from 神無月 to 霜月 [1982年のヒット曲]
神無月も今日を含めてあと二日。年の瀬がじわじわと近づいてくるような気配を どことなく感じるんですが時折(特に夜間の)寒さは感じるものの昼間はそう寒さを感じるような気がしない。昼夜の寒暖差で なんとも体調がスッキリしなくて 眼精疲労や肩の張りを感じるこの頃。PCを開く時間もそう取れないから影響は別のところからなのかな?胃も空腹時にかなり弱い鈍痛を感じることもあるから 神経的に精神的に疲れてるのかもしれないね。
さて 今回の一曲は引き続き40年前(1982年)のヒット曲シリーズから。(来年は・・・まだ鬼が笑うか?1983年シリーズになるのかな ?! )年末が近づいてくると ここ数年はコロナ禍で自粛ムードだったけれど忘年会などを考える方々もいらっしゃるんじゃないかな?先日は普通に買い物帰りに すれ違った人の声が漏れて”忘年会”は貸し切りが良い!なんて聞こえてきたんだけれど 今年は年の瀬の酒の席ことを考えている人も 一昨年、昨年よりも多いのかな?おいらは呑める方でないから そういう席は嫌いではないんだけれど食べることと歌うことしか楽しめないんだよね。これまでも仕事関係とか忘年会って参加したことあるけれど 気になるのがカラオケ!忘年会シーズンって 今は判らないけれど 80年代90年代あたりだと場を盛り上げる宴会ソングみたいなのが毎年何曲かヒットしましたっけ。「男と女のラブゲーム」(競作多数 1986~7年 )「居酒屋」(木の実ナナ・五木ひろし 1982年 )「もしかしてPARTⅡ」(小林幸子・美樹克彦 1984年 )を始めデュエットソングも多々登場しました。1982年は年末に向けて 前触れは感じなかったんだけれどリリース後に 急に火がついてチャートを駆け上り翌年初めにかけて まだまだ初期(第二期ブーム/スナックや酒の席がメインでしたっけ。)のカラオケの席で大人気になったこの作品を。意味も分からず子供たちが口ずさんでいたのは なんともな感じがしましたっけ。
「3年目の浮気」 ヒロシ&キーボー 1982年08月21日発売 日本のエレキギターの雄と語り継がれる寺内タケシさんが1960年代初頭に ロカビリーブームの中大人気を果した寺内タケシとブルージーンズと並行して その後のGS(グループサウンズ)ブームの中寺内タケシさんを中心に結成された 寺内タケシとバニーズのボーカリストとしてデビューしたのが黒沢博さん。(実兄は 「やすらぎ」「時には娼婦のように」などのヒット曲で知られる歌手・俳優としておなじみの黒沢年男さん)黒沢博さんは 一時期カラオケスタジオの経営者としてCMにも出演されてましたっけ。そして今回の作品のデュエットのオーディションで選ばれたキーボーこと山田喜代子さんと ヒロシ&キーボーを結成して「3年目の浮気」でデビュー。
デュエット作品というと ムード歌謡のイメージが強いんですがこの作品はちょっと毛色が違うような ややコミックソング的な要素も歌詞の中に織り込まれ さりげなく歌っても印象に残るところがヒットに繋がったのでしょうね。(この作品以前に話題になった ポップス調のデュエット作品は 「カナダからの手紙」平尾昌晃・畑中葉子 1978年 )” ♪ 馬鹿言ってんじゃないよ・・・ ” ” ♪ 馬鹿言ってんじゃないわ! ” と会話調の歌詞も斬新でヒットの要因に。特に当時”夜の歌謡曲”と言われた流行歌の発信基地となった 有線放送でのリクエストの人気にかなりの人気が集中したのもヒットの要因になったんですね。8月末に発売後 一気にリクエストのトップテンにランクインして そこからレコードのセールスに火が付き1982年末には シングルレコードの週刊売り上げランキングのトップを獲得。80万枚越えの大ヒットになりました。同年末の有線放送大賞(日本有線大賞・全日本有線放送大賞)では ともに最優秀新人賞に輝きました。(有線放送は 歌謡曲や演歌系の強みがありましたが有力候補だったニューミュージック系の ”「待つわ」あみん” に大きな差をつけての受賞)秋口からテレビへの出演も効して 意味を知ってか知らずか子供たちも口ずさんでました。当時は まだ世代を超えたヒット曲ってたくさんあったんですよね。この作品のヒット後は 二番煎じ的?な「5年目の破局」「危険なクラス会(7年目の洒落)」等をリリース。一発屋的な存在となってしまいましたが 「3年目の浮気」は 今でもカラオケで歌われるエヴァ―グリーンヒットに。1984年コンビ解消後 それぞれソロとしての活躍へ。(さらにその後 スキャンダルもありましたっけ・・・。)
「3年目の浮気」 ヒロシ&キーボー 1982年08月21日発売 日本のエレキギターの雄と語り継がれる寺内タケシさんが1960年代初頭に ロカビリーブームの中大人気を果した寺内タケシとブルージーンズと並行して その後のGS(グループサウンズ)ブームの中寺内タケシさんを中心に結成された 寺内タケシとバニーズのボーカリストとしてデビューしたのが黒沢博さん。(実兄は 「やすらぎ」「時には娼婦のように」などのヒット曲で知られる歌手・俳優としておなじみの黒沢年男さん)黒沢博さんは 一時期カラオケスタジオの経営者としてCMにも出演されてましたっけ。そして今回の作品のデュエットのオーディションで選ばれたキーボーこと山田喜代子さんと ヒロシ&キーボーを結成して「3年目の浮気」でデビュー。
デュエット作品というと ムード歌謡のイメージが強いんですがこの作品はちょっと毛色が違うような ややコミックソング的な要素も歌詞の中に織り込まれ さりげなく歌っても印象に残るところがヒットに繋がったのでしょうね。(この作品以前に話題になった ポップス調のデュエット作品は 「カナダからの手紙」平尾昌晃・畑中葉子 1978年 )” ♪ 馬鹿言ってんじゃないよ・・・ ” ” ♪ 馬鹿言ってんじゃないわ! ” と会話調の歌詞も斬新でヒットの要因に。特に当時”夜の歌謡曲”と言われた流行歌の発信基地となった 有線放送でのリクエストの人気にかなりの人気が集中したのもヒットの要因になったんですね。8月末に発売後 一気にリクエストのトップテンにランクインして そこからレコードのセールスに火が付き1982年末には シングルレコードの週刊売り上げランキングのトップを獲得。80万枚越えの大ヒットになりました。同年末の有線放送大賞(日本有線大賞・全日本有線放送大賞)では ともに最優秀新人賞に輝きました。(有線放送は 歌謡曲や演歌系の強みがありましたが有力候補だったニューミュージック系の ”「待つわ」あみん” に大きな差をつけての受賞)秋口からテレビへの出演も効して 意味を知ってか知らずか子供たちも口ずさんでました。当時は まだ世代を超えたヒット曲ってたくさんあったんですよね。この作品のヒット後は 二番煎じ的?な「5年目の破局」「危険なクラス会(7年目の洒落)」等をリリース。一発屋的な存在となってしまいましたが 「3年目の浮気」は 今でもカラオケで歌われるエヴァ―グリーンヒットに。1984年コンビ解消後 それぞれソロとしての活躍へ。(さらにその後 スキャンダルもありましたっけ・・・。)
コロナ禍が続いていますが 飲食業とカラオケなんかもかなり
影響を受けてますよね。おいらは 車運転中にひとりカラオケ
してますが カラオケ屋さんのステージで歌わなくなってどれ
くらいになるんだろう?5年くらいは歌ってないかな。
今、テレビから「どうにもとまらない」が BGMに使われて
流れてたんだけれど hatumi30331 さん元気にしてるかな?
(裏・市長画伯作 hatumi30331さんの似顔絵が過る!)
おいらも「どうにもとまらない」は 十八番だったりして!
みなさんカラオケでは どんな歌を唄うんだろ!
たまには 大声で歌って ストレス解消したいね!
*************************
用があって 親が通院していた医療機関の近くを通った。
懐かしい里・・・って感じの場所を通るんだけれども
一本だけ田んぼの中にある柿の木に目を惹奪われて車を停め
シャッターを。 おだやかに陽射しが陰影を作っていて
このまま時が 少しだけ止まってほしいと思った秋の日。
去った後にしばらくして つるべ落としになったのだろう
な。。。この日は 新鮮な野菜を買っておでんを作った。
やはり季節は進んでいる。海辺から富士山が見える季節に
なったんだろう。見に行く時間が出来ればいいな。
影響を受けてますよね。おいらは 車運転中にひとりカラオケ
してますが カラオケ屋さんのステージで歌わなくなってどれ
くらいになるんだろう?5年くらいは歌ってないかな。
今、テレビから「どうにもとまらない」が BGMに使われて
流れてたんだけれど hatumi30331 さん元気にしてるかな?
(裏・市長画伯作 hatumi30331さんの似顔絵が過る!)
おいらも「どうにもとまらない」は 十八番だったりして!
みなさんカラオケでは どんな歌を唄うんだろ!
たまには 大声で歌って ストレス解消したいね!
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用があって 親が通院していた医療機関の近くを通った。
懐かしい里・・・って感じの場所を通るんだけれども
一本だけ田んぼの中にある柿の木に目を惹奪われて車を停め
シャッターを。 おだやかに陽射しが陰影を作っていて
このまま時が 少しだけ止まってほしいと思った秋の日。
去った後にしばらくして つるべ落としになったのだろう
な。。。この日は 新鮮な野菜を買っておでんを作った。
やはり季節は進んでいる。海辺から富士山が見える季節に
なったんだろう。見に行く時間が出来ればいいな。
何かと話題にかける日々ですが ちょっと疲れている体調を戻して新しい霜月に踏み出さなくては!体重も落とさなくては。例年通り食欲の秋となってきている。ぐへ~っ!次回更新は 11/6 0:00の予定です。あ~っ 親の予防接種も連れて行かなくては。インフルと5回目のコロナワクチンもだ。まだ しばらく介護中心の生活は変わらないけれど 上手く時間を割いて自分の時間を満喫出来ればいいな。クリスマス・イルミネーションの点灯もそう遠くないだろう。昼夜の気温差が大きくなってます。みなさまも体調崩されませんように!今回はこのあたりにて。ぐな~ぃ!
いも と かぼちゃ [1982年のヒット曲]
何曜日だったのかな?久々におだやかに晴れ渡った日の 高く青い空が印象的でした。霜月になっても同じ空は見ることが出来るのだろうけれど きっとそれは更に鮮やかで高く深く寒い日になるのだろう。紙ふうせんの「冬が来る前に」(1977年11月21日リリース)のどこか心細いようなイントロが聴こえてくるようで。。。いつもお越しくださるブロガーさんの記事で皮をむいた柿を干し始めた画像を拝見させていただいた。もうそんな時期かと。
秋が深まり行くとドラマティックな気分になりますね。忙しなく時間に追われていてもふと目に入った秋景色に立ち止まり物思いな気分に。すぐにかき消してまた歩みだすのですが。今回の一曲は 前回に引き続き40年前(1982年のヒット曲)シリーズから。ひと雨ごとに季節が進むはいつか氷雨になるのだろう。そういえば「氷雨」佳山明生さん、日野美歌さんの歌が大ヒットしたのも1982年暮れ頃からでしたっけ。雨の歌は物憂げなんですが これからの季節はよりドラマティックに聴こえてくることでしょうね。シティポップスのはしりとなったこの方のアルバムの名曲たちも心に沁み始めそうです。そういえば彼も1982年デビュー。今年まる40周年なんですね。
「ドラマティック・レイン」 稲垣潤一 1982年10月21日発売 3枚目のシングル。宮城県仙台市出身の稲垣潤一さんは アマチュアとして活動されていて1982年1月にメジャーデビュー。当時は まだニューミュージックと呼ばれていたジャンルで 都会の生活感をイメージした作品が徐々に話題となり現在再ブームとなっている まさにシティポップスの源流的雰囲気を醸し出す大人のポップス(J-A.O.R)が話題となりましたっけ。おいらは彼の存在をバイト先で流れていた レコード会社(TOSHIBA-EMI)の販促を兼ねたBGMテープで何度も刷り込まれて知るんだけれども 背伸びしたがる時期に聴いた 憧れにも似た都会の生活感の中で 男と女の恋のやり取りをおしゃれに描き どこか寂しげでもありアンニュイなイメージに見果てぬ夢を重ねたような思いを巡らせていたことも。こういうのがかっこいいというんだろうな!うぶうぶな高校生にはかなりハードルは高かったんだけれどね。ちなみにおいらは彼のセカンドシングル「246:3AM」(作詞:湯川れい子 作曲:松尾一彦 編曲:井上鑑)が 彼の作品で今でも一番大好きなんだけれど 井上鑑さんのアレンジがもうなんとも言えないくらいに心を打つのです。(前年ブームとまで言われ大ヒットした寺尾聡さんの一連の作品のアレンジでも有名。)前回登場の井上陽水さんもなんだけれど おいらは子供の頃から どこか冷めているようなところがあって ワイワイするような流行歌よりも翳りがあるものを好む傾向があったんですね。暗い性格じゃないんだよ!我が我がって しゃしゃり出たいとこも多大にあるんだけれど 行動が伴わないんだろうね。冷めちゃう。でも燃え上がっちゃうと止められないんだけれど。(面倒な性格!は~ぁ。疲れるね。・・・また脱線傾向。軌道修正。)
稲垣潤一さんの作品は映画を見ているよう。でも それはすごくヴィヴィッドでモノクロなイメージじゃないところが 80年代感をすごく描き映し出している。どの作品も超短編映画を見ているように聴こえてくる。やや湿り気のある(適度なウエット感と甘さ)ヴォーカルがとても心地よい。そんなヴォーカルがとにかく映えるのが大ブレイク作となる今回の「ドラマティック・レイン」。今は”どこまで儲けるんだ!”とでも ぼやきたくなる秋元康さんの作詞家としてのブレイク作でもあるのは有名ですよね。おいらは 湯川れい子さん世界観で行って欲しかったんだけれど。稲垣潤一さんって レースに参加されたりモータースポーツで活躍されていた時期もあったり ステージでドラムを叩きながら歌われたり 躍動的な感性をお持ちなところがヴォーカルの面でも いい味を出しているんじゃないかなって思うんですね。作品のイメージがそうでないとしても 妙にドライヴ感を感じたり そんなところがウエットとな作品を歌われてもジメジメしない秘訣なのかなって思うんですよ。そうそう 先日も寝る前に古いテープを聴いていたんだけれど ドライヴしたくなっちゃった。なんか れびゅ~じゃなくなっちゃったな。この作品は 1982年11月第一週に 週刊売り上げチャートの90位に初登場して 1983年年明けにベストテンにランクイン。半年以上にわたるロングセラーとなります。アルバム・アーティストとしての人気が高く リリースされる作品は軒並み連続大ヒット。シングルもコンスタントにヒット作を発表し「夏のクラクション」「ロング・バージョン」「オーシャン・ブルー」「1ダースの言い訳/April」・・・そして1992年にはドラマの主題歌にもなった「クリスマスキャロルの頃には;」がミリオンセラー。「ドラマティック・レイン」と共に代表作に。
「ドラマティック・レイン」 稲垣潤一 1982年10月21日発売 3枚目のシングル。宮城県仙台市出身の稲垣潤一さんは アマチュアとして活動されていて1982年1月にメジャーデビュー。当時は まだニューミュージックと呼ばれていたジャンルで 都会の生活感をイメージした作品が徐々に話題となり現在再ブームとなっている まさにシティポップスの源流的雰囲気を醸し出す大人のポップス(J-A.O.R)が話題となりましたっけ。おいらは彼の存在をバイト先で流れていた レコード会社(TOSHIBA-EMI)の販促を兼ねたBGMテープで何度も刷り込まれて知るんだけれども 背伸びしたがる時期に聴いた 憧れにも似た都会の生活感の中で 男と女の恋のやり取りをおしゃれに描き どこか寂しげでもありアンニュイなイメージに見果てぬ夢を重ねたような思いを巡らせていたことも。こういうのがかっこいいというんだろうな!うぶうぶな高校生にはかなりハードルは高かったんだけれどね。ちなみにおいらは彼のセカンドシングル「246:3AM」(作詞:湯川れい子 作曲:松尾一彦 編曲:井上鑑)が 彼の作品で今でも一番大好きなんだけれど 井上鑑さんのアレンジがもうなんとも言えないくらいに心を打つのです。(前年ブームとまで言われ大ヒットした寺尾聡さんの一連の作品のアレンジでも有名。)前回登場の井上陽水さんもなんだけれど おいらは子供の頃から どこか冷めているようなところがあって ワイワイするような流行歌よりも翳りがあるものを好む傾向があったんですね。暗い性格じゃないんだよ!我が我がって しゃしゃり出たいとこも多大にあるんだけれど 行動が伴わないんだろうね。冷めちゃう。でも燃え上がっちゃうと止められないんだけれど。(面倒な性格!は~ぁ。疲れるね。・・・また脱線傾向。軌道修正。)
稲垣潤一さんの作品は映画を見ているよう。でも それはすごくヴィヴィッドでモノクロなイメージじゃないところが 80年代感をすごく描き映し出している。どの作品も超短編映画を見ているように聴こえてくる。やや湿り気のある(適度なウエット感と甘さ)ヴォーカルがとても心地よい。そんなヴォーカルがとにかく映えるのが大ブレイク作となる今回の「ドラマティック・レイン」。今は”どこまで儲けるんだ!”とでも ぼやきたくなる秋元康さんの作詞家としてのブレイク作でもあるのは有名ですよね。おいらは 湯川れい子さん世界観で行って欲しかったんだけれど。稲垣潤一さんって レースに参加されたりモータースポーツで活躍されていた時期もあったり ステージでドラムを叩きながら歌われたり 躍動的な感性をお持ちなところがヴォーカルの面でも いい味を出しているんじゃないかなって思うんですね。作品のイメージがそうでないとしても 妙にドライヴ感を感じたり そんなところがウエットとな作品を歌われてもジメジメしない秘訣なのかなって思うんですよ。そうそう 先日も寝る前に古いテープを聴いていたんだけれど ドライヴしたくなっちゃった。なんか れびゅ~じゃなくなっちゃったな。この作品は 1982年11月第一週に 週刊売り上げチャートの90位に初登場して 1983年年明けにベストテンにランクイン。半年以上にわたるロングセラーとなります。アルバム・アーティストとしての人気が高く リリースされる作品は軒並み連続大ヒット。シングルもコンスタントにヒット作を発表し「夏のクラクション」「ロング・バージョン」「オーシャン・ブルー」「1ダースの言い訳/April」・・・そして1992年にはドラマの主題歌にもなった「クリスマスキャロルの頃には;」がミリオンセラー。「ドラマティック・レイン」と共に代表作に。
あ~、時間出来たらドライヴしたいな。
彼の歌聴きながら。
取水塔の近くに住んでいるって噂は本当なのかな?
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ダ〇ソーで買ってきたハロウィンのかぼちゃ型ライト
来週は ハロウィンなんだね。
あ、祖父の命日もそろそろだ。お寺行って来なくちゃ。
あ~やっと 運気の低迷時期を脱出を出来そう。生活感の忙しいのは変わらないけれど 少しづつ気持ちも晴れやかになってくれるといいな。さてさて次回更新は 今月最後10/30 0:00を予定しています。もう年末のこと考えて予定を立てなくては!やらなきゃいけないこと沢山だけれど 上手く乗り越えて行ければいいな!今回は このあたりにて!寒暖差が大きくなりそうです。みなさま風邪など召されませんように。それでは ぐな~ぃ!
夜が長くなってきてるね。 [1982年のヒット曲]
一週間が早い・・・。日々の生活に追われちゃっているからなのかな。最近はゆっくり音楽を楽しむ時間も持てない。布団にもぐってぬくぬく(数分もせず落ちる・・・。)している一瞬がなんとも愛おしい。早いと言えば日の入りが早くなりましたね。逆に夜明けは遅くなってきてる。
涼しくなったからかな?暑い時は咲いてなかったラン
タナが開き始めた。ゴーヤは相変わらずつるを伸ばし
始めているし・・・。
今は嫁いだんだけれど お隣りの変わった姉さまを思い
出すヤブカラシの花。夏休みのラジオ体操の帰りにこの
花を見つけて「この花すごく好きなの!」とおかしな話
をし始めて葉は取らないんだけれど花だけたくさん摘ん
で家に持って帰ると おばさんに「捨てて来なさい!」
って怒られてたの。その後 おいらにこぼすの!
なんなんだよ~っ!巳年生まれだから巻き付くの好き
なのかな?とおいらも訳の分からないことを・・・。
(何書いてんだろ うつろな記憶が過った。今はどう
だか知らないけれど 美輪明宏さんみたいなかなり派手
な黄色に長い間 髪を染めてたな。また脱線の予感。)
*************************
さてと今回の一曲は 40年前(1982年のヒット曲)シリーズなんだけれど 実は1982年にリリースされているんだけれどヒットしてないんですよね。アルバムはいつもの如く大ヒットのアーティストなんだけれど 今回の一曲が大ヒットの結びついたのは6年後。昭和最後の年。なんだかね妙な面白さがあってこの作品が主題歌になったドラマを見てたんだけれど 今思い返すと おいらは全くと言っていいほど ご縁なかったけれど世の中バブルに湧き立ってたよね。あのドラマのパロディをとんねるずが面白おかしく再現するんだけれど 木梨憲武さんの異様なくらいデフォルメしたずんこさん(桜田淳子)が気色悪くて好きだったな。岸本加世子さんと大喧嘩するの!(やっぱり脱線したよ!)あ~好きだな。イントロも怪しくて。なんかねこの作品を歌った魔王さまと奥様の歌って 異常な陶酔しちゃうくらい媚薬がブレンドされているみたいなスパイシィさが好き。
「リバーサイドホテル」 井上陽水 1982年07月05日発売18枚目のシングル(ジャケットは 同作品を収録した10枚目のアルバム『LION & PERICAN』1982年12月05日発売)。今でも良く判らないんだけれど 井上陽水さんがデビュー当時(1969~1971年頃)にアーティスト名に使っていた”アンドレ・カンドレ”の意味と由来。おいらはその時代は良く判らないけれど デビュー当時からやっぱり変わった雰囲気は醸し出していたことがなんとも今となっては魅力なんですね。井上陽水さんってなんだかね(もうすんごくおこがましいんだけれど)おいらは自分の中に同じような毛色を感じるんだよね。尋常じゃない感じがする!(おかしいって言うのじゃなくて 異端な感じっていうのかな。変だ!とは言えないんだけれど 風変わりなというのかな?あ、おいらには才能とかそんなのはないけれど どこか人には見せない見えない上手く言葉で表し難いソウル・・・韓国じゃないYO!スピリット・・・お酒じゃないYO!みたいな何かを共感するような気がするの!脱線誘発するからやめとくね。)
デビュー当時 そして改名して第二期となる70年代の『断絶』『陽水Ⅱセンチメンタル』『氷の世界』『二色の独楽』の連続大ヒット期をすぎて やや低迷したのちの 諸説ありますが陽水さんの第三期が1982年くらいに(1981年暮れのアルバム『あやしい夜をまって』1981年11月21日発売)始まるんですね。
「リバーサイドホテル」の収録されたアルバムは また怪しいという言葉がこんなフィットするのかなって感じるくらい 不思議な雰囲気を醸し出す「とまどうペリカン」「愛されたばかりいると」沢田研二さんに提供した「背中まで45分」などを収録。アンニュイというかサスペンスというか はたまた ふけゆく夜から夜明け前の闇のような気配が随所にちりばめられているんですよね。魔王の怪しげで引き気味な苦笑いをするような。。。
陽水さんの人間性ってすごく興味をそそるんですよね。いろんな顔を持っているんだけれど 本性って誰にも見せない真の顔を持っているんじゃないかってね。「リバーサイドホテル」は さっきも触れたんだけれど1988年10月から約二か月間放送された フジテレビ/関西テレビ系ドラマ[ニューヨーク恋物語](主演:田村正和 共演:岸本加世子 真田広之 柳葉敏郎 桜田淳子ほか)の主題歌に起用され 週刊売り上げは最高11位まで上昇し シングルとしてはひさびさの大ヒットに。また この時期他のアーティストに作品を提供し またバックバンドで活躍していた安全地帯の大ブレイクも影響し 一気に井上陽水作品のブームが訪れるんですよね。高樹 澪さんのれびゅ~の時にも書いたんですが「ダンスはうまく踊れない」 詞を提供した安全地帯の「ワインレッドの心」「恋の予感」 中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」 CMにも起用された「いっそセレナーデ」等を収録したアルバム『9.5カラット』(1984年12月21日発売)は 『氷の世界』以来のミリオンセラーとなり アーティストとしての存在をさらに高めました。以降もアルバムの連続ヒット記録を伸ばし2019年デビュー50周年を迎えました。最近は 新作の便りは なかなか届いてきませんね。同時期を共に駆け抜けた吉田拓郎さんの引退が今年話題を呼びましたが 陽水さんは歌い続けてほしい。魔王なんだもの!
「リバーサイドホテル」 井上陽水 1982年07月05日発売18枚目のシングル(ジャケットは 同作品を収録した10枚目のアルバム『LION & PERICAN』1982年12月05日発売)。今でも良く判らないんだけれど 井上陽水さんがデビュー当時(1969~1971年頃)にアーティスト名に使っていた”アンドレ・カンドレ”の意味と由来。おいらはその時代は良く判らないけれど デビュー当時からやっぱり変わった雰囲気は醸し出していたことがなんとも今となっては魅力なんですね。井上陽水さんってなんだかね(もうすんごくおこがましいんだけれど)おいらは自分の中に同じような毛色を感じるんだよね。尋常じゃない感じがする!(おかしいって言うのじゃなくて 異端な感じっていうのかな。変だ!とは言えないんだけれど 風変わりなというのかな?あ、おいらには才能とかそんなのはないけれど どこか人には見せない見えない上手く言葉で表し難いソウル・・・韓国じゃないYO!スピリット・・・お酒じゃないYO!みたいな何かを共感するような気がするの!脱線誘発するからやめとくね。)
デビュー当時 そして改名して第二期となる70年代の『断絶』『陽水Ⅱセンチメンタル』『氷の世界』『二色の独楽』の連続大ヒット期をすぎて やや低迷したのちの 諸説ありますが陽水さんの第三期が1982年くらいに(1981年暮れのアルバム『あやしい夜をまって』1981年11月21日発売)始まるんですね。
「リバーサイドホテル」の収録されたアルバムは また怪しいという言葉がこんなフィットするのかなって感じるくらい 不思議な雰囲気を醸し出す「とまどうペリカン」「愛されたばかりいると」沢田研二さんに提供した「背中まで45分」などを収録。アンニュイというかサスペンスというか はたまた ふけゆく夜から夜明け前の闇のような気配が随所にちりばめられているんですよね。魔王の怪しげで引き気味な苦笑いをするような。。。
陽水さんの人間性ってすごく興味をそそるんですよね。いろんな顔を持っているんだけれど 本性って誰にも見せない真の顔を持っているんじゃないかってね。「リバーサイドホテル」は さっきも触れたんだけれど1988年10月から約二か月間放送された フジテレビ/関西テレビ系ドラマ[ニューヨーク恋物語](主演:田村正和 共演:岸本加世子 真田広之 柳葉敏郎 桜田淳子ほか)の主題歌に起用され 週刊売り上げは最高11位まで上昇し シングルとしてはひさびさの大ヒットに。また この時期他のアーティストに作品を提供し またバックバンドで活躍していた安全地帯の大ブレイクも影響し 一気に井上陽水作品のブームが訪れるんですよね。高樹 澪さんのれびゅ~の時にも書いたんですが「ダンスはうまく踊れない」 詞を提供した安全地帯の「ワインレッドの心」「恋の予感」 中森明菜「飾りじゃないのよ涙は」 CMにも起用された「いっそセレナーデ」等を収録したアルバム『9.5カラット』(1984年12月21日発売)は 『氷の世界』以来のミリオンセラーとなり アーティストとしての存在をさらに高めました。以降もアルバムの連続ヒット記録を伸ばし2019年デビュー50周年を迎えました。最近は 新作の便りは なかなか届いてきませんね。同時期を共に駆け抜けた吉田拓郎さんの引退が今年話題を呼びましたが 陽水さんは歌い続けてほしい。魔王なんだもの!
家にいる時も ずっとサングラスかけているのかな?
このCMも話題になりましたよね。
*************************
枯葉が落ちて 冬木立に姿を変えようとする木々を
よく見かけるようになってきました。もう極端な陽気は
戻ってこないだろうな。週明けの雨上がりには高い空が
見えるかな。ブログ用画像が無くなって来ちゃったから
外に出る時はコンデジ持って出かけなくちゃ。
最近は季節を問わず よく行くスーパーの片隅に焼きいもが売っているんだけれど 見向きもしていなかったそれがとても愛おしくなってきている。何時だったか急に寒くなった日スーパーの自動ドアが開いたらもわっと香ばしい香りに包まれた。その時は急いでいたのでスルーしちゃったけれど 思い出すたびに食べたくなってきちゃうこの頃。次行った時は買おうかな。ホクホクの方がいいんだけれど やわいのしか売ってないときあるんだよね。美味しいんだけれど安納いもじゃなくて 紅あずまのが食べたいな。次回更新は10/23 0:00の予定です。もう10月も下旬じゃない!大掃除は無理だから 少しづつ掃除をするときに片付けなくちゃな。扇風機一台片付けたけれどもう一台残ってたし エアコンも掃除しなくちゃ。無理は極力しないようにしているけれど やっぱり日常の生活には追われちゃうんだな。この記事は 親がデイサービスに出ている更新前日の昼に書いているんだけれど 今回はいつもより遅くなっちゃった。少し仮眠できるかな。今夜はカレーを作る予定。あと いっちゃがブリの切身があるから 塩焼きしようかな。その前にやっぱり仮眠しよう。・・・ということで またいつも通り纏まりない記事だけれど 今回はこのあたりにて。みなさん体調崩されませんように。それでは ぐな~ぃ!