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ソメイヨシノ咲き始めた! [1982年組アイドル]

早い早いと言っていた年度末も残り数日。こちら千葉県北西部湾岸地域でもソメイヨシノがちらほらと咲きだしたようです。(この記事が更新される前々日の夜に咲いているのをちらっと見ました。[かわいい])あいにくの春雨に打たれた蕾ですが そのおかげで開花が促されているんですね。気持ちがなんとも霞んでいるままで おいらは新年度を迎えることになりそうですが これがミッドフィフティ(頭の中はミッドサーティ)の始まりなのかと・・・。

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今年初めて見た桜 [カメラ]20220325 19:30頃
昼間に見に行きたいけれど時間がない。[モバQ]

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[るんるん]今回の一曲は!と行きたいところですが 今回は前回に引き続き 40年前の1982年にデビューした花の82年組アイドルの続きで まぁとにかく多いから今回は前回同様 3/21前後にデビューした3組をれびゅ~します。ゆえに記事が長くなりそうなので簡潔にご紹介出来たら良いのだけれど。断線しちゃうのかな?あの頃デビューしたアイドルっておいらとあまり変わらないお年頃だから当時の動画を見ると初々しい。おいらも初々しかったはずなんだけれど・・・。まずは、[るんるん]
DSCN4886_01.JPG 「マイ・ボーイフレンド」 北原佐和子 1982年03月19日デビュー。デビューの日が18歳の誕生日だった彼女は 当時はモデルの事務所として君臨していたオスカープロモーションに所属して 3人組のパンジーとして(真鍋ちえみさん、三井比佐子さんと共に)デビュー。その先陣を切ってソロとして歌手デビューします。現在は女優としての活動をテレビで拝見する傍ら 介護福祉士としても活躍されています。歌手としてはデビューから3年間の活動でしたが その後タレントや女優としてブレイクします。昼のドラマや時代劇などで見かけることも多かったな。壮絶な嫌がらせといじめで話題になった小沢真珠の母親役として個性的な役柄も見事に演じられてました。(あ~またやっちゃった。小沢真珠がやっていた役ね。でも小沢真珠は地で演技してたというもっぱらの噂もあるんだけれど。←これが脱線の予兆。だってすんごかったもん!はっ倒したくなっちゃったもん。[ちっ(怒った顔)])軌道修正。でもって 北原佐和子さんは歌番組でもよく見てたんだけれど いつも極度の緊張気味でレコードでは まぁまぁ聴ける歌唱が すんごく外れちゃう時があってね。そこがまた素人っぽくて良かったんだけれど 次々に新曲を出すたびに大丈夫かな?と心配になっちゃったおいらなのでした。でも歌手と言う触れ込み時なくて あくまでモデルさんやタレントさんの仕事をメインだったからね。パンジー同輩の真鍋ちえみさんは怪しい迷名作で5月にデビュー。三井比佐子さんも6月にチアリーダーをバックに添えてかなり特徴的な歌唱法でデビュー。そういえば先日コメントくださったNONNONさんが仰られてたんだけれど たけし軍団の柳ユーレイさんの奥様 川田あつ子さんも同年4月にデビューするんですが 彼女も特徴的な歌唱法でしたね。70年代アイドル 〇田◇代子さんや 風〇△ュンさん 〇場△美子さんとも また違ったパワーBOMBを秘めてましたね。
つづいては、
DSCN4895_01.JPG 「潮風の少女」 堀 ちえみ 1982年03月21日デビュー。ホリプロ・タレント・スカウトキャラバン(優勝)をきっかけに デビュー前から多くのファンがいた彼女は この作品で歌手としてだけでなくドラマやCMにも同時期に登場して 1982年組の中では前年デビュー(1982年デビュー組になります。)の松本伊代さんと共に スタート・ダッシュでトップに躍り出ます。「真夏の少女」「待ちぼうけ」「とまどいの週末」「さよならの物語」とコンスタントにヒットを出しますが 何よりも彼女の大ブレイクのきっかけとなったのは大映ドラマ[スチュワーデス物語]での熱演と「教官!」というセリフの連呼。あまり好きなタイプじゃなかったけれど おいらもあのドラマにはまっちゃったもん!(←また脱線の予感!だってばさ 片平なぎささんがすんごいんだもん!長い手袋を歯で銜えて外して 「見て!この手!・・・ヒロシ!」とかって。怖いもん。今では素敵な女優さんのイメージで二時間ドラマの女王に君臨。だけども あの頃は狂気迫った感じだったもんね。あれ見たかったんだけれどさ!^^;ホリプロの後輩でもある堀ちえみさんは 引いてたのかな?大笑いはしないだろうけれど 内心片平さんをどう感じていたんだろう?あ、ちなみに おいらは幼虫とかさなぎって嫌いなのさ!成虫は良いんだけれど。え゛っ?なぎささんは好きだYO![わーい(嬉しい顔)][たらーっ(汗)])軌道修正。
堀ちえみさんは プライベートでは本当に大変な思いをされて 現在も大病と闘いながら頑張ってますよね。そういえば みやこさんとかいう妹さんって今どうしてるんだろう?
つづいては、死亡説まで流されちゃってたけれど・・・。(おいらは 彼女自身はあまり好きじゃないんだけれど彼女の作品は大いにかってるんだけれどね。特に病気で活動休止される前の2作品は!)
DSCN4896_01.JPG 「虹いろの瞳」 新井薫子 1982年03月21日デビュー。カセットやビデオテープなどでも(今でも発売してるのかな?あと発火する恐れのある加湿器/もしあったらメーカーに連絡くださいね!)有名なTDKの傘下会社として1982年に発足したTDKコアレコードのオーディションでチャンスを射止め(実はその前にデビュー予定はあったらしいんですけれどね。)第一弾アイドルとして華々しくデビュー。(彼女は名古屋ムーブメントのひとり 愛知県出身のアイドル 石川ひとみさん 1982年組同期の水野きみこさんなども)一部では 大きな瞳とぽっちゃりした輪郭に 妖怪呼ばわりされたこともあるんだけれどね。おいらが言ったんじゃないYO!彼女は歌手・タレント・CMと幅広く活躍してたんだけれどデビュー翌年に病気療養のために休業しちゃうんですよね。歌手としてはアイドル時代に6枚のシングルと数枚のアルバムを発表するんですが 一番の代表作は やっぱり2枚目の「イニシャルは夏」なのかな!他にも麻丘めぐみのカヴァー「私の彼は左きき」とかあるんだけれど おいらはアイドル時代後期の なんかね素っ頓狂な変わった雰囲気でテクノポップタイプの作品「大和撫子”春”咲きます」「OH!新鮮娘」ってのが大好きなんですよね。(これはあまり語らないほうが良いらしいなんてWEBでは囁かれてる感もあるらしいんだけれど・・・)彼女のアイドル時代の作品は一作品もデジタル化されていないんですよね。もうおいらも約40年来待ってるんだけれど。。。
現在は芸術家としておられると伝えられている彼女。病気療養中は急にテレビなどから消えちゃったあと音沙汰が無くて死亡説まで出回っちゃったんだけれど 夕焼けニャンニャン(おニャン子クラブの出てたバラエティ番組)で捜索活動もあったとか。現代となっては 40年もすればそれなりに紆余曲折もあるだろうしあの頃のアイドルもナイスミドルになっていておかしくないんだけれど 当時のアイドルの活躍を追いかけ知っている世代としては 今もあの頃のままのような幻想をどこかに抱いてたりするんですよね。良くも悪くも。1980年代以降家庭用ビデオの普及が目覚ましくなり WEB動画等であの時代の記録が残っているということは 本当にありがたいね。


やっぱり危なっかしい歌唱。。。

おいらは彼女と同学年。

う~ん、いい音で作品聴きたい。
[爆弾]そして、肝心のおまけ。新藤真理子。[がく~(落胆した顔)]

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ユキヤナギも満開!春だ~っ。

おいらの気持ちも 春爛漫に早くなるといいな。公園にソメイヨシノ見に行きたいな。親の老健の帰りに寄れるかな。でも洗濯物持ってカメラ構えるのは厳しいな。[目]次回更新は 新年度になるんですね。4/3 0:00更新の予定です。[メモ]今回はこのあたりにて まだまだ季節が逆戻りすることがありそうです。皆様体調管理にご注意くださいね。では ぐな~ぃ![夜]

[かわいい] 追記(記事を書き終え予約投稿した後)・・・ 20220326 18:00 17:00頃に[バス]バス待ちの間に公園に寄った。ソメイヨシノは2~3分咲き。[かわいい]

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雨が降っていたので どんより空。
花びらも濡れる午後5時。


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鮮やかな花が次々と! [1982年組アイドル]

三月一六日の夜に発生した 宮城・福島県を中心とした大きな地震、さらに続いている岩手県をはじめ東北地方の地震で被害に遭われましたみなさまへのお見舞いを申し上げますと共に心労をお察しいたします。

三月ももう後半に差し掛かりましたね。春の彼岸に入りましたが季節は行ったり来たり。早く穏やかな陽気の中で気持ちもぽかぽかしたい。そろそろ終わりを迎える朝の連続ドラマ。これまではあまり見なかったんだけれど 今作は珍しくはまってしまって 数日後に結末を迎えるのが寂しい気持ちになっています。何気ないドラマなんだけれど戦中戦後から現代までの大きな流れの中で どこかおいらのこれまでの家系にも似たような背景が 見え隠れするようなところにその要因があるように感じてならない。同じというのではないけれど 漂うニュアンスに 幼少以前の詳しくは判らない時代を確かめたい衝動に駆られています。・・・とはいえ それをひも解くことはタブーであったり今となっては かけらさえ難しいものになってしまって。。。

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数日前 前記事の葉だけの茎から暖色のクロッカスが
開きました。数個の球根を植えて
それらも近いうちに
花をつけるのことでしょう。[かわいい]          

ルーツというものは 時として優しいことばかりではないことは判っていますが 親も高齢となりいつかは聞いておかなくてはならないことも多々ある。ドラマのような複雑な家系の歴史と背景。多感な頃は 山口百恵さんが演じた赤いシリーズのドラマのようで おいらの人生は百恵さんが演じた役のようにドラマティックなのかもと変に胸はやらせたこともあったけれど。その箱のひもの結び目は堅くもあり脆くもあり。逸る気持ちと戸惑う気持ちに三寒四温の如く揺れていたりする。

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[るんるん]今回の一曲は 40年前(1982年のヒット曲)シリーズの続きです。今も語られることが多いんだけれども 1982年は女性アイドル花盛りの大豊作の年で 特に春先は その後輝かしい花を咲かせたもの パッと開いて閉じてしまったもの 芽を出さずに消えてしまったもの・・・。今となっては 名を見ても思い出せない数のアイドルがほぼ一列に並んでスタートダッシュを切ったのでした。今回は その中から40年前の明日デビューしたお二人を![るんるん]
DSCN4805_01.JPG 「駈けてきた処女(おとめ)」 三田寛子 1982年03月21日発売デビュー曲。彼女は現在でも時折コメンテーターやタレントとしてテレビでよく拝見しますね。梨園の奥様(歌舞伎俳優  八代目 中村芝翫さんの奥様)。京都出身で雑誌のモデル募集に応募して 歌手デビュー前年に さとう宗幸さんが中学の先生役を演じたドラマ[2年B組仙八先生]の生徒役でブレイク。(同ドラマからは シブがき隊の3人、ミュージシャンの本田恭章が後に歌手としてデビュー)京都弁のどこかはんなりしたイメージのしゃべり方と清楚な雰囲気が印象的でした。おいらが82年組で最初に好きになったのは彼女でした。デビュー作は 阿木燿子作詞 井上陽水作曲のアイドル作品としては一風変わった それでいてインパクトのある 春先の漂う陽炎のような揺らぎあるモデラート調の やや奥手でウエット感が新鮮な作品。おいらはこの作品にひと目(ひと聴?!)惚れでした。週刊売り上げでは 最高21位までランクアップ。約10万枚のヒットに。彼女はコンスタントに「夏の雫」(これもまた井上陽水作品の怪しさが秀逸)「色づく街」(南沙織のカヴァー)「初恋」(村下孝蔵さんとほぼ同時期にヒット)等作品をリリース。役者としての活動がメインとなり音楽活動はフェイドアウトして行きますが 現在でもその多くの作品は根強い人気があります。
DSCN4798_01.JPG 「私の16才」 小泉今日子 1982年03月21日発売デビュー曲。現在は女優としてのイメージが強い彼女ですが (もう約10年近く前になるんですね!それだけでびっくり)朝の連ドラ[あまちゃん]に出演されていたのを覚えている方も多いかもしれません。歌手デビューのきっかけは 伝説のオーディション番組[スター誕生]。このデビュー曲と2枚目のシングルは共にカヴァー曲で 彼女のオリジナル作品としてのシングル作品は3枚目の「ひとり街角」。デビュー曲となるこの作品は 1979年に 森まどかさんが「ねえ・ねえ・ねえ」というタイトルでリリースされました。小泉盤は週間セールスは最高22位 約10万枚のスマッシュヒット。まだデビュー直後は なりを潜めていましたが大胆な活躍が 翌年からの大ブレイクの要因となりデビュー一年後の4枚目のシングル「春風の誘惑」で週刊売り上げが初ベストテンにランクイン。次作「真っ赤な女の子」が大ヒット中に 公開された内田裕也さん主演の映画[10階のモスキート]にちょい役として出演。この頃から かわいいだけのアイドルからひとつ頭角を現し現在に至る 個性派としての活躍が!歌手としてはリリースされる作品が次々に大ヒット 1982年組としては唯一ミリオンセラー(1991年「あなたに会えてよかった」作詞も御本人)の売り上げに。代表曲として「なんてったってアイドル」「木枯らしに抱かれて」「学園天国」(フィンガー5のカヴァー)「潮騒のメモリー」等。
「私の16才」は その後の大ブレイク後の作品からは 想像出来ないくらいアイドルアイドルしていますが 昭和歌謡の香りが漂い 奥ゆかしさと初々しさが 今から思うと良い意味でパワフルな本性を隠してアイドルに徹していたなと思わずニコニコしちゃいます。アルバムもデビュー作から第2位にランクインする人気ぶりでしたね。


彼女は 今も好きだな。

2枚目のシングル「素敵なラブリーボーイ」をリリースした
頃に ゲスト出演したバラエティー番組[カックラキン大放送]
の収録を見に行ったっけかな!              
1982年組は 結構いるから別カテゴリー作ろうかな?おいら
の青春真っ盛りの頃!高校入学した年に戻りたい![モバQ][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]
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ハクモクレンも一気に咲きだしました。
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オトメツバキも!

(この記事を書いている18日。あいにくの季節が戻り雨が降っている。雨がやんだら)彼岸に入ったし 菩提寺に墓参り行って来なくちゃな。前記事は もうなんだか 何もかにも嫌になっちゃってる最中だったんだけれど いくらかは霞がかっているものの 少しはマシかな。ちょっと思い出したんだけれど 東日本大震災のあった時の直前も 同じような感じだった。ひさしぶりに2011年の3月11日前後の記事を見返してみました。だいぶショックは和らいだけれど 記事を見た時の生理感は未だにわずかだけれど残っている。人生このままでいいのかと不甲斐なさのプレッシャーに押しつぶされそうな感覚。気にしない気にしないとかんがえないようにして 10年以上経ったんだけれどね。そんなことを考えながら お休みをされているブロガーさんの記事を拝見させていただいた。 ”思うように行かないから人生はいとおしい。” それも またありなんだろうと思う。 ”生きていると或る日突然 迷路にいることがある。” その文章に そうなんだ!きっとそうなんだろうと 少しとげとげな気持ちがほどけた気持ちに。大きな岐路を迎えつつあることは感じている。これからも何度も いろんなところにぶち当たるだろう。経験値ばかりで乗り越えられない 柔軟な気持ちも必要であることが 苦痛と共に見えた気がした週末に流れて進んで行く。
次回更新は 3/27 0:00の予定です。[メモ] その頃には ソメイヨシノも開花しているかな。[かわいい]今回は このあたりにて。ぐな~ぃ。[夜]


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丑三つ時になっちゃったよ。。。 [1982年のヒット曲]

[ひらめき]今回は [ちっ(怒った顔)]大愚痴大会!おぼえ書だから 熟読せずに[るんるん]今回の一曲のところまで[るんるん]是非スルー してくださいな![ひらめき]

あの老女の占いはやっぱりいい加減なんだよ!散々儲けて勝手な事言いふらして・・・。やはり占いなんて当たるも八卦当たらぬも八卦なんだよ。そうつぶやいた。否 責任取れと言いたかった。三月・・・一年のうちで最高の月!半分も過ぎようとしているのに ろくなことないじゃないか!毎日自身の不甲斐なさと 馬鹿さ加減と 勝手に作って生んで ろくな運命じゃないじゃないかとさえ 自分勝手な親を恨む気持ちといら立ちで頭が痛い胃が痛い。毎日の電話での喧嘩で自分勝手な親の面倒を 何故おいらが見なくてはならない!と口に出そうになるくらい憤慨している。自暴自棄になっている自分が嫌で嫌でしょうがない。

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そういう時と言うのは 周りの芝生がより一層青々敷く羨ましく見えてくる。子供のころから いつかは見返してやると思って半世紀過ぎたが 何時まで経っても先を見通せないうだつの上がらない自分に焦りを通り越し諦めを感じるようになってきた。「良かったね!」と苦めの笑みで 新居を建てる者 自らの真新しい店を構える者 自身の夢が叶い進学や就職する者 皆成功に向かって新たなスタートダッシュを切っているのに それをいつもいつも何十年と見送って追い越され馬鹿を見て・・・そんな自身が何もかも嫌になっている。もう犠牲になんかなりたくないと思っても余生はそう長くはない。どんな占いを見ても大器晩成だ!よくも勝手なことを言ってくれたと思う。勿論占いをすべて当てにしたり信じるなんてことはない。DNAというもの環境というもの それは運命なのかもしれない。何もかにも馬鹿をみたって 一生懸命頑張って 自己犠牲をしても いつかは幸せに!そんな親の生き方を正しいと思って それが正道なのかと思ってきたが ここ数年の親を見ていると哀しくさえ写ってしまう。でも人を踏み台にしてまで 自分はのし上がりたいとは思わない。出来ない。自分の力でのし上がりたいと 脱線して失敗して紆余曲折。ぐねぐねと遠回りの道ばかり歩いてきた。自身の生き方は間違っているんじゃないか 親と同じようなところで躓いてしまうんではないかと。正直 闘病して面倒を見ている親を正直怨むようになってきた。認知機能の低下も少なからずある。進んでいるように感じる。おいら自身の人生がダメになって来ているように思えるのも事実。お金を払って 人に面倒を見てもらってはいるが 親はそれさえ現実と幻視幻想がごっちゃになり 看護介護してくださる人を信じられなくなっている。こんなところに居たくないと言い 家にさえ戻りたくないと勝手な事ばかり。毎日声を聴けば 愚痴と大喧嘩。もうこりごり。個人的な事だから詳しくは言えないけれど 普通の家庭とは違った生活環境や血縁関係がおいらの家系には混雑する。環境は複雑に変化して残された者は また錯綜する。ほぼすべてのことを理解して今の年になり 複雑な人生に翻弄されているのかもしれないと 余生の空白が 真白なまま続くことになんとも言えない恐怖を感じる。親もそれを感じているんだと悟った気持ちになった。なんでこんな病気になってしまったのか。どこにうっぷんを晴らしたらいいのかさえ答えはない。

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否 おいらだけではないんだろうね。不意の流行り病で くだらない戦いで 日々の生活のもっと大変な状況の中で命を失った方だって数え切れぬほどいる。そう思えば おいらの愚痴なんて比べ物にならないくらい幸せな方なんだろう。止まってしまってはいけないんだろうな。人の不公平さを思うだけ余力は まだあるはずなんだね。甘いね。おいらはまだ。

[るんるん]今回の一曲は 荒んでいるなと思っていたら しばらく聴いていなかった忘れていた歌が この記事を書いている時に 凄く心の奥深くまで刺さって何度もサビを繰り返していたんですね。偶然にも40年前にリリースされた作品なんだけれど 一時期大好きで聴いていたアーティストの作品。このアーティストのことを知っておられる方も多いかと思いますが その歌詞や曲の情熱に比例して とにかく”暗い”という言葉で片付けられてしまっているのが切なかったこともあったんですね。深夜放送のDJをされていたこともあったんですが コアなファンも多かったのに 責任者から聴取率とくだらない内容とかで 無茶な打ち切りにさせられちゃったとかってこともあったとかね。孤高のシンガーソングライター。彼女の歌には 簡単には消えない力強い情熱の火が いつも揺らめいている気がするんですね。そしてその揺らめきに 時に人は温められ 時に情熱や情念の炎となり燃え盛る力強さを与えてくれる そんな人間臭さがおいらは好きなんです。飾られた言葉ではなく 心の奥底から湧き上がる魂の歌。[るんるん]
DSCN4773_01.JPG 「幻想旅行」 山崎ハコ 1982年04月21日発売 5枚目のシングル。彼女の苗字は 濁点がつかない ヤマサキなんですね。ハコと言うのは 本名の初子の愛称から。大分県出身 多感な頃を横浜で過ごした小柄で長い髪の彼女は フォークのギターを抱え 自らの作品を書きため 音楽コンテストをきっかけに1970年代初期に アングラブームと呼ばれた 今で言うマイナーレーベル(自主製作)のレコード会社からデビュー。エレックレコードというメーカーを覚えていらっしゃる方も多いかもしれませんね。そこからは フォークの一大ブームに火を点けた よしだたくろう(吉田拓郎)さんや 泉谷しげるさん 「母に捧げるバラード」の大ヒットで話題になった海援隊 大瀧詠一さんや グループで活躍されていた 山下達郎さん大貫妙子さんら 今では J-POPの大御所が所属していたメーカーでもあります。不運にも倒産してしまうんですけれどね。
そのエレックから1975年10月に『飛・び・ま・す』で デビューを果たしたのが山崎ハコさん。しかし 不運(彼女には それ以降もいくつもの不運に見舞われてしまうんですね)にもセカンドアルバム『綱渡り』(このタイトルもまた不吉ですが)を発売後エレックは倒産。後にキャニオンレコード(現:ポニーキャニオン)に移籍しコンスタントに作品を発表します。大ヒットこそないものの その作品の中には(移籍前の作品も含め)香坂みゆきさんが歌ってスマッシュヒットとなった「気分を変えて」や「サヨナラの鐘」 1981年に公開された五木寛之原作[青春の門]の映画主題歌「織江の唄」などの名作や これまた変な意味で有名になっちゃった 丑の刻参りをフィーチャーしたような迷作「呪い」なんかのキッチュなものも 一部では人気となりましたっけ。テレビでも ちびまる子ちゃんの特番で 山崎ハコさん御本人がアニメの中に本人の役で登場してましたっけ。作者のさくらももこさんがファンだったそうですね。
で長々となってしまいましたが 今作はギター一本の弾き語り調の作風がカラーだった山崎ハコさんが おいらも驚いたんだけれど バックのバンドを引き連れたようなサウンドに なんかカッコイイかも!とラジオで聴いた後にアルバム買う余裕がなかったから シングルレコードを買って過去の作品をレンタルして聴いたのが好きになったきっかけ。アルバムなんか最初から最後まで聴いてたら 流石にフィールダウンしちゃうから おいらはノリのいいものをチョイスして聴いてた。その一つがこれなんですね。作風はフォークなんだけれど サウンドはマイナー・ロック調。心の虚無感を題材にしているんだけれど 時折聴こえる列車が通過するレール音が 心のひずみと呼応するように列車に揺れているような気分を感じさせます。その幻想の世界は 終着が未定の行き先の無い切符を持った架空の旅行。荒んだ空しい心のよりどころが見つからない哀愁を漂わせているように思えるんです。そうここ数日のおいらの気持ちみたいに。


彼女の歌は グサッと心にささるんですよね。
でも そのストレートさは力強く暖かくて。
彼女の歌声に癒されたファンも多いのでしょうね。
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やっと伸びてきたクロッカス。
桜の頃より一足早く咲いてくれるかな。。。[かわいい]

やっぱり心が貧しいのかもしれないな。(見てなきゃいいけれど)今年成人を迎えたストーカーの子が 学部は言わないけれど国立の最高峰の大学に合格して 来月からは新入生。彼の頑張りは知ってたけれど やはり両親やご先祖様の学の高さは桁違い。DNAや親御さんの彼に対する環境整備や経済力 学校の先生であったから 指導は普通の家の子とは違うんだろうなと思った。おいらの家系みたいな(先祖には申し訳ないけれど)学はほぼない 経済力もない 環境も決して良いとは言えなかったし おいら自身勉強の仕方って親に聞いても全く判らなかったし 長子だし 早生まれってのもあったのかもね。こんなこと書くのはお門違いだけれど いわゆる出来ちゃった婚でね。全てを恨みたくなってしまった。もちろん自分の努力が無かったのもだけれど。もし万が一 学があったとしても 大家族だったからね経済的には無理だったろうね。おいらと違って 弟①は勉強出来たけれどすっぱり諦められたのは おいらと逆の人をかき分けでも行く性格だったから 割り切れたんだろうけどね。今さら始まったことじゃないんだろうね。商売人のうちの子。とんびは鷹を生まない。蛙の子は蛙。世の常なんだろうね。
これ以上書くとみじめになるからやめておく。ただね 受験戦争が始まってからの学歴社会っていうのは 大きな格差を生むことは間違いないと思う。今の政治家だってそうでしょ。全てではないけれど 学があるから金があるから そんなで勝手にやられたら 結局損をするのは底辺の者なんだから。学があることを持てはやされ テレビやマスコミに ”ちゃらちゃら”出ているようなのって(専門家の先生方は別ね!)そのために学士や博士号を取ったのって言いたくなる。(被害妄想かこれは?)やめておこう やっぱりみじめだね。

次回更新は 3/20 0:00の予定ですが いろいろと忙しくて今週の記事みたいに 更新時間過ぎてから書いてたりするから 自信ないです。あくまで予定ということで。[メモ]
寒暖の差が大きくなりますね。季節が戻る日もありそうです。みなさま体調を第一にご無理ありませんように。今回は 不快な記事を書いちゃってごめんなさい。このあたりで失礼します。では ぐな~ぃ。[夜]

わすれな・めも ・・・ 20220313 21:15 今日の午後 運転免許証の更新書き換えに行ってきた。


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