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卯月から皐月へと [洋モノれびゅ~]

四月も今週いっぱいで終わりですね。このところ雨が降ったりやんだり。[小雨]菜種梅雨もそろそろ[晴れ]五月晴れになるかも!来月は少し気持ちも晴々出来ると良いんだけれどな。[モバQ]

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ツツジが満開![かわいい]
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おいらの好きなスズランも咲き始めたYO![わーい(嬉しい顔)]

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[るんるん]今回の一曲は このところダウナーな気分が続いちゃっているから音楽も聴くには聴くんだけれど あまり気分転換にならなくて乗れないでいることもしばしば。でも おいらにとっては無くてはならないもの何も聴きたくなくなってしまったらホントにバランス崩しちゃいそうだなと思っていた。何気なしに久しぶりに懐かしいポピュラーを思い出して聴いたら無性にCDが欲しくなっちゃって 密林じゃなくてCDショップに足が向いてた。今のおいらの気持ちが 今回の一曲の雰囲気で代弁してくれるようなそんなカラーを どこか感じたからだった。実際には70年代後半のDISCO(今で言うクラブだね。)の大人気曲(オリジナルはおいらが生まれた頃だから 更に遡るんだけれど。)だったんだけれど 当時はノリノリに感じた作品が なんとも新鮮で。それでいて虚無にとらわれているような感じで。実際には虚無感ではないんだけれど 立ち止まって時間の止まった景色の空間で何かを見探しているような。。。ここで登場するとは思わなかった。今回は邦楽がテリトリーのおいらには珍しく洋モノから。あ、全く洋楽聴かないわけじゃないんだよ。[るんるん]
[ひらめき]”ここだけ あとがき” このあとの部分の記事を書いてから あ~でもこ~でもないと書き直してたら余計に複雑になっちゃったので 空気感だけ感じてくれれば幸いです。読みにくくてごめんなさい。ぺこり。[がく~(落胆した顔)]
DSCN5126_01.JPGDSCN5128_01.JPG 「サニー SUNNY」 ボニーM 1977年06月25日発売(国内発売)ジャケットは同曲を収録したBEST盤。ボニーMは 1974年西ドイツで プロデュース(ボーカル)を手掛ける
フランク・ファリアンが ミュージシャンを集めグループを結成。1976年前後から第二期ディスコ・ブームを巻き起こす やはりドイツから登場するミュンヘン・ディスコミュージックのクイーン ドナ・サマーやのちに日本でも 大人気キャンディーポップブームで大ブレイクするアラベスクなどと共に日本でも大人気となります。どこか怪しげな雰囲気を醸すメンバー(ジャケットに写る DJ兼パフォーマーの男性<この人はヴォーカルではない>と女性3人・・・今思うと構成が「EZ DO DANCE」のTRFみたいだね。)のノリのいいリズム感とコーラスワークがなんとも気持ちいい!世界各国で人気を誇り 一時は「DANCING QUEEN」で大人気を博すABBAと肩を並べるほどの人気を誇り 現在もメンバーは変更がありますが変わらぬ人気で活躍中だとか。当時の大ヒットに今回の一曲以外にも「マ・ベーカー」「バビロンの河」「怪僧ラスプーチン」「フレー!フレー!」「ガッタ・ゴー・ホーム」「バハマ・ママ」等多数。
今回取り上げたのは 何かに呼ばれるように 中学くらいの頃に聴いてた(「バハマ・ママ」はシングルで持ってた。)この曲が 思い浮かびしばらくちょくちょくと思い出して YOUTUBEで聴いてたんだけれど無性にそのなんとも言えない雰囲気(このあと詳しく!)に取りつかれちゃって。それで思い出したんだけれど 子供のころに聴いた ”邦楽の” 流行歌の雰囲気に似てる。もう忘れかけているんだけれど 1960年代末の 温度や湿度を感じないようなモノクロ感を覚えるあか抜けないような雰囲気。それでいて夜明け前と陽が昇りだす ほんのわずかな時間に立ち まだ見ぬ何かを見まわし探しているような抽象的な何か・・・。そんな言葉に表しにくいような空気感に包まれていたから。(だんだんおかしな表現になってくる・・・。)1960年代末の流行歌が判る方ならその雰囲気を理解出来るかもしれないのですが(「希望」「夜明けのうた」岸洋子 「悲しみは駈け足でやってくる」アン真理子 「いいじゃないの幸せならば」佐良直美 「雲にのりたい」黛ジュン 「夜明けのスキャット」由紀さおり 「禁じられた恋」森山<安子・ローズウッド>良子・・・なんかの雰囲気!)なんとも晴れ渡らないうつろな感じなんですね。

時代背景からして 新たに幕を開ける1970年代への期待と1960年代末の退廃的な雰囲気(おいらは子供だったから判らなかったけれど 安保闘争とか学生運動とか・・・不安定感みたいな。/モーレツからビューティフルへの富士ゼロックスのCMを突然思い出す。)の混ざり合った 曇り空の雰囲気を醸し出すアレンジと言えばいいのかな!(大好きなユーミンの「曇り空」やプロコル・ハルムの「青い影」なんかも。)長くなっちゃったな・・・
そんな雰囲気を今回の一曲に感じて誘惑されたというべきなのかな。毎日何かに追われて 先が見えなくなっていて 気持ちも不安定な中 なにか一筋の光を見つけたい惑いが この作品を欲したのかもしれない。(※うまく表現出来なくてすみません。雰囲気を感じてくれればうれしいです。)
「サニー」・・・オリジナルは 米国のソウル・シンガー ボビーヘブが1966年に大ヒットさせているんですね。その後多くのアーティストがカヴァーしているんですが おいらはボニーMと 1960~70年代にかけて米国で活躍したクリス・モンテスのヴァージョンが好きなんだけれど どれもどこか憂いを隠せない感が心を惹くのです。あまり詳しく知らなかったんだけれど 今回改めて振り返ると 1963年11月28日
ジョン・F・ケネディの暗殺の翌日 ボビーヘブが ナイトクラブの喧嘩で帰らぬ身となった兄を 憔悴し 慰め偲び この作品を書いたという説が「サニー」の誕生秘話だったそう。動画の後に訳詞をすこしだけ記しますが どこか自分の気持ちに引っかかったのは 何か見えにくいものを見出そうとする気持ちと重なったから(英語ダメだから訳詞はよく判らないし)メロディに共鳴しちゃったのかな。。。DISCOミュージックって そんなイメージないような感じでしょ!もっとウキウキしたハイテンションの時に共鳴すると思ってた。。。(とはいえ いろんな作品の歌詞があるわけだけれど。)



 sunny 昨日 僕の人生はずっと雨が降りっぱなしだった
 sunny 君は微笑んでくれたから 痛みが和らいだ
 もう暗い日々は過ぎ去って 光り輝く日がここに
 僕の太陽みたいな人 心から輝いている
 僕の太陽みたいな人 心から輝いている

いろいろと頭を抱えることは多いんだけれど 何か見つけ出そうとしている自分自身が少し判ったような気がした。そしてそのメロディーが無性に欲しくなったというわけだろう。大切な一枚を手に入れた。停まりかけていた気持ちが また少しづつだけれど 動き出そうとしていることが判った。この作品の悲し気なトーンを どこかで自身の心情と重ねようとしてたんだね。多分。
そして 1960年代末 自我が芽生えようとしていた頃 時代もまた 新たな70年代へと動き出そうとしていたんだね。1970年代が始まると 1960年代の音楽は新たな変化を遂げて より華やかな成長期と共に時代の流れに沿い流行という世相を映す音楽が愛されて行くんですね。
今回は れびゅ~というよりも おいら自身の岐路を振り返っていたのかも。。。
[CD]大事なこと書くの忘れてた。今回ボニーMのCDを買ったわけだけれど プレーヤーのスタートボタン押したらびっくりした。というのも その音の良さに!ボニーMの国内での版権が ソニーミュージックに移動になって ソニーのカッティング・マスタリング技術で ”BSCD2”(ブルースペックCD2)と言うのがあるんだけれど マスターテープの原音に近い再生技術には驚いた。すごく臨場感あるし細かな音まで再現されているように感じた。1982年にCDが初めて発売された時も 音のクリアさには感激だったんだけれど 今回はそれ以上に感じたのは レコードで聴いていた時の感覚が甦ったからだけじゃないと思う。ということを書きたかった。ハイ・ファイ・セットの『PASADENA PARK』も改めて欲しくなっちゃった。

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ドウダン

新緑もまぶしくなってきました。それだけでも なにか良い予感を感じそう。おいら自身の気持ちは まだくすぶっているんだけれどね。ほんの少しだけは軽くなってきたのかな。数日前の新聞の記事に 小泉今日子さんのことが書かれてたんだけれど ”生きているってことは恥ずかしいことなのだ。私は今日も元気に生きている。”彼女言葉に少しほっとした。そして彼女ほど 自身の名前通りに生きている人を知らないという記者の文字に少しハッとした。おいらは 自分の名前(本名/秘密だよ!知ってる人は知ってるけど!)に 子供のころからコンプレックスを持っている。祖父がつけてくれた名前だけれど 年を重ねるごとに重みが格段と増してくる。その文字に忠実に生きようなんて思っていないけれど それでもいつも追いかけてくる。皆さんは ご自身の名前にどんな思いを持っているのかな?あんな名前なら良かったとかって思ったことありますか?名は体を表す・・・なんて言いますよね。今自分の名前と戦っているということでしょうか・・・。(苦笑)

さて次回更新は 5月になります。5/1 0:00の予定です。[メモ] ようやく穏やかな陽気になって来てくれましたが 今年の春はもう少し長く続いてくれるといいですね。ゴールデンウィークにお出かけになられるという方も多いかも!コロナ禍で二年ほど制限があったりしてましたものね。完全に終結したわけじゃないけれど 楽しい時間を安全に過ごせるといいですね。おいらは 関係なし。はぬ~ん。余裕ないけれど 宝くじ買ってこようかな。それでは今回はここらにて ぐな~ぃ![夜]


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そう今日は土曜日。”土曜日の実験室!”と叫ぶ。。。 [1982年組アイドル]

新年度が始まって半月経ちましたが 毎日がそう濃厚でないせいか?年度末の早さが嘘のような ゆったりした流れを感じます。一日の時間はあっという間に過ぎるんですけれどね。ここ数日は 急に夏日になって汗びっしょりになり 今年もお色直し(一日に何回か着替えなくてはいけない!)季節到来かと思ったら ストーブ点けなきゃ肌寒いし 洗濯物は乾かない日があったり。春に三日の晴れなし!否 春本番が来たんですね。

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もみじも新緑の色に!

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[るんるん]今回は二週ぶりの 1982年組の花盛りアイドル第三段 4月の陣の二人の登場です。4月も何人かデビューしているんですが この二人は所属のレコード会社・プロダクションも大手だったせいかデビュー時点から 安定した人気が持続して 年末の賞レースでも殆どノミネートを果たし翌年にさらに飛躍してました。二人ともおいらとは同級の年代 いわゆる丙午の女性なんですね。まぁ迷信だろうけれど この年生まれの男性・女性は気が強くて配偶者を不幸にしてしまうとか 後に女性ばかりクローズアップされて この年の女性は嫁に貰わない方が無難とかで 丙午の年が回ってきたときには出生率がその年だけガクッと下がるなんて・・・。この二人も気が強いのかな?[がく~(落胆した顔)]わかんないけれど。あ、おいらは丙午じゃないんだよ。早生まれだから次の干支なんだもん!がはは。[わーい(嬉しい顔)]では まずはこの方から![るんるん]
DSCN5097_01.JPG 「妖精時代」 石川秀美 1982年04月21日デビュー。(RVC/現在はSONY MUSIC傘下のレーベル 芸映所属でした。)千葉県木更津市生まれの愛知県瀬戸市出身。同プロダクション所属の河合奈保子さんに続き (西城)秀樹の弟・妹募集オーディションでデビューのきっかけを。”さわやか天使”というキャッチフレーズで「妖精時代」で歌手デビューするんですが ビッグヒットに恵まれるのは 次の作品「ゆ・れ・て・湘南」で 更に翌年のデビュー約一年後にリリースした5枚目のシングル「Hey! ミスター・ポリスマン」で 更に大ブレイク。以降アイドルポップスからロック系の作品に作風は派手になって行きますが リリースする作品は連続大ヒット。ドラマ・CMなどにも出演していましたが 歌手・タレントとしての活躍が引退するまでメインでしたね。代表作に前出以外に「涙のペイパームーン」「スターダスト・トレイン」「熱風」「ミステリー・ウーマン」「もっと接近しましょ」「愛の呪文」…等多数。
引退後に ご夫婦でCMに出演されていたのを記憶されている方もいらっしゃるかもしれませんが やはり同年デビューのシブがき隊のヤッくんこと薬丸裕英さんと御結婚後 三男二女に恵まれて現在は ジュエリーデザインをされているそうですね。お子さんも 芸能界やスポーツ界で活躍されていて もう孫もいらっしゃるんですね。前出のジュエリーデザインは ハワイで独自のブランド作品を販売されているんですが ハワイが好きになったきっかけには 次に登場する方との海外取材が(その時は 早く帰りたくてしょうがなかったのに!)きっかけになっているんですよね。その方もまたハワイにご縁があるのでした。
DSCN5084_01.JPG 「急いで!初恋」 早見 優 1982年04月21日デビュー。(トーラス<当時東芝EMI傘下> サン・ミュージック所属でした。)静岡県生まれハワイ出身。ハワイのアメリカンスクール在学中に現地でスカウトされデビュー。彼女の登場は その頃にわかに話題になっていたバイリンガルのはしりでしたね。この作品がCMソングとなったシャンプーとリンスのCMにも登場して 南国育ちのあか抜けた爽やかな雰囲気が印象でしたっけ。(おいらも影響されてすぐに買って使ってました。”恋コロン・髪にもコロン・ヘアコロン・シャンプー&リンス(フルーツ・カクテルの香りの方)”前日の入浴時に髪を洗っても 通学時にその香りが香ってたYO!)あの頃は 岩崎良美さんがCMに出てた 資生堂のコロンも使ってた。(マセてたんだね。脱線の予感ありなので急遽軌道修正)彼女も またコンスタントにシングルをリリースしていたんですが 大ブレイクに繋がるのは翌年のコカ・コーラのCMのタイアップで大ヒットした「夏色のナンシー」以降。石川秀美さん同様にドラマやCM タレントとしての活動をされてましたが 本道は歌手としての活動。ネイティブな英語を武器に ラジオの[100万人の英会話]にも出てたし 早朝の子供向けテレビ番組[アメリカン・キッズ]でも 英会話を教えるMCもされてましたっけ。(上智大学出身)。彼女は英語詞でも歌っていた分 幅の広がりは大きかったかも。代表作に前出以外「渚のライオン」「ラッキイ・リップス」「誘惑光線・クラッ!」「tonight」「PASSION」「Love Station」「ハートは戻らない(GET OUT OF MY LIFE)」「GET UP」他 作品はアイドルポップスからロック系 ダンス・ミュージック系に移行。彼女も その後一般の方との結婚後もタレントとしての活動をされてますね。一時は 同期デビューのIさんに誘われて 旅先で事件を起こしてしまうことになっちゃたりしますが・・・。[爆弾]
彼女たち1982年組のアイドルは仲が良くて とくに 石川秀美・早見優・堀ちえみの同級生組は いろいろ噂になったりもしましたがお互いに マスコミを撒いて恋愛に花を咲かせていたなんて 後に明かしてましたっけ。しでみちゃんと一緒になったヤッくんは 当初ちえみちゃんと噂になってたんですよね。でも実は違ってた。芸能人同士の恋愛や付き合いが(特に未成年だったこともあり)事務所でも禁止されていた中 上手くやりぬいてたもんね。しでみちゃんと優ちゃんがデビュー間もないころ二人(優ちゃんが誘った!)で DISCOに行ったら しでみちゃんのマネージャーさんから 優ちゃんが ”うちの所属タレントを悪い道に誘わないでくれ!”と怒られたとかね。いろいろあったみたい。ちえみちゃんは違うけれど 二人の丙午生まれは ひと筋縄ではいかなかったのかもしれない!というのも間違てなかったりしてね。だから今でも活躍で来ているのかもね。あ、そうそうアイドルのキャンペーンに初めて行ったのは優ちゃんだったかな。彼女 当時伊代ちゃんに似てたんだよね。間近で写真撮ったんだけれど 伊代ちゃんみたいに撮れちゃった。機会があったらその写真探してみるね。では二人の初々しいデビュー曲を!ど~ぞ!



このころを境にアイドルは おいらと同い年から年下になって
ゆくんですね。二人ともまだ初々しい。おいらもまだ初々しく
ウブウブだったころ。。。15歳だよ! 早生まれのおいらは
高校入学する直前に15になったばかり。げげっ、やばいYO
年バレちゃうじゃん。あ、でもおいらは途中で記憶喪失になっ
ている可能性が高いから 宇宙から来た三人組に地球外に連れ
出されて 浦島太郎状態で帰って来たかもしれないからその間
の歳月はちょっと良く判らないかも。(おかしなこと言ってる
んじゃないよ!ボケ! [パンチ][むかっ(怒り)] あうちっ!)         
あ、でも 三人組の正体知っている人がいるかもしれない。 
まだ言うか![どんっ(衝撃)]あうっ。そのうちに明らかになるのだった。
シブがき隊じゃないよ。[わーい(嬉しい顔)]               
(mioさん知っているかも![パンチ]急に振っちゃダメじゃん!)
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モミジに小さな花も咲いてたYO!

なんか遠い時代に エスケイプ(気分的逃避行)している時はいろんな楽しいことが溢れ出てくる!カレーのCMで ”だってラッキョウが転がるんですもの!”(それだけでも 面白くって笑い転げちゃう年頃!/ホントはそういう意味!)と イミフなCMを思い出すんだけれど 中島みゆきさんの歌じゃないけれど そんな時代もあったね!と振り返って そのままその時代に戻りたくなっちゃう。それだけじゃいけないんだけれど。学校帰りに どうでもいいようなことを クレープ食べながらお茶しながら数時間くったべったり(しゃべるって意味) バイトに精を出したり 勉強はなかなか成果が出ないかったけどね。毎日が兎にも角にも有意義だった若いころ。
街中で 新入生だと判る 真新しい制服を着た高校生たちがキラキラ輝いている姿を見かけると 同じ頃のおいら自身を振り返ることが今の季節多いんだよね。

[ひらめき]あ!急に大事な事思い出した。今、この記事を書いている時間(2022年04月16日 16:00)今日は土曜日なんだよ!あの頃と同じ土曜日なんだよ!忘れないで思い出せたのは この記事を書いていて過去の記憶をたどったから!

”土曜日の実験室!”今日なんだよ。1983年 2011年(ブログ記事を書いた日)と同じ。原田知世が映画[時をかける少女]の舞台になったのが 1983年4月16日(土)だったんだよね。おいらの今まで見てきたすべての映画中で一番好きなタイトル。今日は無理だけれど 時間を見てDVDを見よう!(心の中で 尾道へ行きたい症候群発生ちう!)

DSCN5103_01.JPG 1983年04月16日も 土曜日だったんだ。「土曜日に実験室!」と叫んで時をかけたい!
しかし あの日は戻ってこないんだけれどね。[がく~(落胆した顔)](おいら’s 関連記事) [サーチ(調べる)]2011年04月17日の記事

今回は最後で脱線しちゃいましたが 大事なことを忘れることなく思い出せてよかった。どうでもいいことなんだけれどね。高校時代・放課後・遠い時代・・・そんなキーワードがひきがねになったみたいだった。
上手く纏まらない記事になっちゃいましたが 今回はこのあたりにて!今さっき また調子が悪くて どうしたら良いかと親からの電話があった。これから洗濯物を取りに行って来なくちゃ。帰って来て夕飯の支度 また忙しない時間帯に飛びこもうとしてます。さ~て いっちょこなさなくちゃな!次回更新は4/24 0:00の予定です。[メモ] (今の時点で)来週も 春に三日の晴れ無しみたいな天気が続きそうですが 皆さん体調崩されませんように!では ぐな~ぃ![夜]

[時計]時は過ぎて行くものではなくて やってくるもの!深町君が言ってた 大事な言葉を忘れかけていた。[時計]

[わーい(嬉しい顔)]Sさ~ん うわ~っ!是非「時をかける少女」楽しんでくださいね。(ちょこっとだけ!作品の中での時間軸が重複ことがあるので 9:37、仏壇の遺影、指の傷、めろん 日めくりとか 一部理解が難しいかもしれませんが そこもまた見どころなんです。あとは言っちゃうと面白くないので内緒。)[映画]私も 焼きおにぎり食べたくなる[転校生]と[さびしんぼう]のDVD欲しいな~っ。ヤフオク見てみようかな。^^ 角川さんの80年代の映画は良かったですね。あ、時間はなかなか取れないんだけれど 大林宣彦監督作品を見ながら尾道を散策している気分に浸りたいです。青春時代でしか味わえないのときめきと揺れる心の胸苦しさをぜひ![ときかけ]でお楽しみください ませませ。!^^


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桜前線を見送ります。 [永遠の歌]

I WANT MY LIFE TO GO TO
”ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET” そうで ありたいと思いながら楽しみにしていた朝の連続ドラマが幕を閉じた。
あまり連続ドラマは見ない方なんだけれど 始まったばかりの頃 このドラマの中で幾度となく耳をくすぐってくれたJAZZの名曲が燻った生活の中で いつまでも残ってしまって時々顔を出す。もうだいぶ前30代くらいの頃かな?かじって その名曲もアーティストも知っていたのだけれど ふたたびはまるなんて思ってもいなかった。

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ようやく青空の下で 桜を見上げることが出来た。
そして桜前線を 北へ見送るように吹雪いて行った。
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[るんるん]今回の一曲は 書き出しにも書いたんですが久しぶりにはまった朝の連続ドラマ[カムカムエブリバディ]の中で キーワードの一つとなっていたJAZZの名作「ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET」。[るんるん]
DSCN5066_01.JPG 「ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET~明るい表通りで」 ルイ・アームストロング 言わずと知れたJAZZ界永遠のミュージシャン。サッチモの愛称と白い歯が輝く優しくまぶしい笑顔 そしてなんとも言えぬ心がハミングする[演劇]トランペットの音色さらに素朴で弾むような低音ヴォーカルが魅力のルイ・アームストロング。おいらの祖父とそう変わらない時代に アメリカ(ルイジアナ州)のJAZZ発祥の地ニューオリンズに生を受け 不幸な事件からトランペット(ちょっと小ぶりなコルネット)に出逢ったことがきっかけで 偉大なるミュージシャンへの軌跡が始まるのでした。(ここで詳細について書き始めると今記事がいつまでも完結を見れなくなってしまいますので残念ですが割愛。。。)サッチモさんの名前は知らなくとも 誰もが一度はどこかで名曲の数々を耳にしておられると思います。その中でも有名なのは CMでも良く流れていた「この素晴らしき世界~ワット ア ワンダフル ワールド」。
おいらは 彼の名前を知ったのは かなり前で父親が聴いていたオープンリールのテープの中に その名前が書かれていたものがありました。その少し前に小学校の頃 ブラスバンドでトランペットを吹いていたことがありました。全然うまくなんかないけれどね。もう今では吹けないな。3本のピストンの押さえ方は覚えているけれどマウスピースを吹くなんて何十年もしてないしね。小学校の高学年時だけで吹かなくなっちゃった。でもそんな経験からか ビックバンドJAZZって肩ひじ張らずに す~っと耳にしていたみたい。父親のステレオから聴こえてくるJAZZも。
以前にも記事にしたことがあるんですが 子供のころに聴いた曲のタイトルもアーティストも判らず 2~30年探していたことがあり その曲(「メイム」101ストリングス・オーケストラ)を探す途中でも その曲を演奏しているアーティストを片っ端から聴いてこれでもないあれでもないという時に ルイ・アームストロングの同曲も聴いた(かじって)のが 今回の一曲との出逢い。前出の「この素晴らしき世界」と「メイム」「ハロードーリー」は おいらが生まれた年の前後に録音されているのでした。(懐かしく思えるのは もしかしたら赤子の頃に耳にしていたのだろうか?)でも ベスト盤の中の一曲だったからいつか忘れていた。そして 朝ドラで再び出逢い それまで持っていなかったので今年になってCDを買いました。今回の一曲は勿論なだけれど 改めて聴くと意外と演奏の一部分だけでも聴いたことがあることに 不思議な親近感を抱きました。おいらは彼のほんの一部しか聴いたことがないから れびゅ~なんて大それたことは出来ないけれど 今回聴き直してみたことで JAZZってとても縁遠く感じるジャンルだったんだけれど ルイ・アームストロングの登場は JAZZとポピュラーミュージックの架け橋を結んだアーティストだったんだと まだ音楽史の知らないことが多い時代のほんの一部分を理解出来た瞬間なのでした。
彼の歌う歌詞の日本語訳を見返したんだけれど 今回の朝ドラの時代感や 今のなんとも雲行きがスッキリしないおいらの毎日の生活感の(否 多くの人の気持ちに共感するんだろうね。)傍に寄り添ってくれているようで ほろっとしてしまった。”悩み事はひとまず置いて ドアを開けよう!” ”明るい表通りを歩けば すべては上手く行く” 前向きに風に吹かれて ここまで来たけれど ほんのちょっとしたことで 転がるように周りが見えなくなってきてしまっていた毎日に 寄り添ってくれているのがあまりにもタイムリーで シンクロニシティを感じずにいられなかった。新しく手にしたCDが おいらの大事な一枚になったのでした。
また新たな荷物を担がなくてはならなくなったけれど・・・。


あ!文四郎が結婚したデイジーの名前は ルイ・アームスト
ロングの最初の奥様から取ったのかもしれない!     
きっとそうなんだろう。。。カムカムいろいろ?!
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ビタミンカラー!菜の花の黄色と緑がまばゆく目に
飛び込む季節になった。

先日親のこれからについて 老健のケアマネージャーさんと面談をしてきた。正直なところ また肩に大きなものを担がなくてはならなくなった。約10ヶ月医療機関から移動して 病状や生活管理生活してきたのですが 来月半ばくらいをめどに 自宅での生活と小規模多機能施設への通い(デイケア)に移行することに。家での生活を基本とするために 今までのような仕事はさらに難しくなった。しかし 一人っきりで住まわせる状態は不可能だからしばらくは仕方ないことだろう。最近 専業主婦をされている方の ご苦労がものすごく良く判る。家の中のことと仕事そして介護の両立は正直甘いものではない。何かが犠牲になるのは仕方ないこと。それでも誰かが守らなくてはならない。こんな人生のつもりではなかったとは 今までも何度も思ったけれど。もうあまり考えても始まらない。何かきっかけが出来て 新たなチャンスを待つべきなのだろう。明るい表通りで風に吹かれるだけでも良いのかもしれないね。
こうでなくてはならない!ということはないだろう。またいつか岐路が見えてくるだろう。それでいいのだろう!重なるわけではないけれど 祖父の生きざまとおいらの生き方が どこか重なるように思えてきた。。。
次回更新は 4/17 0:00の予定です。桜前線を見送りました。これから花の時期を迎える地域の皆さんに早く おだやかな陽気とまばゆい桜の季節が届きますように![プレゼント]

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今週は多忙になるかもしれませんので皆様のところへの御訪問 コメントのお返しの時間が遅くなるかもしれません。今回はこのあたりにて。まだ季節が戻る日があるようです。体調崩されませんように。では ぐな~ぃ![夜]

わすれな・めも ・・・ 20220410 0:30 ”ON THE SUNNY SIDE OF THE STREET” で思い出した。足立sunnyさん 元気にしているかな。
わすれな・めも2 ・・・ 20220411 21:00 今日の午後 屋根の塗装を済ませた。



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