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五輪より台風が気になる。。。 [1981年のヒット曲]

[晴れ]毎日暑いですが みなさん如何お過ごしですか?週明けに こちら関東は[台風]台風が接近するんじゃないかという予報なんですが 土曜日に大洗濯と布団干しをしたら 13:00頃になんか変な音。[たらーっ(汗)]屋根をぼたぼたと大きな音を立てて・・・。[exclamation×2]もう慌てて階上に。[モバQ][あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]布団もシーツや洗濯物も急いで取り込んで息が上がっちゃいました。そしたらぼたぼたと落ちてきた雨粒は音を沈め 雲間からまた強い日差し!なんてこったい![がく~(落胆した顔)]結局そう濡れなかったから家に入れちゃいましたが これは台風のハシリだったのかな?

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毎日夏雲が湧いています![曇り][ダッシュ(走り出すさま)]
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毎日水やりが欠かせなくなってきたゴーヤ!小さな実が
5個くらいついてきているんですが 中でも一番大きい
実は長さが10cmくらい。去年何個か 収穫前に爆発
しちゃったのに気付かなかったんで気をつけなくちゃ!
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[るんるん]今回の一曲は 今から40年前の1981年の夏。先日 車で駅前にある大型予備校の前を通りかかったら そこへ通う学生たちがロビーのガラス越しに(密で大変だけれど)沢山見えた。夏を制する者は!なんていわれるけれど大変だよね。おいらは縁がなかったけれどね。[爆弾]サードブログにちょこっと書いたんだけれど 今でも受験する夢見るんだよね。後悔なんだけれどね。そんなこと思い出しては嫌な思いしちゃうんだけれど 40年前の夏もそういえば来年高校受験!なんて時期だったのに ろくに受験勉強もしなかったな。音楽ばっかり聴いてた。今回はそんな頃のヒット曲なんだけれど 夏休みには学校へ イヤイヤ補習授業行ってた。(結構サボったりもしたけれど。)高校ってどんなところかな 今みたいな中学生活よりは義務教育じゃないから 自分の責任感は大きくなるけれど・・・少しづつ まだ見えない夢が膨らみ始めていた頃だったっけ。。。(勉強に集中出来ない自分が悪いんだけれど 一生懸命に心配してくれる先生方が煩わしくて嫌だった。・・・っけ。全て投げ出したかった。あれが多感な始まりだったのかな。)[るんるん]
DSCN3681_01.JPG 「ハイスクールララバイ」 イモ欽トリオ 1981年08月05日発売 デビュー曲。1981年当時何本あったんだろう?欽ちゃんこと 萩本欽一さんの冠番組って何本もあって それぞれみな高視聴率番組で そんな中で一番の人気を誇っていたのが [欽ドン(欽ちゃんのドンとやってみよう!シリーズ)!良い子悪い子普通の子]。その番組内に登場した 高校生設定の3人息子役に抜擢された(ジャケット参照/右から。敬称略)山口良一(ヨシオ)長江健次(フツオ)西山浩司(ワルオ):オーディションで選ばれるのですが西山浩司さんのみ欽ちゃんのお弟子さんだったんですね。父親役の欽ちゃんの問いに それぞれのカラーでオチをつけるいわゆるコント(を中心としたバラエティ番組)が大人気となり そこから同じ三人で当時大人気だった たのきんトリオ(田原俊彦・野村義男・近藤真彦)に対し 欽ちゃんのところのイモっぽい三人だからということで イモ欽トリオとして命名され 最初は企画ものとして 作詞に松本隆 作編曲に細野晴臣を起用してレコードを発売することになるんですが その人気はすさまじく発売とともに週刊売り上げのトップテンにランクイン。翌週にはトップに躍り出る快挙に。最終的にはミリオンセラーとなり年間第4位の売り上げを叩き出すんですね。勿論彼らの人気は第一なんですが やはり欽ちゃんの影響力は大きく(その後の他の欽ちゃんの番組を含め企画ものとして)やや人気が低迷しかけてきていた歌手やタレントが番組を気に”大”再ブレイクをする現象もありましたっけ。(”良い妻悪い妻普通の妻”の中原理恵、他番組での細川たかし然り!)この年は折からのテクノブーム真っ盛りで Y.M.O.(イエロー・マジック・オーケストラ/坂本龍一、細野晴臣、高橋幸宏)系の 今では当たり前の電子サウンドが人気を呼び 歌謡曲フィールドでもそのサウンドはいち早く取り入れられヒットの兆しが見えていたところ イモ欽トリオへの提供作品は 当時なんというか もう最先端の機械的なキラキラしたサウンドに 松本隆作詞による抒情的かつ普遍的に映し出す淡い世界観が どこかミスマッチして甘酸っぱい恋愛観とコミカルな振り付けで不思議なくらいの大ヒットになったんですね。翌年に第二段 さらにメンバーチェンジがあって計3枚のシングルとオリジナルアルバムを発表し 番組自体の人気も円熟し やがて活動はフェイドアウトして行くんですね。メンバーそれぞれにファンはいらっしゃったんだろうけれど なんであんな突発的な大ヒットになったのかって未だに良く判らない。でもそこに欽ちゃんのエッセンスが多大に注がれているのは間違いなかった事実なんですね。その後も欽ちゃんの番組からは いろんなタイプのコミカルなアイドルが登場し わらべ よせなべトリオ 風見慎吾 欽ちゃんバンドも含め80年代半ばころまで賑わいを見せるトップバッターだったのが イモ欽トリオだったんですね。


ちなみに同時期ヒットチャートを賑わせていた流行歌には 「守ってあげたい」松任谷由実「すみれ色の涙」岩崎宏美「もしもピアノが弾けたなら」西田敏行「メモリーグラス」堀江 淳 あ~んどカーステレオ・メーカーのCMにも登場してこちらも 突然大人気となった「シティ・コネクション」エマニエル(エマニエル坊や)なども!洋楽では「愛のコリーダ」クインシー・ジョーンズ 「ショッキング・ビートルズ45」スターズ・オンが大ヒットしてましたっけ。キャンディポップの アラベスクやドリードッツなんかも!勉強しないで そういうことばかり覚えているんだもんね。困った中学生でした。雑学は豊富になったけれどね。[ふらふら]

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五輪の開会式があった日の千葉の競技会場のひとつに
なった幕張メッセ方面を望む。幕張会場では(五輪)
フェンシング、テコンドー、レスリング 
(パラ)ゴールボール、シッティング・バレーボール、
テコンドー、車いすフェンシングの各競技が開催され
ます。(一部 昨日7/24から)   

五輪のことやコロナの事とかいろいろと世間を吹き抜ける不安なことがいっぱいだけれど それ以上に今は親のことでいっぱい。老健(親のいる在宅復帰リハビリ施設)があるところから海までは数分なんだけれど 潮風を感じに行っても ここ最近は いつものように晴れ晴れしい気持ちになれない。老齢期の生きがいって何なんだろう。どうしてあげることが親にとって幸せなことなんだろう。心の中で葛藤する問題のグレードが上がるばかり。視力や聴力などの低下や 心身の不安(心の病気)もあって親の気分の浮き沈みの波が また寄せては返す。親と同じような性格なので その気持ちももどかしさも手に取るように判るのだけれども 年の差を埋めることは出来ない。おいらも同じ年位になったらそうなるのだろうか。答えの出ない哲学に立ち向かっているみたいな心の闇を なんともしてあげられることが出来なくて波はまた繰り返す。せめてコロナの環境だけでも解消に向かってほしい。五輪・パラの期間を迎え走り出した。平穏であってほしいと今は願いばかり。目の前には 八枚目の扉が開こうとしている。

今回は 更新ギリギリになっちゃったんだけれど なんか もやもやなまま記事を書いてしまった。新しい月はおいらにとって 毎年バイオリズムが下降線をたどりがちな月 疲れちゃうから気持ちを無理に高揚させないで おだやかに過ごしてみようと思う。きっと台風が近づいているせいだね。もやもや気分をどうか連れ去ってもらおうかな![台風]あ、でも被害は 出さないでちょ~だいね。うちの屋根まだ直してないんだから![わーい(嬉しい顔)]さてと 次回更新は 8/1 0:00の予定です。みなさん何かと制限があったり過酷な暑さも続くと思いますが スローな気持ちでゆったり出来ますように。では 今回はこのあたりにて ぐな~ぃ![夜]

わすれな・めも ・・・ 20210730 21:00 今日の夕方 17:00~18:30 車の洗車をしてワックスがけを済ませた。



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