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金・赤・緑 キラキラ! [1984年のヒット曲]

11番目の扉が開き 霜月になりました。待って!といっても待ってくれない忙しない時期の流れに乗らないといけないのかな。このところやたらと眠気に襲われるんですよね。短かった?秋を感じないまま初冬に入るのか?刻々と次の干支が迫ってくる。一昨日スーパーに行ったら クリスマスツリーの飾りつけしてるし。(どうやら毎年違うツリーのぶら下げるのを・・・オーナメントって言うんだっけ。使うらしい。おいらはてっきり毎年使いまわしてるのかと思ってた。それなりに宣伝費として軽費で落としてんだろうな。どおりで一昨年見た 柄のない泡だて器のようなオーナメントを見ないわけだ。あれ欲しかったな。[クリスマス] ← 今季初登場絵文字)

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これを目当てに行ったんじゃないんだけれど100均には
オーナメントがいっぱい並んでたYO! おいらはこの
次の画像の作成に使う小物を探しに行ったんだけれども
まだ売って無かった。早めに済ませたいんだけれどね。

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結局買って来ちゃったYO!でも15枚だけ。
インクジェット写真用は 売り切れちゃう時あるから
早めに買わないと。。。でも高くなった。ぼんび~な
おいらには ドスんと体当たりしちゃう。一枚¥95
だからレギュラーより¥10高い。郵便局で気を使って
ティッシュ二個くれた。今年喪中の人いたっけかな?
年賀状仕舞した方もいたし。誰に出さなきゃいけない
のか見当つかない。今年届いたのを見直さなきゃ。[郵便局]
100均には干支の置物とか入荷してないし まだデザ
インも何も考えてない。巳年ゆえに へびぃ~。[むかっ(怒り)] 
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[るんるん]さてと!今回の一曲は引き続き40年前(1984年)の同時期のヒット曲からのピックアップ。最近半世紀前の1974年の方は記事にしてないんだけれど 十年後の40年前くらいになるとヒット曲のローテーションも早くなって 首位もコロコロ週替わりなんてこともざらに。この頃は なんか気分的に疲れちゃってダウナーだったな。神無月の末に祖父が他界して葬儀も忙しなく それと時期を変わりないくらいの頃に おいらの両親から”両”の字が取れた生活感になって行き いろいろと環境が変わりつつあった頃。意外と不安になるものの けせらせらとした面も多分にあって クヨクヨするようなことってしない性(たち/性分)だから 受け入れることも時間はかからなかったけれど 片親になるということは その後いろいろと おいらにも重荷がかかることになって行くことは まだわかってなかったっけね。おいらは夢見がちなおバカだから あ~ドラマティックな人生がまたひとつ扉を開けた・・・(赤いシリーズ)ドラマの中の百恵さんみたい。きっと一生ドラマティックな生き方なんだろうな・・・って 思うことで逆に奮い立たせてたみたいな。(だから今も変わらないのかね。[がく~(落胆した顔)]は~ぁ。脱線。)相変わらず ぼんび~なりに音楽三昧はつづき 音楽を聴いている時は現実逃避してたね。欲しいレコードは山ほどあれど余裕は無いしね。バイトはしてたけれど 家の中のことも おいらはこなさなくちゃいけないし 翌年大検(文部省の大学入学資格検定)を受けようとしていて 一応は勉強の時間も取ってたけれど身に入ってなかったのかな。今となっては忙しないわりに有意義な時間だったけれど。(昔から忙しないんだね・・・これもおいらの性<サガ>[モバQ])この頃ね デビューの頃からず~っと聴いてたんだけれど 明菜ちゃんは別格として彼女の歌もすごく好きだった。明菜ちゃんと同学年だっけ確か。二年先にデビューしてるんだけれど 明菜ちゃんより確か誕生日は数ケ月後。彼女の歌って秋にヒットを出す傾向が強いなと思ってた。代表作は春なんだけれど。妙な大人っぽさと歌唱力に訴える力(歌唱力)があってね おいらは同期の松田聖子さんより好きだったね。そして驚いたのは同時期にデビューから 現天皇も ファンクラブに入られレコードを買われていらしたってこと。(とても失礼な事なんだけれども 当時ね・・・皇室の方々って流行歌って聴かれないんだと勝手に思ってた。推測で音楽は歴史的なクラシックを楽しまれておられるのかなと思っていたので・・・。その後 秋篠宮文仁親王が黄色いワーゲンを所有され運転されている時も驚いたものです。)おいらは何時になったらおバカでなくなるんだろう。。。[るんるん]
DSCN4713_01.JPG 「最 愛」 柏原芳恵 1984年09月05日発売 19枚目のシングル(企画盤を除く) 1980年デビュー。同期の女性アイドル松田聖子 河合奈保子に続く三番手的な位置についてコンスタントにヒットを出すのは デビュー二年目の秋にリリースした7枚目のシングル「ハロー・グッバイ」(カヴァー作品/オリジナルはアグネス・チャンの「ハロー・グッドバイ」以前にも記事にしましたが この歌詞のモデルとなったのは 南こうせつさんのお兄さんが経営されていた喫茶店で実際につかわれていたカップ<食器>から。)。この作品が 当時カヴァー作品ブームで 臨時発売されて年を跨ぎロングセラーとなり大ブレイク。現在まで柏原芳恵の最大セールス作品。その後 リリースされる作品が次々と連続ヒットし 1983年の初頭にリリースされた「春なのに」の大ヒットが共に代表作になりました。この「春なのに」は別格として 彼女の作品はコンスタントに売上のアベレージは安定していたのですが やはり定評のあった歌唱力もあるのか秋口にリリースされるスケールの大きいバラード作品が中でも高い人気なのは売上にも反映されていました。1980年第三弾 石川優子から引き継いだトローチのCMソングとなった「第二章・くちづけ」。翌年が「ハロー・グッバイ」 1982年 谷村新司作品「花梨(かりん)」 1983年 松山千春作品「タイニー・メモリー」 1984年が 今回の中島みゆき作品「最 愛」 1985年 高見沢俊彦作品(高見知佳のカバー)「し・の・び・愛」等。なかでも 「春なのに」共々 中島みゆき提供作品を歌った「最 愛」は 彼女のセールス作品では三番目の売上に。まぁとにかくキー幅は広いし 中島みゆき作品の特徴のひとつである息継ぎの難しい作品を 歌いこなす歌唱力はアイドル的存在のなかでは秀逸でしたっけ。日本レコード大賞では 1982年から3年間金賞に輝き 1985年からの3年間は優秀歌唱賞を。そんな中でも「最 愛」と「し・の・び・愛」は 脂の乗り切った時期の作品として「春なのに」と同等かそれ以上に聴かせる作品なんじゃないかなっておいらは感じるんですよね。最近は あまりテレビに出演されたりとかされないから 残念なんだけれど また歌っている姿を拝見出来ればと思っているおいらなのでした。


youtubeに [夜のヒットスタジオ](CX)のセリフ入り?!
ハプニングの ”きゃ~っ待って!”入りの動画が あったん
だけれど今は無くなっちゃったみたい。残念。。。    
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片付けたゴーヤのプランターから また芽が出てき
ちゃった。。。[わーい(嬉しい顔)][たらーっ(汗)]冬越しは無理だろうからあとで
片付ける心算だけれど。            
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数日前の早朝。[三日月]すんごく薄い上弦の月が出てました。
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日の入りは つるべ落としの如く早く 朝は日の出が
遅くなりました。その分ヴィヴィッドな空のトーンが
鮮やかに。空を見上げるのが ちょっと楽しみです。

三連休は あいにくのお天気だとか。この記事は土曜日の朝に書いているんですが 雨の音が聞こえています。一雨ごとに更に季節は進むのでしょうかね? このところ物騒な事件や事故が増えていますね。これから年末年始に向けて忙しなくなる時期。気をつけないとね。次回更新は 11/10 0:00の予定です。[メモ]何かと細々したことが多くて ブログ活動の時間が限られてしまっています。コメントのお返しや いつもお越しくださる皆様のところへのお邪魔の時間が遅くなることがあるかもしれませんが ご了承くだされば幸いです。天気予報だと雨あがり後 また気温が上がるなんてことも。陽気が乱高下しそうな予感もありますが皆様ご自愛くださいね。今回は このあたりにて。ぐな~ぃ![夜]

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