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無事通り過ぎることを願うばかり。 [1980年のヒット曲]

この記事が更新される頃(9/5に書いています。)は これまでに経験したことない勢力の台風が九州を通過しているかもしれないだろうと思い記事を書いています。昨年の同月に[台風]台風15号の通過で 家のトタン屋根の一部が飛んでしまい いまだに修繕出来ていないんだけれど それ以上の勢力と報道されているので心配でなりません。おいらの住んでいる千葉県北西部湾岸地域は今回の台風の影響は少ないと思われますが 今後このような勢力の台風が発生するようになったら他人事ではありません。温暖化は相変わらず進んでいるようですしね。兎にも角にも被害が出ないことを祈るばかりです。進路にあたる皆さんや台風の余波により荒天になりそうな地域も多くなりそう。おいらは一年前の(修繕出来ていない養生中の)トタンのことでも思い出すたびに どう修理しようかと落胆しそうなのに。今年はなんでこんなに荒れるんでしょうかね。よく末尾に”0”のつく年は何が起こるか判らないなんて聞きますが残すところ数か月。落ち着きを取り戻してほしいものです。[喫茶店]

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家の酔芙蓉(スイフヨウ)が咲きました。咲き始めは
白い花なんですが段々と色がピンクに変わって行きま

す。でも咲き始め見てないんですよ。いつも。[かわいい][目][たらーっ(汗)]
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[アート] フエルト・すい~つのコーナー [バースデー] 今回は今年の春先かな?先に[プレゼント]箱を作っちゃって その中に入るくらいの小さなケーキを作ろうと思っていたんですが・・・。思ったようなサイズに行かなくて さらにトッピングやら化粧段階になったら「あ、これ違う!![ちっ(怒った顔)]」と八割方出来ていたのに気に入らなくなって (贋作の焼き物職人さんよろしく?!)ぐっちゃぐちゃにしてゴミ箱に投げつけちゃったんですよね。でも 煮え切らないのと箱だけ残すのは嫌だったからリベンジしたのでした。[わーい(嬉しい顔)][たらーっ(汗)]

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切り出した生地と縫い合わせの推移はいつもと同じ。
DSCN1673_01.JPG やはり空き時間にせっかちに
作ろうとすると上手く行かないとわかっているのにいろ
いろと親の介護とか仕事の合間を見て気分転換!と思い
始めたけれど気持ちに余裕が全く無かったのが 春先の
気にいらなかった原因だとは途中から判っていたわけ。
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いろいろ作り始めて10年以上になるけれど やはり作っ
たものを見返すと忘れているのもあるけれど その時の
生理感って甦るんですよね。だから気持ちよく[バースデー]完成し
たものって違うなと改めて感じちゃいます。[プレゼント]時間が
なかなかとれなくなって フエルトクラフトを卒業しよ
うかなと思うこともあるんだけれど他のものが見つから
ない。しばらく続くのだろうな。次回はトッピングを。
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[るんるん]今回の一曲は 引き続き40年前(1980年のヒット曲)シリーズ。この年のおいらの関心事といったら二つの星が流れゆこうとしていたこと。ちょうど今頃伝説のステージをひと月後に控えて 最後のシングル(現役時代)である「さよならの向う側」がトップテン上位に食い込んで 歌番組だけでなく情報バラエティも山口百恵さんの引退企画を連日放送し始めた頃でした。9月になり飛び込んできた衝撃はさらにおいらを落胆させるようなこと。今回は取り上げませんが 記者会見には まだ早すぎるように見えた秋の装いで[カメラ]一斉にフラッシュを浴びたのは 二人そろって「(翌年3/31に)解散します!」と告げたピンク・レディー。[もうやだ~(悲しい顔)] もうね なんだか永遠だと思っていた憧れのアーティストが一瞬にして消えてしまう衝撃に 終わってなかった夏休みの宿題もさらに手がつかなくなってしまってね。(最初からやる気が無かったんだけどね![爆弾])ヒット曲の世界も夏が暮れだし よりもの悲しいものを聴いていた。年の初めにミリオンセラーとなった「異邦人ーシルクロードのテーマー」に続く 久保田早紀の第三弾「九月の色」(雨粒がリズムを取り出し窓を流れるのを感じる名曲/「八月の濡れた砂」石川セリから始まり「九月の雨」太田裕美「September」竹内まりや と共に今でも物思いにふけっちゃうんですね。仕上げに「晩夏~ひとりの季節」荒井由実 を聴くと心に秋を迎えます。80年代は別のヴァージョンがあります。)その久保田早紀とともに 1980年の秋を感じ始めさせたのが今回の一曲。(前置きが長すぎ・・・。)[るんるん]
DSCN1830_01.JPG 「私はピアノ」 高田みづえ 1980年07月25日発売 12枚目のシングル。なぜここで今回この曲をというところにはもうひとつ訳があるんだけれど PCの修理中にWEB環境が無くなっちゃって その時飛び込んできていた60~70年代に大活躍されていた弘田三枝子さん(7/20逝去)のことを記事にしたかったんだけれどね。「私はピアノ」は 大の弘田三枝子ファンであった桑田佳祐さんの作品で弘田さんのシングルとして発売する予定になっていたんですよね。もともとは1980年03月に発売になったサザン・オール・スターズの3枚目のアルバム『タイニイ・バブルス』に原由子さんのヴォーカルで収録されて世に出たのでした。
1977年に「硝子坂」でデビュー後「だけど・・・」「ビードロ恋細工」「花しぐれ」「パープルシャドウ」等ヒットを連発していた高田みづえさんの人気も やや落ち着きを見せてこのあたりで なかなか路線が見つからずにいた中 起死回生の大ヒットを狙っていたところにこの作品のリリースが決定。物憂げなイントロから始まるこの作品は アイドル的存在から一人のアーティストに移行する岐路で大ヒットになり 歌謡曲と演歌のはざまをポジションとする第二次カラオケブーム(まだ8トラの時代。[カラオケ]おいらのカラオケデビューもこの頃。)にも多くの人に愛されスタンダードナンバーへと昇華するのでした。弘田三枝子さんが歌っていたらどんな作風になっていたんだろ?そんなことを記事に書きたかったのでした。高田みづえさんは その後も「そんなヒロシに騙されて」「秋冬」をはじめヒット作を発表後 現在は相撲部屋のおかみさんに。あまり報道に出てこないけれど(おいらの親戚の家の近く)で転倒されて療養されていた旦那様の二所ノ関親方(元大関 若嶋津)はお元気になられたのかな?
そういえば 弘田三枝子さん千葉県に住んでおられたみたいですね。詳しくは知らないけれど。あ、いつになったらいけるのかな・・・。高田みづえさんのラストシングル「カーテン・コール」<「チャイナ・ライツ」のカップリング>を作詞作曲された 若かりしころ住んでおられた さだまさしさんの聖地巡りも未だに行けてないし。早く涼しくならないかな。「私はピアノ」がヒットしてた頃は 秋が早かった記憶があるんだけれど。。。(脱線!)


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自宅の月下美人の花芽が大きくなってきた。今度は
ぶつかって落としちゃわないように気をつけなくちゃ。
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前回の記事でちょこっと書いた 田中 圭(はるたん)
のMOW(バニラ)限定パッケージは5種類あるんだけ
れど全部載せきれないからそのうち クリアファイルと
一緒に写真撮り直してUPしないと。なんかまた販売し
てるみたいなんだけれど限定じゃなかったの?・・・。
(若い頃のおいらに似てるみたいだな!・・・)
[爆弾]馬鹿言ってるんじゃないよ!あうっ。[わーい(嬉しい顔)][たらーっ(汗)]

それにしても 台風10号のことが気になります。こちらでも時折強い大粒の雨が 屋根をたたく音がするんだけれど うちも養生したままだからどうか雨漏りしないで欲しい。余計なこと考える時が重くなっちゃうから のんびりびり~(Ⓒ猫毬さん)で行かないと![わーい(嬉しい顔)]次回更新は 9/14 0:00頃の予定です。[台風]台風の被害が出ない事を願うばかりです。それでは 今回はこのあたりにて。ぐな~ぃ![夜]


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