く前になるんですね!それだけでびっくり)朝の連ドラ[あまちゃん]に出演されていたのを覚えている方も多いかもしれません。歌手デビューのきっかけは 伝説のオーディション番組[スター誕生]。このデビュー曲と2枚目のシングルは共にカヴァー曲で 彼女のオリジナル作品としてのシングル作品は3枚目の「ひとり街角」。デビュー曲となるこの作品は 1979年に 森まどかさんが「ねえ・ねえ・ねえ」というタイトルでリリースされました。小泉盤は週間セールスは最高22位 約10万枚のスマッシュヒット。まだデビュー直後は なりを潜めていましたが大胆な活躍が 翌年からの大ブレイクの要因となりデビュー一年後の4枚目のシングル「春風の誘惑」で週刊売り上げが初ベストテンにランクイン。次作「真っ赤な女の子」が大ヒット中に 公開された内田裕也さん主演の映画[10階のモスキート]にちょい役として出演。この頃から かわいいだけのアイドルからひとつ頭角を現し現在に至る 個性派としての活躍が!歌手としてはリリースされる作品が次々に大ヒット 1982年組としては唯一ミリオンセラー(1991年「あなたに会えてよかった」作詞も御本人)の売り上げに。代表曲として「なんてったってアイドル」「木枯らしに抱かれて」「学園天国」(フィンガー5のカヴァー)「潮騒のメモリー」等。
「私の16才」は その後の大ブレイク後の作品からは 想像出来ないくらいアイドルアイドルしていますが 昭和歌謡の香りが漂い 奥ゆかしさと初々しさが 今から思うと良い意味でパワフルな本性を隠してアイドルに徹していたなと思わずニコニコしちゃいます。アルバムもデビュー作から第2位にランクインする人気ぶりでしたね。


彼女は 今も好きだな。

2枚目のシングル「素敵なラブリーボーイ」をリリースした
頃に ゲスト出演したバラエティー番組[カックラキン大放送]
の収録を見に行ったっけかな!              
1982年組は 結構いるから別カテゴリー作ろうかな?おいら
の青春真っ盛りの頃!高校入学した年に戻りたい![モバQ][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]
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ハクモクレンも一気に咲きだしました。
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オトメツバキも!

(この記事を書いている18日。あいにくの季節が戻り雨が降っている。雨がやんだら)彼岸に入ったし 菩提寺に墓参り行って来なくちゃな。前記事は もうなんだか 何もかにも嫌になっちゃってる最中だったんだけれど いくらかは霞がかっているものの 少しはマシかな。ちょっと思い出したんだけれど 東日本大震災のあった時の直前も 同じような感じだった。ひさしぶりに2011年の3月11日前後の記事を見返してみました。だいぶショックは和らいだけれど 記事を見た時の生理感は未だにわずかだけれど残っている。人生このままでいいのかと不甲斐なさのプレッシャーに押しつぶされそうな感覚。気にしない気にしないとかんがえないようにして 10年以上経ったんだけれどね。そんなことを考えながら お休みをされているブロガーさんの記事を拝見させていただいた。 ”思うように行かないから人生はいとおしい。” それも またありなんだろうと思う。 ”生きていると或る日突然 迷路にいることがある。” その文章に そうなんだ!きっとそうなんだろうと 少しとげとげな気持ちがほどけた気持ちに。大きな岐路を迎えつつあることは感じている。これからも何度も いろんなところにぶち当たるだろう。経験値ばかりで乗り越えられない 柔軟な気持ちも必要であることが 苦痛と共に見えた気がした週末に流れて進んで行く。
次回更新は 3/27 0:00の予定です。[メモ] その頃には ソメイヨシノも開花しているかな。[かわいい]今回は このあたりにて。ぐな~ぃ。[夜]


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